大学ゼミ生
大学生3年になっても、相変わらず私は焦点が定まらずフラフラしていました。
もやもやした気持ちを抱えたままゼミに所属します。
そんな状態だったため学業に身が入るはずもなく、研究そっちのけで色んなことに手を出していました。
「やる気がなければゼミを辞めて下さい」
私に厳しく言い放ったのは、ゼミの教授でした。
とても悔しく、反発しながらも私は頭を下げました。
私を思ってくれているが故の本気の叱りにハッと目が覚めた気がします。
それから私は他のことから手を引き、研究に没頭していきます。
そしてある時、教授から驚きの提案が。
「大学3年生のうちからまず1本論文を書きましょう」
と。
研究者としても学生としても半人前だった私ごときに、大きな機会を与えて頂いたのです。
ただ、甘えは全くなく・・・鬼のように叱咤され続けました。
今思えば、教授は私のために愛ある荒療治を施してくれたのだと思います。
何とか共同論文を終え、いよいよ4年生の個別論文の作成に着手します。
荒療治を経験し多少の自信がついていた私は、これで卒業まで一直線!と軽く思っていましたが、ここではさらなる地獄の日々が始まります。
己の持ちうる全力をぶつけてもほぼ全てが叩き返され、悔しくて悔しくて仕方なく、悔し涙を流しました。
論文提出の締切直前になろうが、全く手抜きの気配なく淡々と修正を言い渡す教授。
自分のあまりのできなさ、認められなさへの焦り、そしてこのままでは本当に卒業できないんじゃないか?
という真剣な危機感も湧きました。
まさに死ぬ気で打ち込み、何とか提出までこぎつけたわけです。
そして研究成果発表の日。
発表後、教授の口からボソっと言われた言葉に、私は涙しました。
「発表・・・非常に良かったですよ・・・ええ・・・。」
初めて研究に関連したことで先生から褒められたのです。
大学卒業後も恩師に変わりない教授。
今も時折会いに行ってお酒を酌み交わしています。
いつか大禅ビル(福岡市 大名 貸事務所)にお招きしたいものですね。
教授の叱咤激励で絞り出した私の卒業論文は100ページ超えの作品であり、生涯の宝物です。
私にとって鬼教官であった教授は、指導する時間や体力を全力で惜しまなく教え子に注ぎ込んでくれた最高の先生だったのです。
先生、本当にありがとうございます!