建築史シリーズ ロマネスク建築
弊社、大禅ビルが行っております貸しビル業は、本質的には空間に付加価値をつけていくプロデュース業だと考えています。
そのような仕事をさせて頂いている身ですから、建築やインテリア、ファッションといったデザイン全般にアンテナを張っており、
そこで得たヒントやインスピレーションを大禅ビルの空間づくりに活かすこともあります。
とは言え、私は専門的にデザイナーとしての教育を受けたことはありませんから、本職の方々と到底比べられません。
本物のデザイナーというのは、既存の概念を超越するような美を生み出すアーティストに近い存在と言ってよく、その足跡の後には全く新しい地平が拓けていくものだと思っています。
このシリーズではそうしたデザイナーたちが紡ぎ上げてきた建築の歴史を中心にご紹介していきます。
◯プレ・ロマネスク建築の誕生
今回ご紹介するのはロマネスク建築。
ゴシック建築に先立ち、10世紀末から12世紀にかけて西欧に広まったキリスト教美術様式です。
古代ローマ・ゲルマン民族などの様式に東方の影響も加わったもので、特に重厚な教会堂建築に代表されます。
建築史において大変重要な潮流の一つです。
ロマネスク建築を語る前に、それへと繋がる貴重な橋渡しとなるプレ・ロマネスク建築についてご紹介します。
5~10世紀の中世前期の西欧社会・経済は安定せず、文化的にもビザンツ帝国の方が洗練されていました。
建築活動も停滞気味だったため、西欧は建築不毛な時期でもありました。
そのような背景で登場したのがプレ・ロマネスク建築です。
751年にカロリング朝が成立します。
やがて偉大な支配者シャルルマーニュ国王によって、新しい時代の幕開けとなりました。
カロリング朝は西欧の大部分を文化的・政治的に統一して、西欧世界の基礎を築いていったのです。
この頃の西欧建築は古代建築をベースにしたもの、あるいは修道院建築でしたが、ほとんど現存していません。
そこで、7~10世紀の建築をプレ・ロマネスク建築と呼んで、ロマネスク建築と区別しています。
そんな中でも初期キリスト教建築からの変化や、西構えといった新しい要素も芽生えます。
◯プレ・ロマネスク建築の5つの特徴
初期キリスト教建築からプレ・ロマネスク建築への変化として、以下の3つが挙げられます。
・洗礼するための空間だった洗礼堂は、建築の簡略化のため洗礼が教会堂内で行われるようになると、なくなっていきます。
・それまで隣接して建てられていた墓廟が地下祭室として教会堂内に取り込まれます。
・カロリング朝の希少な遺構コルヴァイ修道院には「西構え」という半独立の多層な礼拝空間が西側に組み込まれ、2つの塔がそびえる形になります。
教会は「天上の都」ゆえに塔を使ってふさわしい形態を求めたこと、また皇帝の力を誇示する堂々たる姿を表現することが狙いでした。
西構えの登場で、それまで印象の薄かったバリシカ式教会堂のファサードは、一気に重厚かつ威厳あるものに進化しました。
また初期キリスト教建築時代、鐘塔は教会堂のそばに独立して建っていましたが、西構えをきっかけとし、以降、ロマネスク建築やゴシック建築には欠かせない要素となっていきます。
ロマネスクでは、1塔~3塔式など塔をできるだけたくさん、あるいは華やかに建てることが理想とされました。
一方のゴシックでは、2塔式が定番となっていくところがポイントです。
プレ・ロマネスクはロマネスクへの過渡期だったがゆえに、シャルルマーニュ国王がつくったプレ・ロマネスク建築のアーヘン大聖堂には、前述したさまざまな要素が入り込んでいます。
シャルルマーニュ国王は、先祖代々のゲルマンの伝統と、理想とした古代ローマ、東の先進国ビザンツ帝国、護るべきキリスト教の教えを調和させようとしました。
プレ・ロマネスクが数百年かけた形と技術の実験は、地方ごとの特色を見せながらロマネスクへと結実していきます。
◯ロマネスク建築へ
1000年頃、フランスやイタリアを中心に、つぎつぎと教会が建てられていきました。
経済・政治的に力を復活させた王朝や公国の世俗権力が宗教権力に結びつき、建設活動を展開したためです。
また、この頃の人々は至福千年思想(キリスト降誕後千年に当たり、世界の終末がその年にあるのではと思われていました。
それゆえ聖なるものへの志向が定着し、天国への憧れ、聖地巡礼ブームを巻き起こし、ロマネスク建築を競い合うように建立することにつながったのです。
ロマネスク建築の特徴は主に5つに挙げられます。
・半円アーチの多用・・・古代ローマによく見られた半円アーチを多用します。ちなみに、ロマネスクとは「ローマ風の」という意味だそうです。
・石造ヴォールトの進化・・・ローマやプレ・ロマネスクからヴォールト(かまぼこ型を特徴とする天井様式)を進化させました。バシリカで木造だった天井は、石造ヴォールトの導入で壁・天井が一体となります。
・ずっしりとした塊の構造体・・・石造ヴォールト天井は重いため、支える壁はより厚くなります。バットレス(控壁)を使うことあります。壁が構造体なので、大きな窓は開けられません。
・バシリカ式平面の進化・・・流行した巡礼の対応、地下祭室、西構えなどの要素の増加に加え、各部の寸法や比例を美しく整えるため、平面を進化させました。
・オーダーからの壁の建築への移行・・・壁面分節の美学を意味します。古代ギリシア建築では石柱や梁構造は構造体であったのに対し、ロマネスク建築では石柱と同化した壁が構造及び装飾の両機能を兼ねるようになります。
壁面分節は開口、そして開ロと壁面を分けるドッスレー、シャフト、交差ヴォールトといった線的要素によってなされています。
ロマネスク建築の特徴は以後、ゴシック建築へ向けて進化を続けます。
加えて、地域ごとの特色が現れてくるようになります。
例えばドイツ・ベルギー・オランダなどでは西構えや二重内陣を採用した大規模ロマネスク。
イタリアのロマネスクは華やかで色彩に富み、ロンバルディア帯(軒の直下に連続する小アーチからなる装飾)が特徴的です。
◯ドイツのシュパイヤー大聖堂
西構え、多塔、ロンバルディア帯を備えたロマネスク建築の代表作がシュパイヤー大聖堂です。
外観は圧倒的な量塊にドームや八角塔、階段塔、さらに大きく突き出したトランセプト(袖藤、身廊の交差部を合わせた全体)
アプスの半円によって明快かつ豪壮な姿態となっています。
内部でもその性質は同一です。
そして、シュパイヤー大聖堂のベイ(柱、アーチなどによって区切られた壁、窓やヴォールトのひとまとまり)は面積が格段に大きいので、当時の最高レベルの技術をもってしても施工は困難を極めたそうです。
中世で政治の停滞に伴い建築行為も停滞したために、大きな石などの加工・運搬は困難でした。
そのため、小さな石材の組み合わせによる壁や壁柱で教会堂をつくっていったのです。
ロマネスク建築は、壁や塊から光のための開口部をくり抜いて作る建築行為の始まりでもあります。
なので、それまでのオーダーの円柱から壁柱への移行という変化は大変重要なのです。
以上、大禅ビル(福岡市 舞鶴 賃貸オフィス)からでした。