建築史シリーズ 日本の近代建築⑬

弊社、大禅ビルが行っております貸しビル業は、本質的には空間に付加価値をつけていくプロデュース業だと考えています。

 

そのような仕事をさせて頂いている身ですから、建築やインテリア、ファッションといったデザイン全般にアンテナを張っており、

 

そこで得たヒントやインスピレーションを大禅ビルの空間づくりに活かすこともあります。

 

とは言え、私は専門的に教育を受けたことはありませんから、本職の方々と到底比べられません。

 

本物のデザイナー、建築家というのは、既存の概念を超越するような美を生み出すアーティストに近い存在と言ってよく、その足跡の後には全く新しい地平が拓けていくものだと思っています。

 

このシリーズではそうした美に携わってきた建築家たちを中心にご紹介していきます。

 

◯イギリス派建築の黎明を担った久留正道

久留正道は、明治期の文部省営繕の建築技師として、山口半六とともに多くの学校建築を手掛けています。

 

 

山口が病で文部省を辞してからはそのポストを継承して文部省会計課建築掛長となりました。

 

久留は、明治28年には「学校建築図説明及び設計大要」をまとめ、学校建築の規範を示したことでも知られています。

 

金刀比羅宮宝物館

 

 

香川県にある金刀比羅宮宝物館は、久留の設計により明治38年に建てられました。

 

香川県広島産の花崗岩である青木石で造られた2階建て、屋根は入母屋造の瓦葺、玄関は木造の唐破風造、平滑な壁面に柱型を出して頂部を舟肘木とし、開口の上下には水平材を出すなど真壁造の和風要素を配しています。

 

入母屋造本瓦章の屋根などで分かりやすく和風を強調する一方、基壇や窓などでは古典主義を取り入れており、まさに和洋折衷の建築ですね。

 

帝国図書館

 

 

帝国図書館(現国立国会図書館国際こども図書館)は鉄骨補強レンガ造、 一部鉄筋コンクリート造、地上3階地下1階の図書館です。

 

設計は久留はじめ、ほかの建築家の名前も連ねており、平成11年に東京都選定歴史的建造物となりました。

 

昭和4年に一部増築され、 平成14年に耐震補強と内外装の修復が安藤忠雄と日建設計によって行われ、現在の国際子ども図書館としてリニューアルしています。

 

外観のデザイン意匠はルネサンス様式が基調となっていますが、 片山東熊による京都や奈良の帝室博物館のそれと比べれば壁面は凹凸が少なく、ペディメントやオーダーなどの古典様式を印象付けるような象徴的な意匠は省略されています。

 

現在は、安藤の設計により、ガラスの箱をもつアプローチや古典様式のデザインを生かした内部空間が演出されており、活用例としても注目されています。

 

◯技術を担ったエース官僚・妻木頼黄

妻木頼黄は議院建築と大蔵省臨時建築部での働きがよく知られています。

 

 

東京府庁や日本赤十字社などを設計しています。

 

特に議院建築については、研究のためにドイツに留学した経験を持っています。

 

ちなみに、議員建築をめぐり、妻木は明治期の官庁営繕のボスでしたが、建築界のボスであった辰野金吾との織烈な争いがありました。

 

日本橋の麒麟像

 

 

日本橋は、東京都中央区の日本橋川に架かるアーチ橋であり、中央柱には青銅製の麒麟像が設置されています。

 

実はこの麒麟像を含む日本橋の装飾を手掛けたのが妻木でした。

 

装飾はルネッサンス様式でまとめられ、角型の手摺付高欄は花崗岩、 ランプの柱などは青銅でできています。

 

ランプの柱には、花形や麒麟が、燈柱の紋様には松と榎の装飾があしらわれています。

 

現在の日本橋は明治44年に木造だった以前の橋に替わり、石造りの二連アーチ橋として完成しました。

 

日本橋を架けた際、東京市の繁栄を願ってこの吉祥をもたらす霊獣を飾ったのです。

 

日本橋の麒麟像には独自の特徴があります。それは「翼が生えている」こと。

 

日本橋は日本中の道路の起点として、「日本橋から飛び立つ」という意味を込めて翼が付けられたと言われています。

 

横浜正金銀行本店本館

 

 

欧米の銀行健築を参考にしつつも、 日本の慣習や事情を考慮した設計がなされました。

 

館内の意匠は装飾を求めず、もっぱら実用と堅牢を主としています。

 

屋内外の仕上げには常陸産の花崗岩や相州白丁場石など、さまざまな石材が用いられています。

 

妻木は、構造としてはレンガ造を多用し、妻木式構法とも呼ばれる工法を積極的に用いています。

 

この工法はレンガ造を鉄で補強するもので、レンガ造の壁内に水平に帯鉄を敷き、垂直方向に鉄棒を挿し込むことで盤を耐震補強する構法です。

 

◯実業家と建築家の2つの顔を持つ横河民輔

横河民輔は明治期の日本を代表する実業家・建築家であり、横河グループ創業者です。

 

 

横河は三井から独立し、横河工務所を設立したことを契機に、横河橋梁製作所、横河電機製作所を相次いで設立し、横河グループの基礎を築きました。

 

建築家としての横河は、国内では最初期の鉄骨造建築として明治5年に三井本館を手掛け、日本初のオフィスビルとして大正元年に鉄骨造の三井貸事務所を世に送り出しています。

 

三井貸事務所

 

日本初の貸オフィスビルです。

 

横河が、「事業ごとに分散していた三井の機能を1つのビルにまとめては?」と提案したのが旧三井ビルの始まりでした。

 

この時、濃尾地震での被災状況からレンガ造への不安が強く、また当時の技術では3階建以上のレンガ造は壁が分厚くなってしまうため、横河は構造に頭を悩ませていました。

 

そんななか外国の雑誌で、アメリカで鉄骨造が勃興しつつあること知り、鉄骨構造を試みたとしています。

 

そして、明治45年に登場した日本初の経済的で実用的なアメリカ式の貸しオフィスビルこそ三井貸事務所だったのです。

 

当時は鉄骨が日本にほとんどなく、研究をしながら鉄骨造を採用したようです。

 

鉄骨材はアメリカのカーネギー社に注文して入手できましたが、鉄骨とレンガの組み合わせという技術的な面で苦労したようです。

 

三越日本橋本店

 

 

もともとあった土蔵造りの旧館が取り壊され、木造3階建てのイギリス風ルネサンス建築に建て替えられました。

 

その後敷地を拡張し、日本橋大通りに面した旧館跡地に本店新館の建設が決定されました。

 

この時の設計・施工を担ったのが横河工務所でした。

 

3年あまりの工期を経て大正3年に竣工、建築構造は当時の最新の鉄骨カーテンウォール構造で、広く注目されました。

 

三越日本橋本店は重要文化財となっているため、保存状態のよさが重視されており、世界遺産でいう真正性が求められていますが、文化財としては同じ建築事務所が世代を重ねながら改築してきたことが評価されています。

 

この建物はさらに大正10年に増築されますが、関東大震災で被災します。

 

その際残った駆体の鉄骨や床スラブなどを生かして、現在の姿のベースとなる建築が竣工されたのです。

 

その後の増築においても設計は一貫して横河工務所が担当しましたが、平成30年に隈研吾の設計で内部空間の大規模なリニューアルがなされ、現在に至ります。

 

以上、大禅ビル(福岡市 舞鶴 賃貸オフィス)からでした。

 

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