―筑紫の館 万葉歌碑―

 

歌が繋ぐ、昔と今

 

ギザギザの看板下からこんにちは!まいで~す♪

筑紫の館万葉歌碑
 

今日は、以前にも投稿しました舞鶴公園の鴻臚館のすぐ近所の史跡をご紹介します!

 

まず鴻臚館とはなんぞや?と改めて説明致しますと、

 

昔、大陸や朝鮮から来られた商人たちを接待する宿泊場、そしてお互い取引をする市場でもあったのです。

 

更に遡ると「筑紫の館(つくしのむろつみ)」という施設が前身になっていて、大和朝廷の迎賓館、官営の貿易商館としての役割があったそうです。

 

江戸時代の長崎の出島と同じです。違うのは時代がかなり昔なのと、400年間も続いたことです。すごい・・・。

 

昔から福岡は、日本の玄関口となった海外と繋がっていたと思うと、ロマンを感じますね・・・内向き志向だとか言ってる場合じゃないです!

 

さてさて、日本から大陸への使節や、大陸から来た人たちが戻る時、いつもすぐに出発できるわけではなく、鴻臚館で風待ちをすることが多かったみたいです。

 

長い時は何十日間も長期滞在するわけです。

 

ネットも漫画もない時代、まいならとっくに時間を持て余しすぎて退屈で死ぬかも・・・。

 

今回ご紹介する万葉歌碑の歌も、そんな新羅の国に派遣された使節一行が往路筑紫の館に着いた時、遥か故郷の大和の方を望んで、一行の中の一人が詠んだ歌です。

 

秋になったら帰ってくるからと家人に約束して出かけて来たのに、まだ新羅にも渡らず、もう秋になってしまった。

 

いつ帰れるのだろうかと悲しみ、この歌を詠んだのです。

筑紫の館万葉歌碑
 

今よりは 秋づきぬらし あしひきの 山松かげに ひぐらし鳴きぬ

(今はもう秋になってしまったらしい。山の松陰でヒグラシが鳴き始めた。)

 

ホームシックは、いつの時代も同じなんですね~

 

まいも小学校の時の初めての自然教室で親と離れて心細く、泣き出した記憶があります。家帰りたい!!!と。

 

万葉の歌を詠んだ昔の人も家、帰りたい・・・と思っていたので、ちょっとだけ昔の人との心の繋がりが感じられて嬉しいです♪

 

そして今に通じる思いを残した万葉集も凄いなと思いました!

 

何百年も昔の鴻臚館は今はもうありませんが、

 

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筑紫の館万葉歌碑

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