病原菌にとってパンデミックの意味とは?
今までのコラムで人類が経験してきた疫病について紹介して参りました。
疫病で死んだ人口は、それこそ戦争に匹敵するのではないかと思いますし、それだけ疫病は人類の歴史と切っても切り離せない存在です。
しかし疫病という言い方は、よく考えてたら人類側の立場でしかないんですね。
畑を荒らす虫や獣を「害虫」「害獣」と呼ぶように、あくまで人間側の価値尺度を前提に善し悪しを判断しているだけに過ぎません。
それはそれでいいんですが、今回はちょっと視点を変えて、疫病を引き起こす「病原菌」の立場から疫病という現象を眺めてみたいと思います。
■ 生物としての病原菌
疫病の原因となる病原菌も私たちと同じ、生物です。
そして生物にとって最大の命題は子孫、つまりDNAを残すことにほかなりません。
人間や動物にとっての出産と同じく、病原菌にとって寄生と増殖は子孫を残す生命活動です。
病原菌が人間や動物にどんどん感染していく現象は、病原菌的に言えば適切な生存環境の獲得を意味します。
感染が増えれば、病原菌の個体数、つまり子孫が増える。これによって病原菌のDNAが生き残っていく可能性が上がっていくわけです。
■咳とは何か?
効率よく個体数を増加させることは病原菌にとって生存戦略上とても重要です。
だから感染した宿主からほかの宿主に病原菌を移させなければいけません。
例えば咳やくしゃみですね。
咳やくしゃみと一緒に飛沫も遠くに飛ぶ。
その飛沫に病原菌を運ばせるんですね。
まるで風の力を借りて種を運ばせるタンポポです。
狂犬病もそうですね。
狂犬病に感染した犬は凶暴化し、噛みつき回る。唾液を介して感染を広めるわけです。
コレラ患者は下痢によってコレラ菌を外部に垂れ流し、それがまた巡りに巡って他人の体の触れるところとなり、
梅毒の場合は感染者の性行為を通じて、天然痘は感染者の使用した衣類や寝具が感染元となります。
植物であれば光合成できますが、病原菌が生きていくには人体内の栄養素が必要です。
感染した宿主が死んだり、抵抗力をつけたりするよりも前に伝播して貰わないといけないので、症状という形で様々な伝播方法を進化させてきたと考えられます。
■人体と病原菌のせめぎ合い
病原菌に感染した側の人間の体は、異物に対して防衛反応を起こします。
例えば風邪を引くと発熱しますよね。
これは単なる症状ではなく、体温を上げて病原菌を焼き殺そうとする防衛反応の一種です。
それから白血球やマクロファージなどで構成される免疫システム。人間の体に侵入した病原菌を殺す機能を持っています。
加えて一度病原菌に感染すると体内に抗体ができます。
抗体は病原菌に感染した細胞に結合して目印として働き、白血球やマクロファージに認識させ、体内から排除するように働きます。
こうして抗体が形成されると、同じ感染症に再びかかりにくくなります。
が、これで病原菌を完全に防げるかと言うと、そうではありません。
人体の免疫システムが成長するように、病原菌も自分たちの生存環境を確保するために成長します。
インフルエンザや風邪に何度もかかってしまうのは、常に変異するウイルスであるため、人体の免疫システムにとって常に新しい敵となるからです。
特に驚異的なのはエイズウイルスです。
このウイルスは人体に感染し、体内で増殖しながら変化していく特性があります。
免疫システムが追いつかず無力化され、最終的には死に追いやられてしまう。
逆に麻疹や天然痘などは一度感染すると、そこでできた抗体は一生効くため二度とかからなくなります。
この仕組みを利用したのがワクチンです。
死滅や弱体化させた病原菌を人体に接種して、病気になることなく体内で抗体を作らせるのです。
■病原菌にとって最適な生存環境とは?
病原菌は宿主となる人間や動物が死んだり、抵抗力をつけたりするよりも前に他個体への伝播を果たす必要があります。
つまり感染ターゲット集団全員に一気に死なれたり、回復して抗体を作られたりされたら生き残り戦略上宜しくないわけで、微妙な塩梅が病原菌に求められるのです。
そこで重要になるのが感染ターゲット集団の個体数です。
極端な例えですが、10人の小さな集団と10万の大きな集団とで比べると、前者は短期間に感染して一気に死なれるか、
回復して抗体を獲得されるかで終わってしまうのに対し、後者は全員に蔓延するまでに時間がかかります。
したがって集団全員が死ぬにしても、抗体を獲得するにしても一定のタイムスパンが生じることとなり、集団内で病原菌が保有される期間、つまり生存期間が長くなります。
集団内での病原菌の保有期間が長くなれば、その集団でやがて生まれてくる抗体を持たない新生児に感染できる確率が上がるのです。
出生率が保たれ、集団として維持可能である点が病原菌の生存における重要な要素です。
それから病原菌の集団での保有期間の長さは、抗体を持たない他集団への伝播の可能性を高める要因でもあります。
■都市と集団感染の関係
集団感染症は人口が密集した都市で発生するのは、病原菌にとって良好な生存環境だからなんですね。
人類史において、人口の増加と密集をもたらし、都市形成の大きな要因となったのは農耕社会へのシフトです。
労働集約的な農耕文明は人口密度によって支えられているといっても過言ではありません。
狩猟採集民と異なり、農耕民は一カ所に定住するので、自分たちや家畜の糞尿や汚水、ゴミとどうしても距離が近くなります。
今日であれば上下水道が整備され、衛生的な生活環境が保たれていますが、それも近代に入ってからの話です。
また、人口が密集すると病原菌の媒介者となるネズミや、蚊、ハエといった虫も集まりやすく、定住が進めば建物も増え、人間の活動の大部分は室内で行われるようになります。
農耕社会においては、まさに今話題の3密(密閉空間、密集場所、密接場面)状態が生まれやすい環境でもあるのです。
■家畜がもたらす病原菌
先に述べたように、感染症が生存する上で最適な環境は、一定以上の出生率により人口規模が維持できている集団です。
それは宿主が家畜になった場合も当てはまります。
人間が密集して暮らすようになると、豚や牛といった家畜の集団も大きくなり、病原菌の温床となったのです。
そこで起こったのが、動物が保有していた病原菌の人間への感染です。
最近の研究によれば、人間特有の病気を引き起こす病原菌の近縁種には、
人間と同じく病原菌が生存可能な規模の集団を維持できている家畜やペットにだけ感染を引き起こすものがあるようです。
家畜化された動物が保有していた病原菌が、長期間にわたる人間と密な接触の中で人体に環境適応しながら人間への感染力を獲得した可能性があります。
例えば牛疫ウイルスや豚インフルエンザの病原菌は、それぞれ人間にかかる麻疹、インフルエンザのウイルスと近しい構造を持っているんですね。
病原菌の視点から考えてみると、彼らが集団感染を引き起こす背景には、実に幾つもの因子が関係していることがわかるのです。
以上、大禅ビル(福岡市 舞鶴 賃貸オフィス)からでした。