―簀子小学校―
大禅ビル(賃貸オフィス:福岡市中央区舞鶴)に面した、那の津通りを西側に約500m(大手門3丁目)、ここには大正元年から平成26年まで、102年に渡る歴史を綴った福岡市立簀子小学校(すのこしょうがっこう)の約8,500平方メートルに及ぶ跡地が広がっています。
機能的な学校運営の観点や少子化の影響から、平成26年に、舞鶴周辺にある大名小学校、舞鶴小学校、舞鶴中学校とともに、舞鶴小中学校として統合されました。
体育館は、まだ残っていて、福岡市はこの土地活用のアイデアを民間事業者から募り、地域・福岡市にとって有用な跡地活用の検討の参考にしているようです。(2017年9月)
広場や体育館機能と合わせて、住宅(ファミリー向け,高齢者向け等)を主とした複合施設、商業施設、医療福祉施設、子育て支援施設,オフィス,ホテル など検討されているようですが、どのような形でこの跡地が生まれ変わるのか、興味と期待が膨らみます。
簀子小学校の簀子とは、江戸時代から昭和39年にかけてあった町名です。
福岡城の北から、東側の大工町(当時)、西側の湊町(当時)に広がるエリア、沿岸地域でもあったこの地から臨む海の中にあった大きな石が由来と言われ、これを「簀子石」と呼んでいたことから、簀子町という町名になりました。
海辺には、福岡藩の年貢米を収蔵する倉庫があり廃藩後、その近くの紙役所、炭役所の跡地に誕生したのが簀子小学校です。(簀子公民館資料より)
教室、廊下、階段は檜作り。湿度が高い日も結露することなく子供たちを守ってくれたそうです。
子供たちに最善の環境を造った当時の大人たちの想いが伝わってきます。
現在では、「簀子」の名を残しているのは、「簀子公民館」と「簀子」バス停の2つのみです。
時代の移ろいと共に、町もその姿を変えていきますが、受け継いでゆく心や精神を、次世代に伝えることも大人の役割だと感じた今回のレポートです。