デザイナーたちの物語 ジェームズ・スターリング
弊社、大禅ビルが行っております貸しビル業は、本質的には空間に付加価値をつけていくプロデュース業だと考えています。
そのような仕事をさせて頂いている身ですから、建築やインテリア、ファッションといったデザイン全般にアンテナを張っており、
そこで得たヒントやインスピレーションを大禅ビルの空間づくりに活かすこともあります。
とは言え、私は専門的にデザイナーとしての教育を受けたことはありませんから、本職の方々と到底比べられません。
本物のデザイナーというのは、既存の概念を超越するような美を生み出すアーティストに近い存在と言ってよく、その足跡の後には全く新しい地平が拓けていくものだと思っています。
◯戦後イギリス建築界の巨匠
今回ご紹介するのはジェームズ・スターリング。
戦後イギリス建築界で最も重要な建築家の一人です。
スターリングは建築家としてのキャリアをスタートさせた1950年代から、1992年に死去するまで、
時期によって作風が微妙に変化し続けたため、歴史的に振り返ってみると特有の「わかりにくさ」がある建築家でもあります。
活動初期に設計したレスター大学、ケンプリッジ大学、オックスフォード大学の3つの校舎建築は「レッド・トリロジー」と呼ばれ、赤いレンガとガラスの粗い素材感が全面に押し出されています。
19世紀イギリスの工場建築にも似たこれらの作品は、白い平滑な壁を特徴とする抽象的なモダニズムとは異なる、「ブルータリズム」の美学として高く評価されました。
一方、活動後期に手がけた一連の美術館建築では、歴史的建築を参照引用することでプランやディテールを設計するポストモダニズムの手法や、
既存の建築物や周辺の都市環境との関係性を重視する「コンテクスチュアリズム」の姿勢が垣間見られました。
このように作風に振れ幅のあるスターリングですが、あえて一貫性を見出そうとすれば、さまざまで異質な要素を積極的に取り込む、折衷主義的な創作態度と言えます。
近代の巨匠建築家たちはトレードマークとなる独自の「イズム」を一から創造することを求めたのに対し、スターリングはむしろ歴史や伝統という大きな流れの中で、自身の作家性を形成しようとしました。
◯大学建築で一躍有名に
スターリングは1926年にグラスゴーで生まれました。
スターリングがまだ乳児の頃、一家はリバプールに引っ越します。
第二次世界大戦ではパラシュート連隊に所属していたそうです。
ノルマンディー上陸作戦に従軍し負傷、傷病兵士のための特別奨学金により進学します。
戦後、1945年から1950年までリバプール大学で建築を学び、ロンドンのいくつかの事務所で働いた後、自分の事務所を設立しました。
1952年から1956年まで、ロンドンのライオンズ・イスラエル・エリス社に勤務し、そこで最初のパートナーであるジェームズ・ゴーワンと出会います。
ライオンズ・イスラエル・エリスは、当時、戦後最も影響力のある事務所の一つとされており
アラン・コルクホーン
ジョン・ミラー
ニーヴ・ブラウン、スー・マーティン
リチャード・マコーマック
などの著名な建築家が福祉国家のための建築に力を入れていました。
スターリングは、ペッカム・ガールズ・コンプリヘンシブ・スクール(Peckham Girl’s Comprehensive School)をはじめとする数多くの学校建築を手がけました。
1956年、スターリングとジェームズ・ゴーワンは、ライアンズ・イスラエル・エリスを辞め、スターリング&ゴーワンとして事務所を設立しました。
彼らの最初の建設プロジェクトである小規模な個人アパート「ランガム・ハウス・クローズ」は、ブルータリズムな住宅建築におけるランドマークとみなされましたが、これは両建築家が否定した表現でした。
スターリングとゴーワンの協業によるもう一つの作品がレスター大学工学部です。
このプロジェクトにより、スターリングは世界中の人々に知られるようになりました。
1963年、スターリングとゴーワンは別れ、スターリングはオフィスアシスタントのマイケル・ウィルフォードを連れて独立。
ケンブリッジ大学の歴史学部図書館と、オックスフォード大学クイーンズカレッジのフローリービル宿泊棟という2つの重要プロジェクトを監督しました。
1970年代に入ると、スターリングのプロジェクト規模はあまり利益にならない小規模なものから大規模なものへと移り始めます。
彼の建築はモダニズムを色濃く残しながらも、より明確な新古典主義的になっていったのです。
1970年代からスターリングとウィルフォードの活動が世界的に拡大していく中で、アメリカでは、
テキサス州ヒューストンのライス大学建築学部の増築棟
マサチューセッツ州ケンブリッジのハーバード大学アーサー・M・サックラー美術館
ニューヨーク州イサカのコーネル大学シュワルツ・センター・フォー・ザ・パフォーミング・アーツ
カリフォルニア大学アーバイン校バイオロジカル・サイエンス・ライブラリー
の4つの重要な大学建築を完成させています。
ロンドンのテート・ブリテンにあるターナー・コレクションのためのクローア・ギャラリー、テート・リバプールなど、生まれ故郷のイギリスでも重要な仕事を次々と任されました。
彼の死後、1996年にイギリスで彼の名前を冠した建築賞「スターリング賞」が創設され、毎年開催されています。
◯スターリングの代表作
レスター大学工学部棟
「レッド・トリロジー」のにあたる作品。
ガラスのノコギリ屋根に覆われた実験棟と、赤レンガとガラスが皮膜する高層のオフィス棟·研究至棟が機能主義的に融合しています。
高層棟の部分ごとに形態を突き出す意匠は、ロシア構成主義のメーリニコフからの影響とされています。
シュトゥットガルト州立美術館新館
スターリング後期の代表作。
シンケルのアルテス・ムゼウムをもとにした円形中庭を中心にもつ、古典主義的プランをベースに、曲面ガラスやカラフルな手摺などの多彩な造形が各部にコラージュ的に展開されています。
旧美術館棟や前面道路、背面の住宅地との動線計画も周到に考慮されています。
ケンブリッジ大学歴史学部ビル
名門ケンブリッジ大学の歴史図書館です。
現在、図書館には300人以上の学生が在籍し、95,000冊以上の蔵書が収められています。
閲覧室の上にある天窓はデザインの重要なデザインであるが、建物の外からは見えません。
ちなみにこの建物は、建築を学ぶ学生には賞賛されていましたが、その中で働く人にはあまり評価されていないそうです。
どうやら室内の居住性はあまり宜しくなかったようで、明るすぎること、夏は暑すぎること、冬は寒すぎこと、さらに雨漏りといった点が指摘されていました。
そしてこれらを改善するには高い改修コストも必要で、1984年には建物全体を取り壊すかどうかどうかの議論までなされそうです。
以上、大禅ビル(福岡市 舞鶴 賃貸オフィス)からでした。