食のあれこれ
大禅ビル(福岡市 天神 賃貸オフィス)の社長という仕事柄、外食の多い私は、大してグルメでもないのですが、
最も多い時は年間365日のうち150回は下らないペースで福岡周辺の店を飲み食いしていまして
すると
「ここの焼き鳥は旨いなあ」
とか
「ここの店員さんは、愛想が微妙だな」
といった具合で、店の雰囲気や料理の良し悪しをなんとなく肌感覚でつかめるようになります。
図らずも身についたこのスキルは、例えば接待の一席を設ける時や、こういう集まりにフィットするおすすめの店教えて!
といった相談を受けた時に、とても価値を発揮するようで、
コツコツとデータを溜めていく作業は苦ではないので、行ってよかったと思えた店を携帯メモに残していきました。
人に薦めても安心、ハズレなしなお店のお手製リストです。
そうしていつの間に「生き字引」ならぬ「生き食べログ」、会食コンシェルジュのような役割を求められるようになった次第です。
いい店、美味しい料理との出会いは人の出会いと似ています。
出会い方が雑であれば、後に続く関係も雑になるように、出会いが素敵であれば、関係も良き方向に流れて行きやすい。
雰囲気の悪い空間で、不味い料理を共有するのと、心地よい空間で、旨い料理をみなで囲って舌鼓を打つのとでは、気分が違いますでしょう。
「医食同源」と言いますように、「心食同源」―食は気持ちに通ずる―とも言えると私は思います。
たかが食、されど食。心と体、そして人と日々関わり合う食は、それ自体が小さな物語のような存在なのかもしれません。
ただ、会食も接待も結構ですが、食はまず、自分自身のためにあってもよいと思います。
仕事が終わり、会社から出ると既に夕日が落ちかけて、あたりは暗くなっている。
もう飲んでもいい暗さです。戦いの後の癒やし、お待ちかねの一杯と、少々のつまみ。
そう、疲れた心と体にとって、食は最初に来る「癒やし」でもあるのです。あるいは「救い」と言ってもいい。
戦士たちには休息を、胃袋たちには美味なる肴を。
肩肘を張らず、ネクタイを緩め、ほっと一息つけるような食との出会いが、最近密かな楽しみになっている私であります。