エストニア・支配の歴史の中で培われたしたたかで我慢強い国民性
エストニアの歴史を紐解くと本当に胸がきゅっと締め付けられる気持ちになります。
エストニアはロシアやドイツなどの強国に挟まれていたため、長きにわたり戦乱の巻き添えを被ってきました。
1918年2月24日に独立を果たしたものの、ロシア革命の勃発とドイツ軍の侵攻という時代環境の中、初っ端から苦難の歴史を歩むことになります。
独立宣言の翌日にはドイツ軍にタリンを攻め込まれ、第一次世界大戦が終結する1918年11月まで占領を受けることになります。
そして大戦終結してわずか10日後に今度はソビエト赤軍が侵攻、首都タリンを除くエストニアの大部分が占領されます。
エストニアは軍の再編・強化を行い、またイギリスやフィンランドからの支援もあって、1919年に赤軍を全国から撤退させることに成功します。
が、同年の5月に今度は「バルト全域でのドイツ人統一国家の建設」を掲げるドイツ義勇軍が侵攻してきます。
激しい戦闘の末、6月23日にエストニアは勝利を収め、この日は現在も戦勝記念日として祝日とされています。
エストニアが実質的に独立を獲得するには1991年まで待たなくてはいけませんでした。
できたばかりのよちよち歩きの国家にも関わらず、容赦なくシビアな環境にさらされてきたのです。
そうした歴史のためか、聞く所によるとエストニア人の国民性は
1.計画を立てるのが苦手
2.責任感は高い
3.議論では断言せず、とりあえず結論は先送り。自分の意見には自信はあるが初めから手の内は見せない
4.シャイ
5.親日家が多い
6.勤勉
7.誠実
ちょっと日本の国民性と通じる所が多々ありますね!!
もちろん、これはあくまでも通説に過ぎないのですが・・・
次回は、エストニアに親日家が多い理由をとある日本の偉人から紐解きます。
この偉人のおかげで、エストニアに限らず数多くのヨーロッパの国々が今も日本に好印象を抱けています
特に、エストニアと同じバルト三国の一カ国であるリトアニアにはこの方の記念館まで設けられています。
同じ日本人として誇り、有難みを感じると同時に、これほどのお方だったのかと、知らなかった自分を恥じました・・・。
以上、大禅ビル(福岡市 大名 貸事務所)からでした。