バブルの歴史②

前回は2つのバブルの歴史を紹介しました。

 

経済用語「バブル」の語源にもなったイギリスの「南海泡沫事件」、うさぎちゃんたちが投機の対象と化してしまった明治日本の「うさぎバブル」。

 

それぞれイギリスと日本、遠く離れた異国同士で国民性も異なるのに、儲けたい!一山当てたい!

 

という射幸の欲望は、時代や場所を問わず人類共通かもしれません。

 

それでは今回も引き続き、大禅ビル(福岡市 舞鶴 賃貸オフィス)からバブルの歴史を紹介していきましょう。

 

■花に狂い金に狂うオランダ人?

ところ変わってオランダ。オランダと言えばチューリップです。

 

今日のチューリップ球根は約15か国で生産されており、中でも生産量、栽培面積が断トツなのがオランダです。

 
オランダ
 

世界中のチューリップ球根のおよその9割、というと殆ど全てがオランダで作られています。

 

その栽培面積は1万ヘクタール以上、東京ドームの約2,000個分!

 

実は2位にちゃっかり日本がつけているのですが、こちらの生産量世界シェアはわずかに2%ほど。

 

オランダは名実ともにチューリップの絶対的王者なのです。

 

さて、オランダ産業の顔とも言えるこのチューリップですが、遡って17世紀。

 

オランダではチューリップを巡る「チューリップ狂」というバブルが起きたのです。

 

チューリップは普通の日本人にとっては、ああ小学校で育てたな、くらいのイメージでしょう。

 

たかが可愛いお花、不動産じゃあるまいし・・・

 

と思われるかもしれません。

 

しかし花如きでも、経済史の中でも特筆すべきチューリップ・バブルを起こしたわけです。

 

というのもチューリップ・バブルは、記録に残された最初の投機バブルであると言われているからなんですね。

 

当時のオランダ(ネーデルラント連邦共和国)を一言で言えば、経済が上昇気流に乗りに乗っていた時でした。

 

今のシンガポールのように、独立ばかりのオランダは気力に満ち、世界貿易の中継地のポジションを確立していきます。

 

安全保障上長年の懸念だったスペイン軍の脅威も消え去り、所得が増え、消費も膨らみ、未来の成長に対する期待が広く共有されていました。

 

その好調ぶりはまさしく「オランダ黄金時代」と呼ばれるのに相応しいものだったそうです。

 

さて、人は自由に使えるお金が増えると、気持ちが大きくなるもの。

 

逆に言えば当時のオランダはバブルが発生しやすい状況にあったのです。

 

当然お金は株や不動産に流れ、価格の急上昇をもたらしましたが、なんと本格的な投機対象となったのは、チューリップの球根だったのです。

 

■チューリップが人気になったわけ

オランダが今日のようなチューリップ大国になったのは今のトルコを中心に広大な領域を支配していたオスマン帝国から、

 

チューリップの球根と種子がヨーロッパにもたらされたのがきっかけだったと言われています。

 

オランダで栽培が本格化したのは、植物学者であったカロルス・クルシウスが植物園を設立した1593年頃だと一般的に考えられており、

 

彼は実際にチューリップを育て、オランダの厳しい環境にも耐えうることを発見したのです。

 

それから間もなくチューリップは、ヨーロッパでは見ないそのハイカラな花姿とビビッドな色合いから富裕層を中心に人気が出始めます。

 

この潮流がちょうどオランダ黄金時代と重なったという具合です。

 

中でもまだら模様などが入っている珍しい品種は、その鑑賞性、稀少性の高さによりステータスシンボルとして益々珍重されるようになります。

 
チューリップバブル
 

お金持ちたちによって珍しい球根はどんどん買われていき、需要が増え、価格は上がる一方。

 

そして、ある時から実需に基づいたマネーだけでなく、虎視眈々な投機マネーが首をもたげてくるのでした。

 

観賞目的ではない人が値上がり益を狙って球根を買うようになったのです。

 

■投機の狂乱

当時のチューリップは、日本人の感覚で言うと盆栽や茶器のような

 

「お金持ちが愛玩する高級品」

 

という位置づけでした。

 

ですから単価は高かったものの、もともとの市場規模はそれほど大きくなかったようです。

 

しかし投機対象になると、小さな市場規模に不釣り合いな莫大なマネーが投入されるので、価格が一気に押し上げられてしまいます。

 

さらに狂騒が狂騒を呼び、価格が一層上昇していき、投機する人も増えていきます。

 

しまいには珍しい色の球根に限らず、それほど珍しくない球根も投機対象となって、いよいよチューリップ狂いの様相を呈してくるのでした。

 

これに拍車をかけたのは、取引の方法の変化です。

 

今までは球根とお金の現金取引でしたが、

 

「球根ができる春になったら引き渡す」

 

という約束を元に代金が支払われるようになります。

 

今日で言うところの「先物取引」ですね。

 

現時点では価格や数を約束しておいて、将来の約束の日が来た時点で売買を行う。

 

先物取引は前もって売買の価格を決めておけるので、価格変動のリスク回避に役立ちます。

 

ただこのやり方は、実際の物の存在に紐付かれていないだけにたやすくに実需を飛び越えてしまう可能性があります。

 

というのも、買い手がまだ入手できていない商品なのに

 

「来年の春になれば球根が手に入る」

 

という「約束」を商品にして、また別の人に球根を売る。

 

こうなると、同じ球根という先物が何度も売買を繰り返され、そのたびに価格が跳ね上がっていくのでした。

 

熟練職人の年収の10倍以上の価格で取引される球根もあったといいます。もはや空気を売り買いしているようなものですね・・・。

 

ちなみにチューリップの花びらに珍しい模様や色の花が咲いたとしても、翌年もその球根からまた同じような花が咲くとは限りません。

 

珍しい花が咲く原因の一つはウイルス感染ですが、これは偶然の産物。

 

当時ではこうした科学的理由は知られていませんでした。

 

ただ、同じような珍しい花が必ずしも次の代で育ってくれるとは限らないのは知られていたようです。

 

なのに人々が投機に熱中したのですから、狂騒の雰囲気に当てられて正常な判断ができなくなったか、

 

あるいはあわよくば珍しい花が一つでも出てくれば元が取れるはずだと期待していたのかもしれません。

 

そしてこれも世の常ですが、球根を渡すつもりもない、あるいはお金だけ騙し取ろうとする詐欺師も横行するようになります。

 

こうしたチューリップ・バブルに対し、時のオランダ政府は特段対策を講じませんでした。

 

そしてバブルの常、崩壊の日がやってきます。

 

1637年2月3日、価格暴落は突然起こりました。

 

取引所では買い手がいなくなったという噂が流れ、翌日には値段がつかなくなったのです。

 

買う人が徐々に減っていくのではなく、いきなり売買ができなくなったのです。

 

その暴落ぶりたるや凄まじいもので、年間の価格下落率が99.999%という研究もあるほどです。

 
バブル株
 

チューリップ・バブルは、当時のオランダ人にとっては衝撃だったでしょう。

 

たかが花なのに。

 

しかも花として観賞効果を発揮する旬の時期と異なる冬に、多くの人の年収の何倍もの高値で取引されている。

 

意味不明な光景だったのでしょう。

 

「価値ってなんだろう」かと、価値が揺さぶられるような経験だったのかもしれません。

 

ところでこのチューリップ・バブルは今日では諸説あります。

 

そもそもバブル自体なかったとする説や、価格の騰貴と急落はあったものの、影響は極めて小規模で限定的だったとする説など、

 

様々は見方が提示されています。

 

なにせ300年以上も昔の出来事ですから、物価変動が追えるような詳細な数字の記録は殆ど残っていません。

 

バブルの実態を判断するのに史料的な限界があるようです。

 

以上、オランダのバブルの歴史でした。

 

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