デザイナーたちの物語 ロバート・ヴェンチューリ
弊社、大禅ビルが行っております貸しビル業は、本質的には空間に付加価値をつけていくプロデュース業だと考えています。
そのような仕事をさせて頂いている身ですから、建築やインテリア、ファッションといったデザイン全般にアンテナを張っており、
そこで得たヒントやインスピレーションを大禅ビルの空間づくりに活かすこともあります。
とは言え、私は専門的にデザイナーとしての教育を受けたことはありませんから、本職の方々と到底比べられません。
本物のデザイナーというのは、既存の概念を超越するような美を生み出すアーティストに近い存在と言ってよく、その足跡の後には全く新しい地平が拓けていくものだと思っています。
◯ポストモダニズムの牽引者
今回ご紹介するのはアメリカの建築家、ロバート・ヴェンチューリです。
「Less is more(少ないことは豊かである)」というモダニズムの潮流に対して「Less is bore(より少ないことは、退屈である)」と言い放ったヴェンチューリは、
象徴性や装飾性を重要視した作品や著作を発表し、ポストモダニズムを牽引した建築家として知られています。
ヴェンチューリは単純性·純粋性·普遍性·空間性を重視するモダニズム建築の美学を退屈な建築と喝破し、
複合性、装飾性、趣味性といった概念の重要性を説き、建築をより多様で大衆に開かれた存在にすることを目指しました。
彼のこうした態度は建築作品とともに『建築の多様性と対立性』『ラスベガス』という二冊の著作でも表れています。
特に『ラスベガス』で取りあげられた「装飾された小屋(独立した装飾が施された建物のこと)」と
「あひる(アメリカに実在するあひる型の店舗。内部空間や構造が機能的に役に立たない形で作られた建物のこと)」
という2つの建築は、建築の形態と機能をイコールで結ぶ近代機能主義に対するアンチテーゼとなっています。
◯モダニズムとポストモダニズムの違い
モダニズム建築以前のバロック様式などに代表される古来伝統な西洋建築では、重厚な石や華麗な装飾が美の表現の主流でしたが、
合理性と機能性にこそ建築の美が宿るとするモダニズム建築の潮流が近代になって生まれ、室内空間を最大限活用できるシンプルで直線的な構造、
採光に優れた広い窓、機能性と合理性に寄与しない装飾を省くといった率直な建築が戦後もてはやされるようになります。
しかしそのモダニズム建築に対しても異を唱える潮流がやがて生まれてきます。
「結局モダニズムは機能性、合理性が大事だと言いながら、配管のような機能性と合理性を作る構造物を隠したり、
窓を比例関係で形を整えたりして、わざわざ手間をかけて美を演出している。これは欺瞞ではないか?」
「機能的、合理的な構造物が例え醜くても、外に現れていた方がむしろ誠実ではないか?」
そうしたモダニズムへのアンチテーゼとしての「ポストモダニズム」の潮流が1960年代頃から出てくるようになったのです。
以前ご紹介したレンゾ・ピアノのポンピドゥー・センターなどもポストモダニズムに位置づけられる作品と言えますね。
◯日本に建つヴェンチューリ建築
ヴェンチューリはアメリカ・フィラデルフィアのイタリア系移民の家系に生まれ、クエーカー教徒として育てられました。
1947年にノーベル賞受賞者を多数輩出する名門プリンストン大学を首席で卒業。
仕事を経て、1954年にはローマに留学、1966年からイェール大学教授を務め、1991年に建築界の栄誉であるプリツカー賞を受賞します。
彼の作品を見てみましょう。
「ギルドハウス」
お年寄り向け集合住宅です。レンガ張りのファサードは、黒大理石の円柱、穴あき鋼板の手摺、 アイキャッチとなる巨大な看板とアーチ窓、屋根上のアンテナといった、
古典から現代までの雑多な要素によってにぎやかな印象を表現しています。
「メルパルク日光霧降」
こちらはヴェンチューリ唯一の日本の作品となっています。
栃木県日光市につくられた旅館建築。ファサードの切妻屋根や垂木、ヴィレッジ·ストリートと呼ばれるロビー空間の提灯や公衆電話、郵便ポストの装飾パネルなど、日本の記号的表現が随所に展開されています。
ヴェンチューリは日本の庶民生活の活力と知恵を、象徴的な要素によって呼び覚まされる意味を通じて表現し、建物を全体として豊かなものにする意向がありました。
◯代表作・母の家
頂部が割れた切妻屋根、軸線からずれた煙突、シンメトリーに設置された田の字形窓とモダニズムの水平連続窓など、
アメリカの典型的住宅をベースにさまざまなデザインが対立・併存するポストモダニズム建築の代表作です。
閑静な広い住宅地のなかに建つ単純な形をしたこの住宅は、いくつもの仕掛けが施され、あちこちに記号が隠されています。
切妻屋根は真ん中に切れ込みが入っており、家の正面は左右対称かと思いきや、左側は子どもの絵のような正方形の窓、右側にはモダニズムの象徴、コルビュジエの窓を連想させる水平横長窓が設えています。
室内では階段が暖炉に食い込んでいたり、外から大きな煙突のように見えていたものが、実は2階の部屋の壁だったり、玄関扉は住宅正面の中央にあるように見せかけて、実は側壁に付いていたり。
暖炉はアメリカの普通の家にあるものですが、この家では暖炉も煙突も誇張された大きさになっています。
極め付けは、2階のどこへも行けない行き止まり階段!「建築=機能」という常識からしてありえない設計です。
この建物そのものが、建物全体に一貫した合理性を追求したモダニズムに大きな疑問を投げかけるものです。
一方で、ヴェンチューリが母のために建てたこの家は、暖炉を中心に母好みのアンティーク家具を並べ、1階で生活が完結するようにも配慮されています。
◯フォーマットよりもアーティスティックに
商業的なモダニズム機能主義は空虚であるとし、批評を加えたヴェンチューリは、モダンニズム運動の前提条件に疑問を呈した最初の建築家の一人です。
彼の建築は、彼の著書ほどあまり知られていないのかもしれませんが、1960年代に広く実践されており、
陳腐なモダニズムと建築史から知見を率直に引き出し、アメリカの都市の日常的な文脈に取り入れ、アメリカ建築を転換させるのに一役買ったのです。
ヴェンチューリにとって、建築の要素は全て予めフォーマット化された機能的なものであるべきではなく、より動きを伴う芸術に見出されるものであるとしました。
規格統一しようとする典型的なモダニズムのアプローチとは対照的です。なので、ヴェンチューリの初期の作品は雑多にも思える多様なデザインが特徴的で、
非対称性やポップなスタイルの図形や幾何学的意匠など、当時の建築手法からすれば常識外れにも思える表現の数々で世間を驚かせました。
ヴェンチューリの建築はやがて影響力を持つようになり、1960年代後半からは、割れた切妻屋根、分割アーチ型窓といった表現が普及していくのでした。
実はヴェントゥーリはつい最近までご存命で、2018年にアルツハイマー病の合併症のためフィラデルフィアで亡くなっています。93歳でした。
彼のような人を傾奇者というのかもしれませんね。
以上、大禅ビル(福岡市 舞鶴 賃貸オフィス)からでした