長崎大学
大禅ビル(福岡市 天神 貸し事務所)から飛び出していざ長崎へ。
我が母校・長崎大学。略して
「長大(ちょうだい)」
にやって参りました。
学生の日々は、もうそろそろ10年も昔になりますが、今だにキャンパスの光景や匂いがありありと思い出されます。
長崎大学にはいくつもの前身となる学校がありました。それぞれ
・長崎医科大学
・長崎医科大学附属薬学専門部
・長崎医科大学附属医学専門部
・長崎経済専門学校
・長崎師範学校
・長崎青年師範学校
です。
長崎大学となったのは1949年。
医学部・経済学部・薬学部・学芸学部・水産学部の5学部からスタートし、
今では学部9、研究科7という国立総合大学らしい姿にまで拡大成長しています。
医薬系に主な流れを汲み、理系の学部が多く総合病院や医学研究所も設置されているのですが、1997年に全国初となる文理融合型の環境科学部が開設され、
また2020年には情報データ科学部(仮)の開設も予定されているなど、先端教育の取り組みに力を入れています。
ちなみにこの環境科学部は私が学んだ学部です。
本気で学問に打ち込んだ4年間でした。
ここでの体験はまた次回以降にご紹介できればと思います。
さて、長崎大学が輩出した最も有名な人物は、2008年にノーベル化学賞を受賞された下村脩博士において他にないでしょう。
下村博士は厳密には長崎大学薬学部の前身となる長崎医科大学附属薬学専門部の出身です。
ホタルなど生物が光を発する「生物発光」の分野における第一人者としてアメリカを拠点に研究活動を行い、
その中でクラゲの緑色蛍光タンパク質(GFP)を発見、精製に成功します。
このGFPは、後に細胞内で動く分子に付着させて追跡する「目印」としての利用法が開発され、
今では医学や生物学の分野における病気や生命の研究に不可欠なツールとなっています。
下村博士はつい昨年の2018年秋に、御年90歳にて長崎市内で亡くなられました。
京都出身だった博士は長崎で学び、被爆も経験し、科学界の最高峰を極められました。
このような偉人を母校の先輩に持つのは誇らしい限りです。