建築史シリーズ 構成主義と表現主義

弊社、大禅ビルが行っております貸しビル業は、本質的には空間に付加価値をつけていくプロデュース業だと考えています。

 

そのような仕事をさせて頂いている身ですから、建築やインテリア、ファッションといったデザイン全般にアンテナを張っており、

 

そこで得たヒントやインスピレーションを大禅ビルの空間づくりに活かすこともあります。

 

とは言え、私は専門的にデザイナーとしての教育を受けたことはありませんから、本職の方々と到底比べられません。

 

本物のデザイナーというのは、既存の概念を超越するような美を生み出すアーティストに近い存在と言ってよく、その足跡の後には全く新しい地平が拓けていくものだと思っています。

 

このシリーズではそうしたデザイナーたちが紡ぎ上げてきた建築の歴史を中心にご紹介していきます。

 

◯ロシアから生まれた構成主義

建築は時の宗教や権力者、そして政治によって、信者獲得やプロパガンダの役割を果たすことがありました。

 

1917年、ロシアではロシア革命によって成立した世界最初の共産主義国家が、芸術を新体制に奉仕させることを目標の一つとします。

 

革命直後のロシアには文字の読み書きができない人々がロシア帝国にかなりおり、大衆を扇動するためには視覚的なメディアが必要とされました。

 

この分野において、活躍の場を与えられたのが前衛芸術家たち(アヴァンギャルド)だったのです。

 

ロシアで構成主義の創始者となるウラジーミル・タトリンは、キュビズムと未来派の影響を受けて、構成主義(コンストラクティヴズム)を唱えます。

 

タトリンの「第三インターナショナル記念塔計画案」では、会議場やオフィス、情報センターの各ボリュームが立方体や四角錐、円筒形という幾何学的形態に割り振られています。

 

 

さらに、それらを回転しながら上昇するらせんのストラクチャに組み込み、運動感を表現しています。

 

もしこの建築が実施されていれば、高さ400メートルの真紅の鉄骨塔状の建築になっていました。

 

タトリンはブルジョワ芸術としての既成の美術を否定し、先端の工業技術を基礎とし、革新的な造形表現を追求していきます。

 

特徴としては木や金属、ガラスといった素材のボリュームと構成に主眼をおいて造形芸術の革命を目指していました。

 

また、エル・リシツキーの「雲の支柱」も構成主義に数えられる作品です。

 

 

摩天楼に見られる「垂直=資本主義」と、水平のブロックが交差する構成で、鉄床とハンマーから工場労働を連想できるので、このような形態は特に好んで用いられました。

 

一方で、コンスタンチン・メーリニコフのパリ万博ソヴィエト館はクサビ状の分割が特徴的でした。

 
メルニコフ
 

これが平面・立面と合わさり、抽象的なダイナミズムを獲得し、この作品によって彼には世界的な名声がもたらされました。

 

イリア・ゴロゾフのツィェフクラブは前述した構成主義的造形と巨大シリンダーが融合した表現となっています。

 

 

このシリンダーが建物上部の軒を貫通していることがポイントで、そうすることで劇的な構成、さらに視覚的統一感が生まれています。

 

このように構成主義の背景には、機械から生まれる生産への礼賛と、労働者のつくる工業的な材料に機能的な美しさがあるという考えがありました。

 

そして、それらの組み合わせこそ、次の時代を切り拓く新しい芸術とされ、構成主義の建築はまさに革命を祝福するモニュメントだったのです。

 

この運動もまた、既成の制度や伝統との闘争でもありました。

 

そのため、軍事用語を起源とする「前衛」の称号を与えられたというわけです。

 

1930年代に入ると、スターリンが社会主義リアリズムを推奨したため、前衛芸術は弾圧されていきます。

 

しかしながら、構成主義に見られる面や直角による幾何学的美学はデ・ステイルへの繋がり、モダニズム、ピューリスムへとさらに進化していきます。

 

◯表現主義の興り

19世紀末のドイツでは、近代技術によって国力は頂点に達していました。

 

世紀の発見·発明が相次ぎ、自動車、汽車、汽船、さらには電信技術によって物資は満たされ、生活は便利となり、人々は不自由なく新しい時代を暮らしていけるはずでした。

 

しかし、合理を突き詰めた都市は、人間でさえも疎外されてしまったかのような世界を、同時につくり出してしまったのです。

 

そんな中、ドイツの建築家や美術家は「建築・工芸の表現は実用と機能にとどまるべきでなく、自由かつ魅力ある形態をもつべき」と考える者が少なくありませんでした。

 

やがて1910年代初頭より、その思想を形にした表現主義が現れはじめるのです。

 

表現主義は人間の内面を表出しようとする芸術思想だったため、その特徴もさまざまです。

 

以下紹介していきます。

 

①結晶のもつシンボリズム

 

 

芸術家たちにとって高貴なダイヤモンドは、平凡な鉱物が激しい自然界の変化にさらされて生まれるイメージをもっていました。

 

このことは、「平凡な日常生活であっても、日々身の回りの芸術に包まれて過ごせば、生まれ変わることができる」という物語にまで昇華します。

 

ダイヤモンド状の平面形をもって立ち上がる高層ビルは、それ自身がきらめくガラス状のカーテンウォールに覆われ、結晶そのもののイメージです。

 

②生成と変化のイメージ

 

 

可塑性である鉄筋コンクリート(RC)が彫刻的な形態を可能にました。

 

これは建築そのものを生命体と捉える考え方で、自然の有機体のような動きが備わる建築への志向にも繋がります。

 

③人間と自然の一体感

 

 

素材が人の目に与える印象、身体に与える影響は大きいものです。

 

使用されたレンガは大地の土を取り、練られ、焼成され、人の手によって積まれるという、命を与えられていく過程でつくられることから好んで用いられました。

 

④ゴシック建築のイメージ

 

 

ゴシック建築は多くの工匠たちが力を合わせ、かつ、技術の結集する総合芸術の象徴です。

 

さらに心が浄まる聖なる空間でもあります。

 

そのため、ゴシック建築から人のための空間と手仕事の美しさ、芸術性の回復を意図した表現主義は「芸術こそ民衆の生活とともにあるべきで、建築はあらゆる芸術が結集した総合芸術となり、新しい生活を創造していく」ことを主張しました。

 

さらに同時代のオランダでは、表現主義の特徴と共通するアムステルダム派も生まれました。

 

彼らの目標もやはり「民衆の生活と芸術が一体になる」ような、豊かな社会の実現にあったのです。

 

以上、大禅ビル(福岡市 舞鶴 賃貸オフィス)からでした。

 

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