建築史シリーズ 日本の近代建築㉓
弊社、大禅ビルが行っております貸しビル業は、本質的には空間に付加価値をつけていくプロデュース業だと考えています。
そのような仕事をさせて頂いている身ですから、建築やインテリア、ファッションといったデザイン全般にアンテナを張っており、
そこで得たヒントやインスピレーションを大禅ビルの空間づくりに活かすこともあります。
とは言え、私は専門的に教育を受けたことはありませんから、本職の方々と到底比べられません。
本物のデザイナー、建築家というのは、既存の概念を超越するような美を生み出すアーティストに近い存在と言ってよく、その足跡の後には全く新しい地平が拓けていくものだと思っています。
このシリーズではそうした美に携わってきた建築家たちを中心にご紹介していきます。
◯分離派建築会を立ち上げた山田守
山田守は電信局、電話局といった逓信建築の先駆者的存在、モダニズム建築を実践し、曲面や曲線を用いた個性的、印象的なデザインの作品を残しました。
東京帝国大学建築学科に学んだ山田は、卒業にあたり「分離派建築会」というグループを結成します。
分離派はウィーンのセセッションから名前を引用し、過去の様式とは決別し、新たなものを創造しくことを目指したもので、帝大構内で同人習作展に始まります。
分離派宣言の後、インターナショナルスタイルの作風を吉田鉄郎とともに一早く取り入れることになりますが、分離派のなかで表現主義的な傾向を最後まで貫いたのが山田だったと言われています。
東海大学海洋科学博物館
表現主義でデザインされ、現在も基本的な平面構成はほぼ当時の状態のままです。
チューリップや噴水のようにも形容できるアプローチの庇と柱を合理的に造形とした構造体の連続が特徴的です。
東海大学湘南キャンパス
山田が東海大学の理事に就任し主任教授に着任したことで、東海大学関係の数多くの施設に山田が関わっていました。
Y字型平面を持ち、頂部にらせん状の塔が載る1号館は昭和38年竣工。
湘南キャンパスは、北側の小田急線東海大学前駅から上がっていき、Y型平面が特徴的な1号館を頂点に、南門に向かって下がっていく高台に建っています。
◯和風モダン表現の追求・堀口捨己
堀口捨己は、アムステルダム派の影響を含んだ表現主義からスタートし、モダニズムを経て和風建築の達者となった人物です。
山田守らと分離派建築会を結成し、大正10年に平和記念東京博覧会の設計で分離派の主張を実作として世に送り出しています。
渡欧後は、吉川邸のような白と直角によるモダンデザインの構成を試みています。
また、茶と茶室の研究を軸に数奇屋、書院造など伝統建築の研究に没頭し実測調査を交えて数多の論考も発表しています、
八勝館
愛知県の料亭・八勝館は、 御幸の間と桜の間が堀口の作品であり、なかでも御幸の間は堀口の傑作として知られています。
昭和25年に愛知県で開催された国民体育大会にご出席された天皇皇后両陛下の宿泊の場として、 邸宅を増改築して設けたのが御幸の間です。
数奇屋造の代表的な住宅である桂離宮を手本として設計されています。
数寄屋造は、自然の風合いを生かした素材や色付きの土壁などを用いることが多いという。
常滑陶芸研究所
陶芸の振興を目的とした研究施設です。
外観は、戦前に堀口が手掛けたデスティルやバウハウスに影響を受けたような印象とは違い、 コンクリートによる和風表現を試みた建築と言えます。
平面構成の枠組みは線対称でありながら、空間構成は非対称とすることで徹底した対称性の崩しを行っています。
陶芸を扱うということで和の要素、特に自然の素材を組み合わせる数奇屋を取り入れるという発想が最初の段階で意識されました。
断面構成は半分を展示室とした2層吹抜け、右半分はさらに中央で2分割した2階建てです。
建物はラーメン構構造のグリットプランですが、平面的な分割方法は和風建築の平面構成を用います。
◯京都学派を展開した森田慶一
森田慶一は過去の様式からの分離を宣言した分離派建築会に名を連ね設計活動を始め、西洋建築の歴史的研究を経て、ギリシアやローマの古典精神を探求し、建築論研究にも力を注いだ建築家です。
彼が文献研究に生涯の多くを費やし、のちに京都学派の流れを生み出していくきっかけを作ったのですが、建築家としては極めて寡作でした。
湯川記念館
昭和24年に京都大学の湯川秀樹教授が中間子理論で日本人として最初のノーベル賞を受賞し、これを記念して建てられた鉄筋コンクリート造3階建ての施設です。
この作品は、歴史様式のプロポーションを意識した繊細さの伝わるモダニズム表現で、西洋の古典から建築論の形成を試みた森田らしいデザインと言えます。
京都大学楽友会館
鉄筋コンクリート造2階建てで、清水組の施工によって大正14年に竣工しました。
楽友会館は、京都大学創立25周年を記念して建てられた同窓会館です。
大正9年の分離派建築会にはじまる日本のモダンムーブメントにおける記念碑的な作品と言われています。
外観上は、この時期に流行していたスパニッシュ様式を基調とし、玄関ポーチの独特な曲面屋根はアムステルダム派の影響によるものと言われています。
◯和風をアップデートする建築家
吉田五十八は、数寄屋を中心とした日本の伝統建築を近代化する研究を行い、生涯を通じて和風を巧みに生かしたデザインを手掛けました。
大正時代から続いた分離派のなかで後期表現派とも呼ばれる作品が登場しますが、それを和風住宅で行った代表的な建築家が吉田でした。
そして、主に戦後から新たに鉄筋コンクリート造による和風表現を試み始めます。
山口蓬春記念館
画家の山口蓬春と吉田は東京美術学校の同期。
山口は、昭和23年に既存の木造2階建ての日本家屋を自邸として入手し、改築や画室の増築を吉田に依頼していました。
画室とベランダとの間には段差が設けられ、山口画伯が絵を描きながら外を眺める視線が、ベランダに置かれた卓と椅子の背もたれで邪魔されないよう工夫されています。
諏訪市文化センター
北厚工業株式会社の福祉厚生施設として建てられた施設で、鉄筋コンクリート造2階一部3階て。
鉄筋コンクリート造を基本としたモダニズム風の建築に和風要素を付加した表現となっています。
建物全体は適正なサイズ感で、細すぎず、太すぎない絶妙なプロボーション。
千本格子風の開口、ステージ部分の入母屋造風の屋、ベラングの菱形断面の高欄風の手摺など、日本的な要素が施されています。
外見上の無骨な日本的要素は、平面構成によって室内からはその存在感をやわらげる工夫がなされています。
以上、大禅ビル(福岡市 舞鶴 賃貸オフィス)でした。