家具の街・大川
以前関わったプロジェクトで、思いのほか深くご縁ができた福岡県大川市。
今回はそんな大川市についてご紹介したいと思います。
まず、この町の名前の由来となったのは、有明海に注ぐ九州最大の川
「筑後川」
です。
筑後川はその昔、日本有数の暴れ川として知られ、
一夜にして氾濫し田畑を荒らしてしまうため、「一夜川」とも呼ばれていたとか。
大川を含む筑後は、戦国時代では柳川城主・蒲池氏の領地でした。
それから豊臣秀吉の九州平定に際して功を立てた立花宗茂に筑後一帯が与えられますが、
立花家は関ヶ原の戦いで西軍にくみしたために改易され、代わって田中吉政が筑後を治めるようになります。
田中家が断絶すると、筑後は旧柳川藩、旧久留米藩に領域が分かれ、大川はちょうど二つの藩に二分される形で統治されるようになりました。
毎年4月に行われる大川市の「藩境まつり」の藩境は、ここから来ているんですね。
さて、大川と言えば
「家具」
です。
大川の歴史は家具の歴史といっても過言ではないほど、家具と深く関わってきた町です。
筑後川の河口に位置する大川は古くから筑後川上流の木材の産地・日田より川を下ってくる材木の集積地として発展してきました。
「榎津(えのきづ)」はその中心であり、大川家具の発祥の地と言われています。
この地名は、室町時代に船大工の技術を生かして榎津指物を始めたと伝わる木工の祖、
「榎津久米之介」
に由来しています。
そして江戸時代には数々の名工が家具の礎を築き、明治以降は技術の分業化と機械化が進みました。
当時、住人の4分の1が家具業に従事しており、現在に至るまで家具は大川市になくてはならない基幹産業となっています。
九州の中でもとりわけ個性が立っている地域、それが大川なのです。
以上、大禅ビル(福岡市 赤坂 貸事務所)からでした。