建築史シリーズ 日本の近代建築⑱

弊社、大禅ビルが行っております貸しビル業は、本質的には空間に付加価値をつけていくプロデュース業だと考えています。

 

そのような仕事をさせて頂いている身ですから、建築やインテリア、ファッションといったデザイン全般にアンテナを張っており、

 

そこで得たヒントやインスピレーションを大禅ビルの空間づくりに活かすこともあります。

 

とは言え、私は専門的に教育を受けたことはありませんから、本職の方々と到底比べられません。

 

本物のデザイナー、建築家というのは、既存の概念を超越するような美を生み出すアーティストに近い存在と言ってよく、その足跡の後には全く新しい地平が拓けていくものだと思っています。

 

このシリーズではそうした美に携わってきた建築家たちを中心にご紹介していきます。

 

◯住友系建築家・長谷部鋭吉

住友系建築家の中で重要な位置を占める人物、長谷部鋭吉は1885年に札幌で生まれ、父は旧福井藩士、母は宮司の娘でした。

 

東京帝国大学工学部建築学科を卒業後、住友総本店に入社。野口孫市にはじまる様式建築の流れを継承しながら、大正期からのモダンデザインも吸収します。

 

不況期に住友から独立し、長谷部竹腰建築事務所を設立しマネジメントの面でも活躍。

 

戦争末期、住友土地工務株式会社と合併し、戦後に日本建設産業株式会社となり、今日の日建設計に至ります。

 

大阪カテドラル聖マリア大聖堂

 

 

長谷部鋭吉の遺作とも言える作品です。

 

建坪約2,479㎡、軒高約20m、内部空間は実質4階の吹き抜けに相当します。

 

イタリア産の大理石で覆われた床、約100個の窓はステンドグラスで、イエスと聖母マリアの生涯が描かれています。

 

敷地が細川大名家の屋敷跡であったことから、大聖堂前広場には細川ガラシャとキリシタン大名・高山右近の石像があり、壁面には故堂本印象氏による画「最後の日のガラシャ夫人」が掲げられています。

 

細川ガラシャは明智光秀の三女で、細川忠興に嫁いでキリスト教の洗礼を受け、関ヶ原の戦の際、人質として大坂城へ入ることを拒んで自決した人物です。

 

住友ビルディング

 

 

大阪市中央区北浜の通称「住友村」にある住友財閥の拠点として建てられた建築です。

 

近世ルネサンス様式の重厚な建物で、黄土色の竜山石で窓は小さく、イオニア式オーダー、ファサードはアーチ窓とメダリオンといった意匠となっています。

 

内装にはコリント式オーダーが立ち並び、ステンドグラスの天井が見られます。

 

◯耐震構造の父・内藤多仲

内藤多仲は建築構造技術者、建築構造学者として明治から昭和にかけて活躍しました。

 

 

名古屋テレビ塔や東京タワーなど鉄塔の設計を多く手がけ、「塔博士」とも呼ばれたそうです。

 

東京帝国大学では最初は造船学を専攻していましたが、日露戦争後の造船不況を考慮して建築学に転向し、佐野利器に師事します。

 

卒業後はアメリカへ留学。旅行用トランクの仕切板を外して積んだためトランクを壊してしまった体験や船の構造から着想を得て、帰国後に耐震壁による耐震構造理論を考案しました。

 

1924年、「架構建築耐震構造論」で工学博士号を取得。

 

この耐震構造理論を用いて耐震壁付き鉄骨鉄筋コンクリート構造の日本興業銀行本店や歌舞伎座、実業之日本社ビル等の構造設計を実施。

 

興銀の竣工3か月後に関東大震災が起きますが、丸の内にあったアメリカ流の鉄骨造ビルが大きな被害を受けたのと対照的に、興銀が無事だったことで内藤の理論が実証される形となりました。

 

戦後は東京タワー、二代目通天閣など多数の鉄骨構造の電波塔・観光塔の設計を手がけています。

 

東京タワー

 
東京タワー
 

東京の風景を代表すると言っても過言ではないシンボルです。

 

東京タワーの建設に先立ち「日本電波塔株式会社」が設立され、日本の塔設計の第一人者である内藤多仲と、住友に流れを組む日建設計に白羽の矢が立てられました。

 

内藤は当時話題を提供していたドイツのシュトゥットガルトテレビ塔(216.6メートル)を参考に鉄筋コンクリートの塔を想定した検討を行いましたが、基礎に関して敷地の関係などかなりの困難が伴うとの判断から鉄塔で計算を進める方針となったそうです。

 

博多ポートタワー

 

 

地元福岡のベイサイドプレイス博多埠頭の一角に立つ塔です。

 

全高100m。内藤が設計した所謂「タワー六兄弟(名古屋テレビ塔、2代目通天閣、別府タワー、さっぽろテレビ塔、東京タワー、博多ポートタワー)」の一つで、最後に完成したため「タワー六兄弟の末っ子」と呼ばれました。

 

展望室からは博多湾ならびに福岡市街が一望でき、展望室の上階には、東洋信号通信社が運営する博多VHF海岸局「博多ポートラジオ」があります。

 

レーダーや無線通信などで博多湾を出入する船舶の動静を把握しつつ、水先人などに港湾の混雑状況や気象など航行に必要な情報を24時間体制で提供する国際海上VHF運営の受託業務を行っています。

 

◯昭和モダニズムの名手・安井武雄

安井武雄は、大阪を中心に活躍した建築家です。

 

昭和初期のモダニズム建築を代表する建築として名高い大阪ガスビルディングなどを設計したことで知られています。

 

安井は1884年、陸軍少佐の子として千葉で生まれました。

 

高校時は油絵を学ぶものの、建築デザインを目指し、東京帝国大学工科大学建築学科に入学します。

 

大学では洋風建築について勉強、卒業設計では慣例を破って木造和風住宅を提出し、恩師である佐野利器を激怒させたとか。

 

卒業後は南満州鉄道に入社、満州で約10年間過ごします。

 

ここであらゆる用途の建築設計に関わり「東洋風」と評される安井独自のデザインを確立します。

 

独立後、野村グループの創業者である野村徳七との縁を得て、野村證券本社の設計を任され、

 

そこからエキゾチックな様式、アール・デコ風の近代性を巧みに組み合わせたオフィス、住宅、工場などの名作を数多く生み出していきます。

 

大阪倶楽部

 

 

1924年の竣工以来、社交倶楽部である社団法人大阪倶楽部の会員制会館として利用され続けています。

 

なんと屋上にゴルフ場まであります。

 

もとは1914年に野口孫市と長谷部鋭吉によって設計された英国城館風の建物でしたが、失火で焼失し、現在の新館が安井武雄によって再建されたという経緯があります。

 

南欧風の様式に東洋風の手法を組み合わせ、旧ローマ市街の建築によくみられる石のアーチが目を引く南欧スタイルを取り入れた重厚な外観に仕上げられており、唐草の縁取りやトーテムポールなど細部の彫刻には東洋・中近東のモチーフを見て取れます。

 

大阪瓦斯ビルヂング

 

 

安井武雄の設計で1933年に竣工。

 

当時最新式のモダンな建物と言われ、竣工当時、建物内には事務所のほか、ガス用品陳列場、講演場、美容室、理髪場、ガス料理講習室、食堂などが設けられ、一般に開放されていました。

 

現在も大阪ガスの本社屋として使用され、2003年に「大阪ガスビルディング」の名称で国の登録有形文化財として登録されました。

 

「アール・デコ様式が持つ鉱物感覚が高純度に洗練されたもの」「都市建築の美の極致」と評価されています。

 

以上、大禅ビル(福岡市 舞鶴 賃貸オフィス)からでした。

 

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