建築史シリーズ 日本の近代建築⑯
弊社、大禅ビルが行っております貸しビル業は、本質的には空間に付加価値をつけていくプロデュース業だと考えています。
そのような仕事をさせて頂いている身ですから、建築やインテリア、ファッションといったデザイン全般にアンテナを張っており、
そこで得たヒントやインスピレーションを大禅ビルの空間づくりに活かすこともあります。
とは言え、私は専門的に教育を受けたことはありませんから、本職の方々と到底比べられません。
本物のデザイナー、建築家というのは、既存の概念を超越するような美を生み出すアーティストに近い存在と言ってよく、その足跡の後には全く新しい地平が拓けていくものだと思っています。
このシリーズではそうした美に携わってきた建築家たちを中心にご紹介していきます。
◯日本の建築構造学の基礎を築いた佐野利器
佐野利器は建築学を辰野金吾に学び、国技館や東京駅の構造設計を担当しました。
彼は「家屋耐震構造論」において、日本の建築構造学の基礎を築いたものと評され、また建築構造の耐震理論構築としては当時世界初の試みであるとされています。
さらに建築法規の制定運動を起こし、市街地建築物法(建築基準法の前身)の制定に貢献しました。
関東大震災後には帝都復興院理事・建築局長に就任、関東大震災後の復興事業・土地区画整理事業を推進するだけでなく、都市不燃化の一環として100を超える鉄筋コンクリート造の復興小学校建築に当たり、不燃建築(RC造)の建設の促進にも尽力しました。
「家屋耐震構造論」を唱えた佐野は、耐震構造学の礎を築いた構造学派の創始者として知られています。
加えて地震に起因する耐震構造の問題だけでなく、火事、住宅、都市といった社会問題をどう解決するかということにも心血を注ぎ、建築は社社会に向けてあるべきだと唱えました。
それゆえ佐野は「社会政策派の開祖」でもあります。
国家のための建築を論じるうえで、重要なのは様式的な選択の問題ではなく、実態を直視して社会的経済的基盤を理解することであると指摘して、社会に向けた意識を強調しました。
佐野の社会派としての側面を知るうえで、住宅への言及が重要です。
佐野は大正14年の「住宅論」で、子ども部屋の重要性や、住宅はそれを中心とした構成とすべきだという先進的な主張をしています。
佐野利器邸
佐野の自邸は鉄筋コンクリート造2階建てとなっており、シンプルな意匠ですが、窓だけは和風になっています。
レイアウトとしては、居室である田の字プランに、廊下などの機能を持つ長方形をつけ加えたようなものになっています。
武蔵大学根津化学研究所
旧制武蔵高等学校の初代理事長で、 根津財閥を築いた根津嘉一郎を記念した鉄筋コンクリート造の建物です。
長年にわたり改修を重ねて大事に使われ、公益社団法人ロングライフビル推進協会より表彰されています。
現在は、 練馬区の登録文化財にもなっています。
◯自由様式を駆使した佐藤功一
佐藤功一は早稲田大学理工科の建築学科の創始者として知られています。
佐藤は、辰野金吾の教え子に学んだ第3世代を代表する自由様式を駆使した建築家です。
当時の主流であったモダンデザインと、前時代的なものになっていた古典主義風の建築の境界を歩む自由な様式に取り組みました。
作品としては日比谷公会堂の設計、大学関連では早稲田大学のシンボルである大隈講堂や、武蔵大学、津田塾大学に作品を39年間で233件残しています。
また東京女子高等師範学校、日本女子大学などで教え、女性に対する建築教育の草分けでもありました。
日比谷公会堂
東京市政調査会館として建てられたもので、 大正11年の「東京市政調査舎畜館建築意匠設計懸賞営選園案」の指名設計競技で佐藤の案が当選。
関東大震災による工事の中断を経て昭和4年に竣工、震災復興を象徴する国内初の本格的な公会堂となりました。
量塊性を背景に持ちながら、壁面に柱型を出して垂直線を強調したゴシック様式を基調としています。
早稲田大学大隈記念講堂
鉄骨鉄筋コンクリート造の建築で、昭和2年に竣工。
表現派的な量塊性を持たせながらも、正面玄関では2層を吹抜けにして縦長の力強い3連チューダーアーチの開口を設けています。
様式的細部の表現は抑えて平滑な壁面に仕上げています。
◯和風建築の大江新太郎
大江新太郎は日本ならではの様式の創出を目指し、その代表作として明治神宮宝物殿があります。
ここでは、伝統的な木造建築の様式を石による組積造の技術で試みています。
また、進化主義的な発想のなかで岩崎小弥太邸などの日本の伝統を継承する近代和風建築にも取り組みました。
日本建築だけでなく、ヨーロッパ様式に影響を受けた建築も手掛けており、幅広いデザイン手法を展開しています。
神田神社本殿
鉄骨鉄筋コンクリート造の社殿。関東大震災による震災復興社殿の代表的な建築物です。
本殿と拝殿を幣殿でつなぐ権現造を採用しており、小屋を鉄骨とすることで屋根荷重を軽減し、 柱配列を工夫して柱の断面を細くすることで、木造の木割に近付けることを目指しました。
明治神宮宝物殿
宝物殿は明治神宮の創建と一体的に計画されました。
正倉院をオマージュして校倉造の高床をモチーフとしています。
納められた宝物を守るために、火災や風化に強い鉄筋コンクリート造の躯体に花崗岩で仕上げを施しています。
◯庁舎建築の中村與資平
中村與資平は、明治期から昭和期に活躍した建築家で、朝鮮・旧満州及び静岡県などにおいて多くの銀行や公共建築の設計を手がけたことで知られています。
スパニッシュ様式といえば当時は邸宅が一般的でしたが、これを公共建築に取り入れた数少ない建築家が中村です。
中村は地元の浜松の作品が多いほか、韓国など海外に渡って多くの建築を残し、日本以外の地で最初期に建築事務所を開設した建築家の一人です。
海外滞在後には都市に関する論文を発表しており、都市計画的な視点も備えた設計者でした。
静岡三十五銀行本店 (現静岡銀行本店)
昭和6年竣工の角地に建つ建築。角地に面した建築は左右の構成がそれぞれ異なる場合が多いが、交差点から眺めてもシンメトリーになっています。
中村の都市における建築の考え方の一端が伺えます。
鉄筋コンクリート造を石造風に見せており、ドリス式オーダーをもつ4本の柱型が道路に面しています。
静岡市役所本館
鉄筋コンクリート造4階建てのスパニッシュ様式の建築で、現在は国登録有形文化財となっています。
中央のドームが象徴的で、ドームはモザイクタイルで装飾され、外壁面の各所はテラコッタで装飾されたスパニッシュ風となっています。
当時流行していたスパニッシュ様式は、アメリカの旧スペイン領から伝わったものとされています。
当時の庁舎建築には、 権力の象徴となる記念的性格が強く求められたので、中村は、それにスパニッシュ様式と都市の関係性を考えて設計することで応えました。
以上、大禅ビル(福岡市 舞鶴 賃貸オフィス)からでした。