デザイナーたちの物語 ジェルメン・ボフラン
弊社、大禅ビルが行っております貸しビル業は、本質的には空間に付加価値をつけていくプロデュース業だと考えています。
そのような仕事をさせて頂いている身ですから、建築やインテリア、ファッションといったデザイン全般にアンテナを張っており、
そこで得たヒントやインスピレーションを大禅ビルの空間づくりに活かすこともあります。
とは言え、私は専門的にデザイナーとしての教育を受けたことはありませんから、本職の方々と到底比べられません。
本物のデザイナーというのは、既存の概念を超越するような美を生み出すアーティストに近い存在と言ってよく、その足跡の後には全く新しい地平が拓けていくものだと思っています。
◯ロココ様式の旗手
今回ご紹介するのはフランスの建築家、ジェルメン・ボフランです。
一時代を画したロココ様式の代表的人物です。
ロココ様式とは何か?
フランスの太陽王ルイ14世後のフランスにかけて展開し、ヨーロッパ全域に多大な影響を与えた芸術の潮流です。
「ロカイユ」と呼ばれる装飾の名前に由来し、ゴシックやバロックが建築の様式であったのに対し、ロココは軽快な華やかさをもつ装飾の様式です。
親しみやすい繊細さ、淡い色調、壁面を柱ではなく、曲線を使った額縁によって分節するところに大きな特徴があります。
宮廷のほか、貴族や裕福な市民のサロンで流行し、特に1710年頃から盛んに建てられました。
そうした宮殿や邸宅を多く手掛けたのがボフランでした。
◯知られざる建築家
フランスのナント地方で建築家の息子として生まれたボフランは、1681年にパリに行き、フランソワ・ジラルドンのアトリエで彫刻を学んだ後、ジュール・アルドゥアン=マンサールの事務所に入り、師事します。
叔父のツテでパリの貴族や宮廷がお得意様となり、ヴェルサイユ宮殿やヴァンドーム広場にも関わっていました。
1694年から1709年にかけて、ボフランはパリ、ロレーヌ地方、オランダなどで個人宅や小さな宮殿の建築や改造を手がけました。1709年には王立アカデミーの会員となります。
1725年に現パリ国立文書館楕円ホールの増改築、リュネヴィルにも携わり、また後にルイ15世広場の設計コンペにも参加しています。
1745年『建築書』を出版、1754年に亡くなります。
ボフランは、ルネッサンス期以降のフランスで好まれてきた厳格な古典主義ではなく、フランチェスコ・ボロミーニらのイタリアン・バロックを取り入れ、しなやかなロココ様式を体系化して広めました。
しかし、ボフランがパリなどで建設した作品はほとんどが資料を失うか、取り壊されてしまったため、残念なことに彼の業績を語る証拠はほとんど残っていません。
◯ロココ様式がどこから生まれたか?
ここでロココについてもう少し詳しく解説します。
ロココはフランス語のロカイユ(rocaille 岩)に由来し、バロック時代の庭園に造られた洞窟の岩組でした。
それが転じて、曲線を多用する繊細なインテリア装飾をロカイユ装飾と呼ぶようになりました。
植物の蔦、骨、貝殻、サンゴ、波しぶき、タツノオトシゴを思わせるが、特定のモチーフを描写しているわけではなく、非対称形の抽象彫刻なのです。
自由な曲線を複雑、優美に配し、天井周りに多く使われ、先述のように、壁と天井の境界が明確でなくなるのがロココの特徴となっています。
この室内装飾の要素の一つがロココ様式と呼ばれるようになったわけですが、逆に言えばバロック様式との違いはこの装飾くらいなので、バロック様式との線引きは曖昧です。
ロココ装飾の素材は木材やストゥッコです。
ストゥッコとは吹付材の一種で、セメント系などを仕上塗材として外壁表面などに吹き付け、コテやローラーなどで表面に凹凸模様をつける手法が用いられています。
こうしたロココ装飾が主流になる前はゴシックの古典装飾がほとんどでしたが、その堅苦しい古典装飾に飽きた人々にとって、ロココ装飾の曲線の斬新さは心惹かれました。
ロココ建築以前はオーダーといって、柱と梁の関係を規定する基準に則った様式が一般的でした。
ただ、ロココ建築ではそのオーダーが用いらなくなったため、壁はパネルの連続となり、壁や天井の境目が曖昧になり、曲線が滑らかに移行するようになりました。
宗教的な文脈背景として、カトリックの締め付けからの人間性の解放を表現するルネサンス様式と、宗教芸術をより簡潔に解りやすくする表現するためのバロック様式があります。
そこへ18世紀に新たに登場した王侯貴族の文化では、バロックの様式をベースに、カトリックの宗教色をより薄めて、柔らかな曲線と煌びやかな色彩を多用した様式がロココ様式であったわけです。
ロココ様式はヨーロッパ各国の宮廷芸術に大きな影響を与えました。
従来の大きな広間よりも小さな部屋の快適さが好まれ、ロココ様式があしらわれた宮廷は優雅な社交の場となりました。
一方、ルイ16世時代になると、ロココ様式の過剰な装飾性に対する反動として荘厳さや崇高美を備えた建築を模索する新古典主義という潮流が生まれました。
◯ロココ建築の代表的な建物
ボフランの作品ではありませんが、ロココ様式で有名な建築をいくつかご紹介します。
ヴェルサイユ宮殿王室礼拝堂
ルイ14世治世下に建てられたバロック建築ですが、宮殿内の王室礼拝堂はロココ様式です。
ルイ16世とマリー・アントワネットの結婚式もここで行われました。
シェーンブルン宮殿内装
ウィーン郊外にあるハプスブルク家の離宮です。
1695年にオーストリアのレオポルド1世がハプスブルク家の狩猟の森に建て、その後女帝マリア・テレジアが改築を施し、彼女が居城として用いました。
内装はロココ様式で統一され、絶大なる勢力を誇ったハプスブルク家の栄華を示す建物です。
ヴィース巡礼教会
ドイツのヴィースにあるロココ建築の最高傑作といわれるキリスト教教会です。内部の天井画は圧巻の一言。
1745年から54年にかけてヨハン・バプティストとドミニクス・ツィンマーマンによって建てられました。
◯室内装飾の傑作中の傑作
ボフランが遺したロココの傑作「オテル・ド・スービーズ館」。
その部屋はヨーロッパで最も美しいといっても過言ではありません。
規則的な平面の中、 1階にあるオルレアン公のサロンとその直上にある公妃のサロンだけが楕円形の平面となっています。
公妃のサロンは、ゆったりとした曲線で縁取られた淡青色の円蓋天井を8つの柱が支えています。表面は華やかな金色の額縁で彩られており、量感をあまり感じさせない。
柱の間のアーチは3面が鏡、4面が窓で、残りの1つが扉になっています。
オテル・ド・スービズのインテリア・デザインはボフランの最後の、そして最も重要な仕事でした。
バロック全盛期にあっても古典主義の精神を貫いたフランスらしく、 外観は抑制の効いた簡素な佇まいですが、ボフランの手がけた室内装飾は一転して豪華そのもの。
外観と内観の風貌のギャップがボフラン流と言えそうですね。
以上、大禅ビル(福岡市 舞鶴 賃貸オフィス)からでした。