大禅不動産研究室 ―香港大富豪・李嘉誠の子女教育②―
前回に引き続き、香港No1大富豪の李嘉誠の子女教育について書いていきます。
■現場を教科書に
とかく李は子女教育において、現場主義にこだわりました。
お金持ちだからとって息子たちを豪邸や高級車という温室で育てようとはせず、できる限り彼らに外のありのままの世界に触れさせました。
そして、一庶民としての正しい感覚と、他者を思いやり、行動でもっと奉仕する心を教えていきました。
そして、それを自身でも実践していったのです。
優雅な生活を享受する前に、人としてのあるべき心持ちを身をもって息子たちに示しつづけました。
ある時、6歳になった次男の李澤鍇(リチャード・リー)を連れて飛行機に乗った李は、息子にこう言ったという。
「今後、もしお前が自分自身で努力しなければ、今回はお前にとって人生最後のファーストクラスになるぞ」
また次男は後年、このように語ります。
「父から本当にたくさんのものを学ばせて貰いました。主にビジネスマンとしてのあるべき正直さ、そしてパートナーとの正しい関係づくりです」
李は常に息子たちに語って聞かせていました。
もし成功したければ、相手の利益を考えなさいと。
狡賢くあわよくば美味い汁を吸おうなんて思うなと。
人のあり方から更に一歩進んで、こうした仕事の基本姿勢、正しい処世の仕方への教育について、李は早い段階から息子たちに施していました。
息子たちが少し大きくなった頃、なんと李は彼らを自身が出席する取締役会に同席させたのです。
部屋の隅の小さな椅子に座らせて会議を聞かせたという。
息子二人も、父と一緒に会議に出られると、ちょっと大人になった気分だったでしょう。
それ以上に好奇心一杯で、意味はわからなくても、父と部下たちの議論に耳を傾けていました。
ただ、日本の企業の儀式の如き会議とは違い、李と部下たちがやっていたのは互いの意見で殴り合う正真正銘の議論。
次第にボルテージが上がり、大の大人たちが顔を真っ赤にして喧々諤々の大論争を繰り広げます。
鬼の形相でやり合う父と部下に息子たちはびっくり仰天、怖くなって泣き出してしまいます。
「怖がらなくてもいい。お父さんたちはね、喧嘩しているんじゃなく、仕事の議論をしているんだよ。
あたり前のことだ。互いに言葉を尽くさなければ、物事ってわからないからね」
笑いながら李は息子たちに言う。
「マネジメントに関しては西洋の科学的なマネジメントの知見を学ぶべきだが、個人の処世においては中国古代の哲学思想に学ぶべきだ。
修身を通じて性格を養い、謙虚な人生態度で人と接し、勤勉と忍耐、そして固い意思を人生向上の戦略としなさい」
このように李は人間の内面涵養の大切を息子たちに説き続けていました。
加えて「約束」についても、重々息子たちに教え、やがてビジネスの世界に飛び込む彼らのために職業観の基礎を打ち据えたのです。
「もし他人から信用を得たいのであれば、約束を重んじるべきだ。一つ一つの約束を交わす前に、詳しく検討し熟慮しなければならない。
一旦約束をしたならば、最後まで責任を持ってやり遂げなさい。
例え途中で困難に出会っても、約束を最後まで貫き通しなさい」
■自立と練磨の機会を与える
長男が15歳、次男が13歳、まさに遊びたい盛りの中学の頃、李は息子たちを海外留学に行かせます。
両親から離れ、実家から離れ、見知らぬ土地で、見知らぬ人たちの中で、一から自分たちの手で自分たちの生活を作ってみなさい、と。
なかなか過酷な試練を息子たちに与えたのです。
子を愛しながらも甘やかさず、自立と練磨の機会を積極的に与えてやる。
冷酷のように思われるかもしれませんが、息子たちにはいずれ自分の足で立って欲しいという愛に裏打ちされた李なりの教育法です。
ちなみに我が国の美智子さまも、現在の皇太子さまである浩宮徳仁親王さまを子育てされていた時に語った印象深い言葉があります。
「『幸せな子』を育てるのではなく、どんな境遇に置かれても『幸せになれる子』を育てたい。」
しなくてもいい苦労は無理にしなくてもよいと思いますが、子育て、あるいは人材の育成に関しては苦労の中からでしか身につかないものもあるでしょう。
ほかの動物と違って、野生に生きる本能が欠けた私たち人間は、基本的に心の弱く、易きに流れる生き物だと自覚しなければいけません。
また、心地よい環境に慣れてしまえないつの間にかそれを当たり前だと思い、環境に依存し努力を放棄してしまう。
自分が弱者にならざるを得ない環境に積極的に身を置くことが、自立という生きる力を引き出す本当の教育でしょう。
こうして兄弟二人はアメリカに放り出されてしまいます。
兄は一心不乱に勉学に打ち込み、最終的には名門スタンフォード大学で土木工学の修士号まで取ります。
弟は自活の楽しさを覚え、料理番組で料理を覚え自炊を始め、安月給のマクドナルドでバイトを始めます。
弟も兄の後を追ってスタンフォード大学に入学します。
ただ、父の希望に従った兄と反し、電子工学の道を選びます。
そして大学卒業後、兄は李の会社に入社、弟はカナダに渡り、次第にビジネスの頭角を現してきます。
兄は1986年にカナダのオタワで開催された世界博覧会の跡地開発において、32億香港ドル(約520億円)で開発権を獲得、一躍財界の舞台に躍り出ます。
弟はトロント銀行の最年少パートナーとなり、衛星放送、通信、サイバーポート開発で香港財界を賑わすようになります。
東京駅八重洲という東京の一等地のランドマークとも言える高層ビル「パシフィックセンチュリープレイス丸の内」を開発したのも弟の会社「パシフィックセンチュリーグループ(PCG)」です。
■後継者教育のあり方
李嘉誠という経営者は、日本で言うならば稲盛和夫レベルでしょうか。
一時代を築いた「生ける伝説」である彼は、ほかにも語り尽くせないほどのエピソードや言葉がありますが、今回は彼の子女教育の話に焦点を当てました。
子女教育ですが、企業の後継者教育においても学ぶべき点が3つあると思います。
一つ目は「準備」です。
「教育は百年の計」の格言を待つまでもなく、人を育てるには時間がかかります。
能力に加え、経営者としての考え方の基礎も一朝一夕では身につくはずもありません。
後継者への引き継ぎも、内部の他のスタッフと後継者との信頼構築にも相応の準備が必要です。
後継者問題が経営課題である以上、子女を育てるなり、社内で育てるなり、あるいは外部のネットワークから当たっていくなり、早め早めに手を打つべきでしょう。
二つ目は「体験」です。
体験の貧弱さはそのまま行動と思考の貧弱さに比例します。
様々な人と付き合ったり物事と相対したりする中で、本当に学びとして血肉となるのは身を切った体験だけで、有名人の話を聞いて、物の本を斜め読みしただけで評論家然とし分かったつもりにならないこと。
恐れず実践し、どんどん失敗する。そして学ぶ。
「生きる力」とは現実との真剣な格闘によって身につく心だと、貧困層の文盲な一少年から、世が驚く一大商業帝国を築いた李の人生そのものが私たちに教えてくれます。
三つ目は「人の道」です。
李はまだ不動産事業に携わる前、造花を生産するプラスチック事業で一発当てます。
しかし倍々に増え続ける注文量に生産がパンク寸前、質を誤魔化しても量を優先した若き李はついに粗悪品を出してしまい顧客からの信頼を失ってしまう。
にっちもさっちもいかなくなった李に、ある時母親が一杯お茶を入れてくれとお願いします。
久しぶりの親子の語らい、母親はおもむろに口を開きます。
「昔あるお寺の住職が、後継ぎを決めようと思い、兄弟子、弟弟子の両人にそれぞれ種籾を渡した。
これを植えて多くお米が取れた方を後継ぎにすると言った。
一年後、兄弟子のほうは喜色満面でたくさんのお米を持ってきた。
反対に弟弟子のほうは一粒すら収穫できなかった。
でも、住職は弟弟子のほうを後継ぎにしたの。どうしてかわかるかい?」
李の母が語ったのは、中国ではごく一般的な道徳の訓話。
恐らく李も小さい頃、母親から何度となく聞かされていた物語でしょう。
李はここであっと気づきます。
「そう。住職さんが弟子たちに渡した種籾は、お湯で煮たものだったのよ」
李はビジネスのやり方を教える前に、人間としてのあり方を厳しく息子たちにしつけていました。
そして李の母もそうでした。
母の教えは、李に受け継がれ、「人としてのあり方」つまり「人の道」として李の息子たちにも引き継がれていきます。
事業をどう継続させていくかに対し脳を絞るのはもちろん大事です。
ただ、経営者は今一度立ち止まって、自身が本当に後世に引き継ぐべきものについて思いを凝らしてもよいのかもしれませんね。
皆さんの一助となれれば幸いです。