医療の歴史・瀉血
今日のように、病原菌を遺伝子レベルで把握し、ワクチンや抗生物質、薬や手術の開発ができるようになるまでに、それこそ神頼みの時代から長い年月にわたる試行錯誤がありました。
前にご紹介した水銀しかり、ヒ素しかり、今の常識では考えられないような医療が有効だと信じられていたケースも過去にはありました。
そうした先人たちの悪戦苦闘の積み重ねが、今日の最新医療を成す土台になっているに違いありませんが、それにしてもびっくりを通り越して笑ってしまうような医療がたくさんあります。
今回は引き続きそうしたびっくり仰天な医療の歴史をご紹介していきたいと思います。
■モーツァルトの死因
天才音楽家と讃えられたモーツァルトは晩年、著しく体調を崩していました。
全身のむくみと高熱、ひどい時は激しい嘔吐、頭痛、貧血、下痢、関節炎に悩まされ、「自分を嫉妬する敵に毒を盛られた」と本人は思い込んでいました。
実際の死因は「リューマチ性炎症熱」であったと考えられていますが、彼を一気に死に追いやったのは「瀉血」だとも言われています。
瀉血とは「人体の血液を外部に排出させることで症状の改善を図る」という、当時では一般的だった医療法。
体内にたまった不要物や有害物を血液と共に出すのが目的です。
これは紀元前の古代ギリシアの医師・ヒポクラテスが唱えた四体液説に基づいた治療法で、人間の体液は「血液、粘液、黄胆汁、黒胆汁」の4つから成り、そのバランスが崩れると病気になるとされていました。
だから悪い体液を排出すれば自然治癒が促され、体液バランスが整い、健康になると。
そうしてモーツァルトは2リットルもの血液を抜き取ら、1週間後に亡くなります・・・。
■とりあえず血を抜こう!
「血液は生命維持に必要不可欠で、際限なく体外に出すのは命を危険に晒す」
と、分かったのは人体生理学や病理学が発展した近代になってからです。
瀉血を最初に行ったのは古代エジプトだと言われています。紀元前1500年頃も昔。
古代ローマでは女性の月経は体内の毒素を排出しようとする自然な作用だと考えられていたため、健康維持=血液排出という概念に繋がったのかもしれません。
また漢王朝の文書には、血液が「よどむ」過程や、「朽ちた」古い血液を取り除く方法が記されています。
紀元前3世紀には既に瀉血が盛んに行われるようになり、やがて万病に効く療法ともてはやされるようになります。
古代ローマの医師、ガレノスなどはどんな不調も瀉血で治るとさえ主張していました。なんならちょっと貧血なくらいが健康だとされていたようです。
中世から18世紀末頃にかけて、欧米ではとにかくなんでも瀉血、瀉血でした。
「熱が出れば瀉血」「下痢をしても瀉血」「せきが出ても瀉血」といった具合で、毎日のように患者の血を抜き、他に何もしないというような医師も多かったようです。
ファッションと同じように、医療も一旦流行すれば徹底的に流行るということなのでしょうか。
■三色サインポールの由来、知ってます?
理髪店の三色のサインポール。
今では目にすることも少なくなりましたが、このサインポールの由来に関して、一つの説として瀉血と関係があると言われています。
古代ローマの時代、剃髪師と呼ばれる職業の人は整髪に加え、爪やたこを切ったり、虫歯を引き抜いたりと、外科医のような仕事も兼ねていました。
さらに中世のヨーロッパでは理容サービスに加え、手足の切断手術(!)、ヒル療法、おできの除去、そして瀉血も処置するようになり、別名「床屋外科」とも呼ばれていました。
理容店のサインポールの由来に関してはっきりと書物で残ってないものの、その業務内容からいつしか「赤は動脈(または血液)、青は静脈、白は包帯(または止血)」といった由来が唱えられるようになります。
これはよく知られている方の由来です。もう一つの説は瀉血から来ています。
瀉血の際に血が出やすくするために患者に棒きれを握らせていたそうで、その棒がサインポールの原型だとする説です。
このサインポールを店頭に掲げて「うちで瀉血できますよ!」と、昔の理髪店はお客の呼び込みをしていたのかもしれません。
■瀉血の犠牲者たち
瀉血で命を落とした有名人はモーツァルト以外にも多い。
例えばアメリカの建国の父であり、初代大統領のジョージ・ワシントン。
1799年12月12日、ワシントンは雪の中の見回りから帰宅し、濡れたまま着替えもせずに食卓に座り、翌朝目覚めると悪寒と発熱があり、思うように呼吸できなくなったそうです。
化膿性扁桃腺炎という咽喉感染症の病気で、これが急性の喉頭炎と肺炎に変わり容態が急変、翌日の12月14日に自宅で亡くなりました。
しかし亡くなる前に主治医による瀉血が大量に行われ、失血ショックと脱水症で死んだのではないかとも言われています。
それからイングランド王、チャールズⅡ世。
ひげを剃っていたときに発作で倒れた彼に対し、侍医たちは静脈まで切開して大量の瀉血を繰り返し行い、結果チャールズⅡ世は血をほぼ抜き取られてしまい亡くなりました。
延命措置が絶命措置になったようなものですね。
イギリスの詩人バイロン卿は風邪をこじらせ、瀉血しようとした医師と全力で拒否するが、半ば無理矢理に1リットル以上の血を抜かれたために症状が悪化し、まもなくして死亡。
「もっと早く瀉血していれば何とかなったのに」
と、医師たちは既に帰らぬ人となってしまったバイロン卿を非難したという。
■瀉血の現在
医療の進歩に従い、瀉血も根拠のない医療法として排除されるようになりますが、逆に医療の進歩によって、一部の症例に対する瀉血の有効性も証明されています。
一つは血液細胞が必要以上に作られてしまう真性多血症。
真性多血症は頭痛やめまい、倦怠感を伴いますが、これらの症状は瀉血により血中の赤血球を減ずることで軽快するそうで、基本的な治療の一つとされています。
それからC型肝炎。C型肝炎に関しては、体内に異常蓄積された鉄分を減らすため、食事療法と並行して瀉血療法が行われることがあります。
というのもC型肝炎では、肝臓に蓄積された鉄分により活性酸素が発生し、肝炎症状の悪化を招きます。
ヘモグロビンに含まれる形で鉄を体外に排出し、体内の鉄の総量を減らす瀉血は対症療法として有効とのこと。
接合手術後に瀉血処置が施されることもあります。
切断された四肢の接合手術後に、接合された部分に血液が循環せずにうっ血する場合があり、
そこで接合部分の傷口にヒルを当て血液を吸わせることで接合した部分の血液循環を促進させ、循環不良による壊死を防ぐという治療法です。
ヒルを使った瀉血も歴史が古いわけですが、ヒルの唾液には血液の凝固を防ぐ作用があるため、緩やかな出血が長時間続き、失血ショックになることも、輸血が必要になることもありません。
またヒルによる瀉血はナイフで血管をバサッと開いて瀉血するのと違って、体組織に与える損傷が少ないので、意外と優秀な医療アイテムなんですね。
私も美容室を使いますが、時代が違えば髪の毛セットついでに血を抜かれていたのかと思うとぞっとします・・・とほほ。
以上、大禅ビル(福岡市 舞鶴 賃貸オフィス)からでした。