建築史シリーズ 神社と仏教建築①

弊社、大禅ビルが行っております貸しビル業は、本質的には空間に付加価値をつけていくプロデュース業だと考えています。

 

そのような仕事をさせて頂いている身ですから、建築やインテリア、ファッションといったデザイン全般にアンテナを張っており、

 

そこで得たヒントやインスピレーションを大禅ビルの空間づくりに活かすこともあります。

 

とは言え、私は専門的に教育を受けたことはありませんから、本職の方々と到底比べられません。

 

本物のデザイナー、建築家というのは、既存の概念を超越するような美を生み出すアーティストに近い存在と言ってよく、その足跡の後には全く新しい地平が拓けていくものだと思っています。

 

このシリーズではそうした美に携わった先人たちが紡ぎ上げてきた建築の歴史を中心にご紹介していきます。

 

◯法隆寺

奈良にある聖徳宗の総本山の寺院です。

 

 

7世紀に創建され、古代寺院の姿を現在に伝える仏教施設であり、聖徳太子ゆかりの寺院です。

 

そして法隆寺五重塔は、現存する世界最古の木造建築物の一つに数えられます。

 

法隆寺五重塔は、長い木の柱が基底から頂上に向かって貫かれています。

 

これは心柱と言って、建築物、特に仏塔などの中心となる柱のことです。

 

地震大国である日本は、歴史上多くの被害に遭ってきましたが、この五重塔には地震による倒壊・大破の記録がないそうです。

 

いくつか説がありますが、心柱が耐震効果を発揮したのではないかと言われています。

 

しかし、残念ながら現在のところ、心柱の構造的な意味は確認できていません。

 

あるいは、五層の建物は心柱を守るためだけのものなのかもしれません。

 

古代の人たちの柱に対する神聖な思いの強さは、御柱祭、伊勢神宮の心御柱、大黒柱などの名前にも見い出すことができます。

 

五重塔の構造の意味は詳しく解明されていませんが、2012年に心柱型付加質量機構という制震構造をもった建築が竣工しました。

 

それが東京スカイツリーです。

 

心柱は125mまで塔本体と繋がっており、それより上をフリーにしました。

 

そうすると塔本体の揺れと周期が変わり、地震時の揺れにブレーキをかける役割を果たせるそうです。

 

研究がもっと進み、五重塔と心柱の構造的なメカニズムが分かった時、私たちは古来から引き継がれてきた知恵に出会えるのかもしれませんね。

 

◯伊勢神宮

全ての神社の上に立つ神社、伊勢神宮。

 

 

正式名称は伊勢を冠しない「神宮」ですが、他の神宮と区別するために伊勢神宮と通称されています。

 

大昔、日本人は自然そのものを神様と考えていました。

 

祈る対象はさまざまで、八百方の神がその思想を表していると言えます。

 

「自然のお陰で生かされている=お陰様」という考え方です。

 

ところが、6世紀半ば、中国から仏教とともに仏教建築がやってきます。

 

すると人々は、日本の神様にも何か建物があった方がいいと考えました。そこで生まれたのが伊勢神宮です

 

伊勢神宮の造りは、他にない形式で作られたため、唯一神明造と呼びます。

 

お寺やヨーロッパの教会にはない最大の特長が式年遷宮です。

 

お社新しくすることによって、神様も生き生きとして、より強く生まれ変わる思想です。

 

そのために必要なことが式年遷宮、つまり神様の引越しです。

 

20年周期で古い建物を壊し、隣の同じ大きさの敷地(宮みや地どころ)に全く新しく建て替えます。

 

そうすることで、建築技術や御装束神宝などの調度品を現在に引き継ぐことができ、いつでも新しく変わらない姿を臨むことができます。

 

西欧建築は自然に対抗するものという意味合いが強いですが、日本建築は自然と調和するようにつくられています。

 

その中でも伊勢神宮は20年ごとに生まれ変わり、建築が生命・自然そのものの循環を表しているかのようです。

 

また他の国とは驚くくらい無彩色・無装飾で、簡素ゆえの高貴な意匠といえるでしょう。

 

伊勢神宮は、日本人の思想を体現した日本建築の一つなのです。

 

◯出雲大社

ピラミッド、バベルの塔、五重塔など、なぜ人は高い建物を作りたがるのでしょうか?

 

古来より人々は高いところに神聖なる「何か」を感じ取っていたことが理由の一つと言えます。

 

神様にお祈りをするならば、高いところがより届くだろうという思いがあったのかもしれません。

 

神を祀る建造物は人と神々の世界の架け橋となるべく高くなっていったと考えられます。

 

日本最古の歴史書『古事記』にその創建が記されている出雲大社もその一つ。

 

 

現在の本殿は24mで、およそビル8階建てに相当しますが、太古の時代、本殿の高さは現在の2倍、約48mあったと言い伝えられています。

 

昔からこの説を信じない人も多かったのですが、ある時とんでもないものが発掘されます。

 

なんと、出雲大社境内から直径約1.3mの柱が3本束ねられているものが発掘されたのです。

 

柱の基部がいくか見つかり、平安時代の古図「金輪御造営差図」(古い時代の出雲大社平面図)とほぼ一致することがわかりました。

 

そんな出雲大社は大社造という様式でつくられています。

 

掘立柱、切妻造、妻入が特徴です。

 

切妻屋根でありながら優美な曲線を描いている点が、伊勢神宮の唯一神明造と異なる点です。

 

また、神への畏敬の念からか妻入の右から入ります。

 

さらに一番奥の御神座へは、わざわざ廻り込むような動線が引かれています。

 

タイの山岳民族の集落、ゲンルアンノーグ村の祭祀施設を見ると、出雲大社にそっくりな平面計画になっています。

 

◯春日大社

奈良にある春日大社は、全国に約1,000社ある春日神社の総本社で、ユネスコの世界遺産に「古都奈良の文化財」の一つとして登録されています。

 

 

奈良時代に平城京の守護と国民の繁栄を祈願するために創建され、中臣氏・藤原氏の氏神を祀っています。

 

式年造替たいにより約1300年もの間、ほぼ20年ごとに建て替えが行われてきました。

 

本殿の場所はそのままで建て替えるので「造替」といいます。

 

一方、伊勢神宮の場合は場所ごと引っ越すので「遷宮」といいます。

 

春日大社本殿の建築様式は、春日造といわれています。

 

神社の本殿は、平入のものが多数で一般的ですが、春日造は妻入で、正面に片流れの庇が付くのが特徴です。

 

春日造のもう一つの特徴は、一間社と呼ばれる最低限の規模のものがほとんどということです。

 

本殿の平面は6.4尺×8.7尺(約1.9m×2.6m)と、三畳ほどの大きさしかありません。

 

国を護るという壮大な目的の割には、きわめて小さい規模です。

 

ここでは広大な自然そのものに神が宿ると考えられてきたので、本殿の小ささも聖なる土地への配慮だったのでしょう。

 

全国に現存する春日造の神社のほとんどが「一間社」であるのも、春日大社の自然との共生という成り立ちを考えれば、当然のことなのかもしれません。

 

春日大社は奈良時代、御蓋山の山頂に神を祀ったのが創建の起源とされています。

 

つまり、畏敬の対象としてのご神体は御蓋山なのです。

 

春日大社の東側には、30万坪の広大な春日山原始林が残っており、神山として信仰の対象となっていました。

 

古来より人々は、自然との共生を図ってきたのです。それは、4棟の本殿からも読み取ることができます。

 

春日大社の境内は山麓の傾斜地となっていますが、大きな造成などはせず、建築は特に回廊などはその傾斜に合わせて造営されているのです。

 

また、4棟ある本殿はすべて同じ大きさ・形ですが、東のわずかに高い位置にある第一殿より西の第四殿までもとの地形に合わせて異なる高さに建築されており、聖なる場所に対する人々の思いを感じ取ることができます。

 

以上、大禅ビル(福岡市 舞鶴 賃貸オフィス)からでした。

 

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