大禅不動産研究室 ―香港大富豪・李嘉誠の子女教育①―
6割以上の経営者が70歳を越え、半数の企業で後継者不在──。
日本の企業の3社に1社、127万社が2025年に廃業危機を迎える
「大廃業時代」
が、リアルな足音を伴って近づいてきます。
しかもそのうち、廃業する企業の約半数が経常黒字なのだという。
マーケットニーズを捉え利益を生み出せる仕組み、技術を持っていながら、事業を担う人材がいないという異様な状況です。
承継か廃業か、承継するとしたら子か兄弟か、それとも外部から招き入れるか、あるいはM&Aか。
多くの中小企業の経営者にとって抜き差しならぬ課題となっています。
大禅(福岡市 舞鶴 賃貸オフィス)では今年に父から子へと社長交代がなされ、一通り事業承継が果たされました。
しかし、ここに至るまでには紆余曲折もいいところ、多くのドラマがあったのも確かです。
そこで大禅不動産研究室では、身の回りの企業様、過去の歴史から「事業承継」というテーマを様々な角度から掘り下げて、思考の材料とするとともに、皆様にとって幾ばくか経営判断の糧となれれば幸いです。
今回は「親から子への承継」です。
■香港大富豪の後継者教育
家族企業、老舗企業、あるいは伝統工芸の分野では親から子への承継が未だ一般的です。
その際課題に上るのはやはり後継者教育です。
昔の時代ほど世襲の力学が働かないにせよ、企業支配、家門、暖簾へのこだわりから、血の繋がりのない他人を、優秀というだけで自分の会社を差配させるという割り切りは、まだなかなかすぐできる文化ではまだありません。
子が経営者の器ならベスト、そうでない場合は継がせるのかしないのか?
俗に言う「長者三代」で、苦労して財産を蓄えても、子は遺風を受けてよく守るが、孫は贅沢になり浪費して家を傾けてしまう。
創業者の素晴らしさは、必ずしも子孫の素晴らしさを担保しないという戒めです。
子どもを継がせる気持ちがあれば、話は至極単純、結局は準備が大事です。
準備の軸を成すのは教育なのです。
ここで、年初に後継者人事を発表した香港の大富豪・李嘉誠(リ・カセイ)の事例をみてみましょう。
李嘉誠とはどんな人物なのか、ご存知のない方も多いので簡単に説明します。
彼は中華圏の財界において知らぬ者はいないほど、まさしく伝説的な人物で、香港では「超人」と呼ばれています。
1928年広州生まれ、アジア最大の財閥・長江実業グループの創設者であります。
20年連続香港長者番付第一位、2017年のフォーブス誌世界長者番付では資産額332億ドルで21位にランクインしています。
一介の中卒青年から造花事業で身を起こし、不動産開発・投資で基盤を固めながら、現在は
小売、通信、メディア、ホテル経営、証券投資、湾岸、電力など幅広く事業展開しています。
進出先は世界52カ国、長江グループの雇用人数は50万超という巨大複合企業です。
十年前に自らの慈善基金から6000万ドルをFacebookに投資したことでも有名です。
数億ドル規模とされる商業帝国を文字通り裸一貫で築き上げてきた李は、2018年5月に正式に引退し、関連会社の顧問に就任しました。
舵取りは、長男の李沢鉅(ビクター・リー)氏へと譲られます。
「甘やかされ二代目」の醜聞が何かと世間を騒がせるのは中国も同じ。
財閥総帥は荷が勝ち過ぎるのではないか・・・・・・。
総帥の座を引き継ぐ長男について記者に聞かれた李氏は
「沢鉅の数十年におよぶ業務に自信が無いといえば、それは偽りになるだろう」
と自信を滲ませて語ったそうです。
父が子を褒めるのもなかなか珍しい、それだけ本当に息子を認めてのことでしょう。
なぜなら李は、金持ちの家の子だからといって、息子を一切甘やかすことはなかったからです。
■質素倹約
李氏には二人の息子がいますが、二人とも「小さな超人」と呼ばれるほど、中華圏の経済界では一目置かれる人物です。
長江グループ入社前に、兄は不動産開発で、弟は金融で頭角を表していました。
父親の後光は避けられようもありませんが、彼らの今の評価は、純粋に個人の能力と努力の上に成り立っています。
そして息子たちの出世は、紛れもなく李の教育のお陰だったと言えます。
息子たちが幼い時から李は徹底した「勤倹力行」を教育方針としていました。
息子たちは香港で最もお金持ちの家に生まれながら、いわゆるお金持ちの贅沢を味わえたのは概して少なかったと言われています。
息子と一緒に移動する時あまり自家用車には乗せず、敢えて息子たちを連れてバス、電車で移動していました。
息子たちは香港でも上流階級の子弟たちが通う小学校で学んでいました。
しかし、子どもの送り迎えに関しては、他の生徒たちのように運転手つきの高級車ではなく、李氏自ら電車で送り迎えをやっていました。
満員電車での通学に堪りかねた息子たちは父親に愚痴ります。
ほかの子はみんな自家用車で送り迎えしてもらっているのに、うちはどうして僕たちを運転手で迎えに来させないの?と。
李は笑いながら答えます。
「電車やバスの上で、君たちは色んな階層の、色んな職業の人たちを見ることができる。
平凡な生活と、その中で生きる普通の人々の姿も。
それこそ本来あるべき生活、社会なのだ。
自家用車に乗ったって、何も見ることができない。
世の中のことは何も分かりゃしないのだよ」
ある時、道端で新聞を売りながら、教科書片手に勉強していた女の子を見かけて、わざわざ息子を連れ女の子の前を通り、勉学の姿勢を説いたと言います。
こうして二人の息子は、一般庶民と同じように満員電車に通いながら成長していきました。
李はあまりにも息子たちにお小遣いをあげなかったそうです。
そのため、本当にお父さんは世間で言われているようなお金持ちではないとかもしれないと、息子たちは半ば本気で疑ったそうです。
お金はなるべく節約した大切に使いなさい、お小遣いは自分で稼ぎなさい。
李は息子たちを温室育ちのボンボンに育てるつもりは毛頭なかったので、息子たちは小さい時からアルバイトやインターンシップに励んでいました。
息子たちがゴルフ場で重たい袋を背負いながらボールを回収して回る姿を見て微笑むような父親であり、経営者でした。
李の勤倹を息子にだけ要求していたわけではなく、自らも身をもって実践していました。
どれほどお金を稼ごうとも自分の贅沢のために使わず、一方寄付となるとお金に糸目をつけなかったほどでした。
安物の日本製の腕時計をはめ、10年前に買ったスーツを着、30年前に建てた家に住む。
世界の大富豪とは、およそかけ離れた質素倹約な生活だったようです。
■道徳教育
李氏はある時こう言いました
「子女への教育の99%は、人はどうあるべきかを教えなければいけない。
例え成人後でも、3分の2は人はどうあるべきかを教え、残りの3分の1でビジネスのやり方を教えるようにすべきだ」と。
息子たちが子どもの時、多忙な一週間を終えた李は、週末には息子たちに『老子』や『莊子』といった古典を教えていました。
一言一句を読み、意味を説いて聞かせていたそうです。
そして座学だけではありません。
ある時強風が香港を襲い、李氏の家の前の大木が折れてしまいます。
二次被害を防ぐべくフィリピン人の労働者が木を切り倒そうとしているのを見て、李はすぐさま息子たちを叩き起こします。
「彼らは大変な思いをして、遥々フィリピンから香港に働きに来ている。手伝って来なさい」
そう言うな否や兄弟二人はカッパを羽織って雨の中へと走った。
これが香港の稀代の大富豪・李嘉誠の教育でした。(つづく)