夏目漱石『夢十夜』から学ぶ
■とあるSNS投稿が偲ぶ「場の記憶」
最近、とある方のSNS投稿を目にして、不動産のあり方についてまた考える機会を得ました。
それは東区香椎浜にある九大留学生会館の宿舎の取り壊しに関する投稿で、おそらく隣を走る高速道路の拡張のためだと思いますが、
なんといいますか、この会館は昭和の市営団地でよく見られるような、レトロさを全身からプンプン発散させているマンション群で、
そこに重機が入って平地にならされていくようでした。
投稿に対して
「分かっていたけど、やっぱり寂しい」
といった惜しむ声がコメントに書かれていました。
目に見える建物から目に見えない「記憶」へと変わり、思い出の中でしか楽しめないようになっていく。
それはやっぱり、寂しいことですよね。
その古さを見れば、どれほどの多くの人が、思い出がそこで交差してきたのかが想像できます。
海外の方が住処とし、日本人がそこに関わり、地元の人にとっても毎日目にする風景の一部だったでしょう。
宿舎のマンションは、言わずもがな
「留学生の住居」
という機能の実現を目指して建てられた建物です。
ただの鉄筋コンクリートで区切られた空間であったはずなのに、何十年という時間によって物質としての建物を超えた価値を持つようになりました。
それがとても面白い。
「仏造って魂入れず」
と言うように、
不動産の価値も、ベストな立地や優れた設備だけで決められるのではなく、不動産を使う人がいてこそ生まれるものだと思います。
人と関わらない不動産は、それこそ単なる鉄筋コンクリートの塊に過ぎなく、
人が関わることで魂が入り、鉄筋コンクリートの塊は初めて不動産となるのです。
■知る人ぞ知る短編作品『夢十夜』
不動産のあり方を考える上で、最近とても味わい深い文章に出会いましたので、紹介したいと思います。
夏目漱石の明治41年の短編作品『夢十夜』の第六夜「運慶が仁王像を彫る話」です。
短いので全文を引用します。
※※※
運慶が護国寺の山門で仁王を刻んでいると云う評判だから、散歩ながら行って見ると、自分より先にもう大勢集まって、しきりに下馬評をやっていた。
山門の前五六間の所には、大きな赤松があって、その幹が斜めに山門の甍を隠して、遠い青空まで伸びている。
松の緑と朱塗りの門が互いに照り合ってみごとに見える。その上松の位地が好い。
門の左の端を眼障りにならないように、斜はすに切って行って、上になるほど幅を広く屋根まで突き出しているのが何となく古風である。
鎌倉時代とも思われる。
ところが見ているものは、みんな自分と同じく、明治の人間である。
その中でも車夫が一番多い。辻待ちをして退屈だから立っているに相違ない。
「大きなもんだなあ」と云っている。
「人間を拵えるよりもよっぽど骨が折れるだろう」とも云っている。
そうかと思うと、「へえ仁王だね。今でも仁王を彫るのかね。へえそうかね。私っしゃまた仁王はみんな古いのばかりかと思ってた」と云った男がある。
「どうも強そうですね。なんだってえますぜ。
昔から誰が強いって、仁王ほど強い人あ無いって云いますぜ。
何でも日本武尊よりも強いんだってえからね」
と話しかけた男もある。この男は尻を端折って、帽子を被らずにいた。よほど無教育な男と見える。
運慶は見物人の評判には委細頓着なく鑿と槌を動かしている。
いっこう振り向きもしない。高い所に乗って、仁王の顔の辺りをしきりに彫り抜いて行く。
運慶は頭に小さい烏帽子のようなものを乗せて、素袍だか何だかわからない大きな袖を背中で括っている。
その様子がいかにも古くさい。わいわい云ってる見物人とはまるで釣り合が取れないようである。
自分はどうして今時分まで運慶が生きているのかなと思った。
どうも不思議な事があるものだと考えながら、やはり立って見ていた。
しかし運慶の方では不思議とも奇体ともとんと感じ得ない様子で一生懸命に彫っている。
仰向いてこの態度を眺めていた一人の若い男が、自分の方を振り向いて、
「さすがは運慶だな。眼中に我々なしだ。天下の英雄はただ仁王と我とあるのみと云う態度だ。天晴れだ」と云って賞め出した。
自分はこの言葉を面白いと思った。それでちょっと若い男の方を見ると、若い男は、すかさず、
「あの鑿と槌の使い方を見たまえ。大自在の妙境に達している」と云った。
運慶は今太い眉を一寸の高さに横へ彫り抜いて、鑿の歯を竪に返すや否や斜に、上から槌を打ち下ろした。
堅い木を一刻みに削って、厚い木屑が槌の声に応じて飛んだと思ったら、小鼻のおっ開いた怒り鼻の側面がたちまち浮き上がって来た。
その刀の入れ方がいかにも無遠慮であった。
そうして少しも疑念をさし挾んでおらんように見えた。
「よくああ無造作に鑿を使って、思うような眉や鼻ができるものだな」
と自分はあんまり感心したから独言のように言った。するとさっきの若い男が、
「なに、あれは眉や鼻を鑿で作るんじゃない。
あの通りの眉や鼻が木の中に埋まっているのを、鑿と槌の力で掘り出すまでだ。
まるで土の中から石を掘り出すようなものだからけっして間違うはずはない」と云った。
自分はこの時始めて彫刻とはそんなものかと思い出した。
はたしてそうなら誰にでもできる事だと思い出した。
それで急に自分も仁王が彫ってみたくなったから見物をやめてさっそく家へ帰った。
道具箱から鑿と金槌を持ち出して、裏へ出て見ると、せんだっての暴風で倒れた樫を、薪にするつもりで、木挽に挽かせた手頃な奴やつが、たくさん積んであった。
自分は一番大きいのを選んで、勢いよく彫ほり始めて見たが、不幸にして、仁王は見当らなかった。
その次のにも運悪く掘り当てる事ができなかった。
三番目のにも仁王はいなかった。自分は積んである薪を片っ端から彫って見たが、どれもこれも仁王を蔵しているのはなかった。
ついに明治の木にはとうてい仁王は埋まっていないものだと悟った。
それで運慶が今日まで生きている理由もほぼ解った。
※※※
■自身の仁王を見つけよ
語り手の「自分」が生きているのは明治の世、そこで日本史上最高峰の仏師・運慶と見えるという、やや不思議な設定でありながら、深い示唆を与えてくれる作品です。
現代の不動産にとっての「仁王」とは何なのか、考えてしまいます。
「仁王はもともと木の中に埋まっているものだ」
「彫刻技術が優れていれば誰でも仁王像くらい彫ることができる」
「達人と同じ道具を使ってやり方を真似ればいい」
達人の仕事の結果をみて、そう表面的に考えてしまうと、芸術に向かう運慶の情熱、仏を信じる心、そして何よりも仏を彫り抜いていく純粋な楽しさを想像できないでしょう。
不動産の仕事は、不動産というハードを前提としています。
それゆえ、不動産という手段であるはずの箱に知らず知らずのうちに甘えてしまうことがあります。
持っていれば一生安泰、あとはチャリンチャリン、といった風に。
もちろんそれも不動産へのスタンスの一つでしょうが、大禅ビル(福岡市 舞鶴 賃貸オフィス)のような中小ビルにとって、
不動産経営は建物を持っていれば完結するわけではなく、それなりの心血を注いでやればサバイバルできないわけです。
それ以上に、建物を通じて人の幸せをいくらかでも創り出せるような不動産経営にしていきたい思いがあります。
九大の留学生会館のような、たとえどれほど古くても、その取り壊しが多くの人の追憶と愛惜を呼ぶような不動産こそ素敵で、うちとしてもそう在りたいと常に願っています。
不動産という木から仁王を彫り出すとすれば、人と関わりの中で共有される「心の物語」だと私は思います。