繋がりを創る大禅ビルと「歴史」
■大禅ビルのブランディング・コンセプト「レトロ=歴史」
新年号は「令和」が発表されました。
平成に改元した時は、私はまだ物心どころか赤ちゃんだったので、改元を「体験」できなかったわけですが・・・
ああなるほど改元とはこういう事なのね・・・
と、今回は晴れて?この日本特有の行事が纏う雰囲気を味わうことができました。
新年号の典拠は万葉集。
なんと大宰府の梅の花とのゆかりもあるとかで、福岡人としては嬉しい限りです。
更に聞くところによれば典拠になった序文も、実は中国の後漢王朝の文学に遡ることができるそうで
なんと言いますか、歴史の大きくゆったりした繋がり、その中を文化が伝わってゆく悠久さが感じられました。
私は別に右翼ではありませんが、日本人として素直に「良いなあ」と、爽やかな心持ちになりました。
元号は今となっては実用性が薄くなる一方ですが、歴史は歴史として、役に立たないからと言って一様に切り捨ててしまうのは勿体無いでしょう。
引き継がれ、残っていくことが大事で、文化は継承によって豊かさを獲得していくのだと思います。
それは「レトロオフィス」をコンセプトに打ち出している大禅ビル(福岡市 舞鶴 賃貸オフィス)にも通じます。
不動産の価値は新しさに比例するのがこの国では一般的です。
古いから、最新じゃないから、流行から外れているから価値が低いと。
ただ私どもは、古さや歴史の上に蓄積していく付加価値こそ大事にしたい。
不動産と人との関わりの物語、その積み重ねの歴史から生まれる価値を、品質の高いオフィス空間の提供を通じて、賃貸オフィスとして発信していきたいと思っています。
建てては壊し、壊しては建つ。とかく新築ビルが珍重される世の中にあって、
スクラップ・アンド・ビルドでしか人間と建物が関係を取り結べないのは、どこか寂しい気がします。
一方欧州だと古い建物の方がプレミアムが付き、高値が取引されることが多いです。建物を継続的に維持・修繕し、長期使用する傾向にあるのです。
「ファシリティ・マネジメント」
という考え方で、その根底には
「使えるものは、長く大切に使い続ける」
という発想が根付いています。
建物のメンテナンスに気を配り、使用感を維持しながら沢山の方に長く、丁寧に使って貰い、人の記憶と共に地域の中で建物年齢を重ねていく。
それが結果的に建物の資産価値の保全・向上に繋がると。
もちろん新しい物件も建てるのですが、例えば築100 年くらいの建物でも、オーナーが綺麗に改装して住んだり、貸し出したりしています。
しかもそうした物件の方が銀行融資が下りやすいと言います。
新築マンションよりも、古い家を買ったほうが後々価値アップが見込めるという考え方もあるほどです。
アメリカなどに比べても、日本は中古住宅流通の割合は少なく、10分の1程度と言われています。
既存住宅流通に占める中古住宅のシェアは、フランスでは6割、アメリカでは7割、イギリスでは8割に上ります。
別に欧州のものまねをしようというわけではありません。地震が少ないなどそもそもの環境の違いもあります。
ただ、やはり古い建物には古い建物の価値があり、古いゆえに、その建物に関わった人たちの思い出ドラマ、その建物が存在する地域の風景や記憶が時間とともに積もり、
人と共有してきた時間の長さだけ建物の価値も増していくという受け止め方だって、もっと広がっても良さそうに思えます。
欧米の建物への付加価値の基準はもっとこうした「歴史的価値」も含め、多面的で、人間的です。
■偉人・諸葛孔明からの学び
歴史で言えば最近、友人のYが主催している「偉人講座」に久しぶりに参加してきました。
歴史オタクの彼が自分の恩師から引き継いだ講座で、今回で81回目の開催!
福岡でも老舗の歴史講座の部類に入るのではないでしょうか。
毎回一人、日本や世界の偉人を取り上げてみっちり3時間話してくれます。
今回のテーマはあの三国志の「諸葛孔明」。
私も男子の心をくすぐる蜀の趙雲のかっこ良さが好きでしたが、同じ蜀の天才軍師・諸葛孔明のカリスマ性も好きでした。
日本人にとって三国志の中で知名度・人気度No1のキャラクターなのではないでしょうか。
とても興味がそそられたので、年度最終日のバタバタの中聞いてきました。
いやあ、相変わらずほとばしる熱量!
歴史上の人物が生き生きと立ち上がってきます。
講義の中で、私が特に印象を受けた内容を挙げてみたいと思います。
まず、
「天才軍師」と「忠臣」
といったイメージはどうやら後世に色付けされたものらしく、史実の諸葛孔明の姿は
「宰相」
つまり国家をマネジメントする「行政官」なのです。
「軍師」という役職を拝命していたものの、軍を率いて戦場に立つのはむしろ少なく、会社で言うと戦略構築と経営管理を行う立場だったそうです。
ただ、天才軍師ではないからと言って、彼の偉人としての価値を少しも損じることにはなりません。
友人が語るには、諸葛孔明を偉人たらしめる点は3つあるそうです。
一つは「弱小の劉備集団を歴史に留め、三国時代を創った」功績。
諸葛孔明の主君となった劉備は高い志と武力の持ち主でしたが、不運にも主と賢才に恵まれず、中年になってもなかなか芽の出ないサラリーマン社長でした。
方や同時代には既に創業の成功を収め、一国一城の主となっていた曹操と孫権がそれぞれ大陸の南北を割拠していました。
負けて逃げて、荊州というところに落ち着いた劉備は、そこで諸葛孔明と出会い、
「三顧の礼」の後、弱者が乱世を戦い抜くための戦略「天下三分の計」を提案されます。
今まで腕っ節を頼りに、都合のいい傭兵として様々な主の元で使いっ走りされてきた劉備が、恐らく初めて受けるであろう
「創業に挑むための戦略コンサルティング」
です。
面白いのは、サラリーマンしかやったことのない40後半のおじさんが、社会人経験ゼロだが頭キレッキレのエリート青年から天下統一をぶっこまれている構図なのです。
俺の構想に従って動けば、曹操と孫権とも張り合えて、中華統一・漢室復興への道筋が拓ける、と。
曹操と孫権をAmazonとGoogleだとすれば、劉備はまだオフィスさえも持っていないスタートアップ。
劉備と諸葛孔明にとっての三国志は、弱小のスタートアップがマンモス級の大企業に挑んでいく物語だったのです。
■諸葛孔明の生き方
孔明は地元では「臥龍=世に潜む龍」と称された天才です。
そんな優秀な彼は、魏と呉のような大企業を選ばずに、あえてベンチャーの道に賭けたのです。
そして劉備が諸葛孔明に三顧の礼で訪れてから14年後、諸葛孔明は宣言通りに劉備を帝位に着かせ、蜀の建国を成し遂げるのです。
これは凄いことです。
諸葛孔明は空理空論を弄ぶ粋がった青年ではなく、確かな実力に裏打ちされた実行者だったのです。
蜀は三国の中で言うと最弱のベンチャー企業ですが、逆に言うと諸葛孔明がいなければ蜀は登場せず、中国の歴史上に「三国時代」は現れなかったとも言えます。
彼は一つの時代の創った偉人です。
何よりも目に見える規模や安定性、将来性よりも、自分の存在価値をフルリリースさせてくれる人と環境を軸に人生を大胆に描いた心意気が、純粋にカッコいい。
これが2つ目、「決断のセンス」です。
そして3つ目が「危機に立つリーダーの在り方」です。
劉備は61歳で皇帝となって2年後、諸葛孔明に後事を託し世を去ってしまいますが、この時、宰相孔明を巡る状況はまさに試練山積、四面楚歌。
諸葛孔明にとっても蜀にとっても空中分解一歩手前の危機に陥っていました。
・劉備、関羽、張飛の創業家一家が全員死亡
・劉備の死をきっかけに一部地域で反乱が起こる
・蜀は呉との戦争に惨敗した直後、国力が弱まっている
・唯一の本拠地となった益州の在来名士の複雑な権力関係
・よそ者の外来政権としての立場の脆さ
・国力10倍差の魏からの圧力と降伏勧告
・既に同盟が壊れ、敵国に転じた呉
・二代目皇帝の劉禅がまだ歳若く、国家運営の仕事ができない
・深刻な人材不足
しかし、圧倒的な危機を前にしても諸葛孔明は逃げず乱れず、力強い意志で現実に対処し、最善を尽くしたのです。
国家運営に身命を捧げた結果、蜀は乱世にあってなんとか命脈を保ち、最終的に三国の中で最も早く滅ぶものの、
滅亡までの30年間は目立った内乱もなく、比較的安泰に国が保ってきたというから驚きです。
私が大禅ビルに入社した時も、ビルの稼働率が恐ろしいほどに低く、いつ会社が傾くのかもわからない危険な状態でした。
あの時の絶望感と命を削った必死さは今思い出しも胃の辺りがヒリつくほどです。
諸葛孔明が対峙したような国家滅亡レベルの危機とは比べるべくもありませんが、
「あの諸葛孔明も、とんでもない危機をくぐり抜けてきたんだな」
と想像すると、勝手ながら同志のような親近感を覚えました。
危機に潰されず向かい合う―「戦い抜く勇気」を、諸葛孔明に教えて貰ったような気がします。
諸葛孔明の名は「亮」、つまり「明るい」を意味し、字の「孔明」も「甚だ明るい」を意味します。
そして私の名前「昭」も「明るく照らす」という意味を持っています。遠い時代の諸葛孔明との不思議なご縁を感じます。
繋がりを創るから、歴史も不動産もやっぱり、面白い。