医療の歴史・アヘン
今日のように、病原菌を遺伝子レベルで把握し、ワクチンや抗生物質、薬や手術の開発ができるようになるまでに、それこそ神頼みの時代から長い年月にわたる試行錯誤がありました。
前にご紹介した水銀しかり、ヒ素しかり、今の常識では考えられないような医療が有効だと信じられていたケースも過去にはありました。
そうした先人たちの悪戦苦闘の積み重ねが、今日の最新医療を成す土台になっているに違いありませんが、それにしてもびっくりを通り越して笑ってしまうような医療法が存在していました。
今回は引き続きそうしたびっくり仰天な医療の歴史をご紹介していきたいと思います。
■戦争を引き起こす麻薬
誰もが知る麻薬の代表格・アヘンです。
この麻薬を巡って戦争まで起きています。
皆さんご存知
「アヘン戦争」
です。
清に対して貿易赤字だったイギリスは、アメリカ独立戦争の戦費調達の必要もあって、植民地のインドで栽培したアヘンを清に密輸することで貿易不均衡を相殺しようとしました。
アヘン蔓延に危機感を覚えた清は厳罰をもってアヘン輸入を禁止したところ、イギリスとの戦争に発展。
結果、香港はイギリスに割譲され、1997年の返還まで実に150年間イギリスの支配下に置かれます。
国を動かすほどインパクトある麻薬、それがアヘンです。
■キレイな花には毒がある
アヘンはケシ(罌粟、opium poppy)から生まれます。
罌粟はふわりとしたひらひらの花を咲かせ、色は真紅、白、ピンク、紫色とヴァリエーションに富む。
何も知らなければ、庭先に飾りたくなるような綺麗な出で立ちです。
が、開花してすぐに風で散ってしまう儚げな花でもあります。
散った後は、麻薬成分の詰まった鶏の卵くらいの大きさの固い果実が残ります。
「ケシ坊主」と呼ばれ、この表面に傷をつけると出てくる白い乳液を乾燥させたものがアヘンになります。
鎮痛剤として使われるモルヒネ、最強の麻薬であるヘロインもアヘンを原料として合成されています。
■万能薬・アヘン
ではアヘンと人類の歴史は?と言いますと、これはまた古く紀元前3000年前まで遡ります。
紀元前3400年頃のシュメール人はケシを「Hul Gil」と呼びました。
「至福をもたらす植物」という意味だそうです。
麻薬中毒者が味わう恍惚感がそのまま名前になったと思えてならないですが、実際アヘンを吸うと気分が高揚したり眠くなったり、何よりも痛みも気にならなくなる。
肉体の苦しみである痛みが消えるわけですから
「これは素晴らしい妙薬だ!」
と思ったのも無理ない話でしょう。
古代エジプトでは豊穣の女神イシスが、太陽神ラーの頭痛を治そうとしてアヘンを捧げたとも伝えられています。
神様までが使っている薬、そりゃプレミアムな代物でしょう(笑)
アヘンはやがて薬としてもてはやされるようになり、以前紹介した水銀やヒ素と同じく「万能の薬」「賢者の石」「不滅の石」として喧伝され、人気を博していきます。
200年頃の医者ガレノスは、アヘンはめまい、難聴、脳卒中、近視、腎結石、ハンセン病など、何でも治せると考えていたし、
11世紀のイスラムの医者イブン・スィーナーは、アヘンは痛風の痛みを緩和し、下痢の症状を穏やかにすると記していました。
■世界最古の睡眠導入剤
眠気を誘う効能からアヘンは不眠に効く薬としても用いられていましたが、なんと子どもの寝かしつけ用の薬にも使われていたんですね。
古代エジプトの医学文書には、泣き止まない子どもにはケシとスズメバチの糞を混ぜ合わせたものを与えると良いと書いており、
15世紀から20世紀までのヨーロッパでは子どもの夜泣きにはアヘンとモルヒネの調合薬が効くとされていました。
そうしてアヘンを飲まされて静かになった子どもの中に、二度と眠りから覚めなくなった子どもも多かったでしょう・・・。
また子どもだけでなく、子どもを世話する母親までもがアヘンに手を出してしまう問題も起こりました。
摂取量や製造に関する規制がない時代だったので、アヘンを飲み過ぎて依存症になったり、急性中毒で亡くなったりするのは日常茶飯事だったようです。
■モルヒネの登場
モルヒネはケシから精製されたアルカロイドの一種で、現在では鎮痛・鎮静の目的で用いられていますが、昔はありとあらゆる病にも投与されていました。
狂犬病、眼傷風、潰蕩、糖尿病、中毒、うつ病などの精神疾患などなど。
アメリカの南北戦争中には、ちょうどアレクサンダー・ウッド医師による注射器の発明後であったこともあり、大量のモルヒネが使われました。
皮下注射すればごく少量でも強い薬効が期待できたからです。
怪我の治療に大いに威力を発揮したと同時に、大量の依存症を生み出す結果となりました。
モルヒネの注射剤が頻繁に使用されため膨大な数の兵士たちがモルヒネ中毒に陥り、「兵隊病」「軍隊病」とも呼ばれていました。
■麻薬の王・ヘロイン
モルヒネがアセチル化されてできる化合物がヘロインです。
最強最悪の麻薬とされているヘロインですが、もともとはドイツの医薬品メーカーであるバイエル社から販売された鎮痛・鎮咳剤の商品名なんですね。
1874年、イギリスのチャールズ・ロムリー・オルダー・ライトという薬剤師が、依存性のないモルヒネを開発しようと試験を繰り返していました。
彼が合成したのはジアセチルモルヒネという物質でしたが、疲労感、眠気、恐れ、吐き気といった強力な作用のため実験を中止。
それから10数年後、ドイツの科学者ダンクヴォルトは別の合成法で同じ物質の合成に成功し、
その性質にエルバーツェルト色素製造工場・薬理研究所(バイエル社の前身)の化学者ハインリッヒ・ドレーザーが目をつけたのです。
ドレーザーはウサギやカエルで試験した後、バイエル社の社員たちにも治験に協力してもらったわけですが、中には力が湧いてきて「英雄になったような気分」だと喜ぶ者もいたそうです。
こうしてジアセチルモルヒネは「ヘロイン」と名付けられました。ギリシア語のヘロス(hḗrōs、ヒーロー)から来ています。
気管支炎、慢性の咳や喘息、肺結核に効果があるとされ、モルヒネの約8倍もの薬効を持ちながら依存作用がなく、副作用もない奇跡の薬として認識されました。
さらにアヘン依存症の治療薬として世界中でプロモーションされ、錠剤、粉薬、薬用ドロップといった形で売りさばかれたのです。
今では考えられないことですが、30年以上にわたりドイツでは自由に入手することが可能でした。
しまいには
「ヘロインは肌つやを良くし、気分を明るくし、胃腸の調子を整えてくれる。まさに、健康を維持するのに欠かせない番人です」
といった宣伝文句も飛び出してくるまでになります。
しかしアヘンやヘロインなど麻薬の危険性が世界的に認知され、反アヘン運動が高まっていきました。
その結果、1912年に万国阿片条約がアメリカ、イギリス、日本、清国、ドイツ帝国、フランス、ロシア帝国、イタリア、イラン、オーストリア・ハンガリー帝国、オランダ、シャム、ドイツ、ポルトガルによって調印されます。
これは薬物統制に関して定めた初の国際条約で、アヘンだけでなく、モルヒネやコカイン、またそこから派生した薬品も統制の対象となりました。
これを受けてバイエル社は1913年にヘロイン製造を中止、ドイツでは1921年に批准されるとヘロインは麻薬に指定され回収されます。
アメリカでも1914年にハリソン麻薬法が制定されて、ケシやコカを主原料とする麻薬の輸入、取引、販売が禁止され、1924年には医薬品としてのヘロインは取り消されました。
当時アメリカではヘロイン常用者が20万人に上ると言われ、抜き差しならない社会問題となっていたのも背景にありました。
世界規模で人類をかき回した麻薬があるとすれば、それはアヘンと言えるかもしれませんね。
以上、大禅ビル(福岡市 舞鶴 賃貸オフィス)からでした。