建築史シリーズ 日本の近代建築⑫

弊社、大禅ビルが行っております貸しビル業は、本質的には空間に付加価値をつけていくプロデュース業だと考えています。

 

そのような仕事をさせて頂いている身ですから、建築やインテリア、ファッションといったデザイン全般にアンテナを張っており、

 

そこで得たヒントやインスピレーションを大禅ビルの空間づくりに活かすこともあります。

 

とは言え、私は専門的に教育を受けたことはありませんから、本職の方々と到底比べられません。

 

本物のデザイナー、建築家というのは、既存の概念を超越するような美を生み出すアーティストに近い存在と言ってよく、その足跡の後には全く新しい地平が拓けていくものだと思っています。

 

このシリーズではそうした美に携わってきた建築家たちを中心にご紹介していきます。

 

◯フランス式宮廷建築の先駆け・片山東熊

片山東熊は日本人宮廷建築家の中の代表的な人物です。

 

 

しかも当時の日本では少数派のフランス派に属していました。

 

当時の洋風建築家は辰野金吾を筆頭とするイギリス派や妻木頼黄を中心としたドイツ派に二分されていた状況でした。

 

明治20年に片山は宮内省内匠寮の所属となってからは、宮家と華族の住宅を皮切りに、博物館、芝、赤坂、武庫の離宮など多くの宮廷建築を手掛けていきます。

 

帝国京都博物館

 

 

今では京都国立博物館の旧本館となっています。

 

明治21年に宮内省に臨時全国宝物取調局が設置され、日本各地の社寺等の文化財の調査が行われた結果、京都・奈良には特に文化財が集中しており、それらを収蔵保管する施設の整備が急務とされました。

 

帝国京都博物館はこのようなきっかけで建設されることになったのです。

 

本館の設計に携わった片山東熊はこれを煉瓦造平屋建てとし、フレンチルネサンス様式の建物に仕立て上げました。

 

正面は、2層分を通した大オーダーとし、屋根をパラペットで隠し、中央にドームを設ける手法はバロック的と言えます。

 

両脇協のマンサード屋根を冠した部分に、 ペアの付け柱とペディメントを表現した半円アーチの大きな窓があります。

 

赤坂離宮

 

 

国内の宮廷建築の頂点とも言える迎賓館赤坂離宮本館。

 

赤坂離宮はもともと皇太子の御所として建設されました。

 

外観はパラディアン様式であり、 内部はフレンチルネサンスとなっています。

 

正面におけるアーチの開口と歴史様式のオーダーにおける柱を組み合わせた姿がその特徴の一つともされますが、バロック的な華やかさなども見ることができます。

 

面玄関の屋根飾りや内装の模様などに鎧武者の意匠があるなど、西洋の宮殿建築に和風の意匠が混じった装飾になっています。

 

片山は赤坂離宮の設計に当たって、1年かけてアメリカ、フランス、ベルギー、オランダ、オーストリア、イタリア、ギリシャを巡って、宮殿建築を調査しました。

 

明治以降、日本建築家たちが積み重ねてきた西洋建築の技術の集大成として、赤坂離宮が出来上がっていくのです。

 

あまりの豪華さと居住性の悪さから皇族たちには不人気だったそうですが、この時期に日本人の手で欧米に比肩できる建築が完成したことは特筆に値する出来事ですし、今では国宝にも指定され、世界各国のVIPを歓待する迎賓館として活用されています。

 

◯丸の内オフィス街をデザインした曽禰達蔵

曽禰達蔵は辰野金吾とともにジョサイア・コンドルに学んだ日本人建築家の第1期生です。

 

 

丸ノ内オフィス街に建つ三菱系建築群を設計した、いわば東京のオフィス街の風景を作った人物と言えます。

 

辰野金吾らとともにイギリス系のデザインに取り組み、しばらくは官に勤めましたが明治3年に辞めて三菱に入社、そこで丸の内オフィス街の建設に関わっていきます、

 

占勝閣

 

 

占勝閣は、三菱長崎造船所の船渠を見下ろす丘の上にある木造洋館です。

 

平成27年に「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」として世界遺産に登録されました。

 

木造2階建てのコロニアル様式の洋館で、1階には食堂、応接室などがあり、2階には寝室やホールなどがあります。地下には厨房があり、イギリスから輸入した最高級の調度類が揃えられました。

 

もともとは三菱合資会社三菱造船所の2代目所長の邸宅として庭園とともに計画されました。

 

占勝閣という名は、明治38年に東伏見宮依仁親王殿下がこの場所で宿泊された際に「風光景勝を占める」という意味をこめて名付けたとされています。

 

東京倉庫兵庫出張所

 

 

東京倉庫兵庫出張所 (現石川ビル)は、三菱倉庫の前身会社・東京倉庫の兵庫出張所として明治38年に建てられました。

 

地盤が軟弱なため工事に苦労したようで、基礎をつくるために穴を掘って松杭を打ち、杭間に割栗石を突き込んでコンクリートを打っています。

 

建物はレンガ造平屋建てで、外壁は泉州産のレンガ積みである。外壁には辰野金吾のような白いボーダーを入れずに柱型を含めて赤いレンガで統一した壁面としています。

 

側道に面した窓は装飾を統一し控えめにすることで正面性を強調し、正面は1層と2層で窓の装飾を変えて左右対称を避けるように出入口を左脇に設けています。

 

内外交易の拠点として商業が発達した神戸には三菱系企業が早くから進出しており、曾禰が手掛けた建物としてはこの兵庫出張所の他に旧三菱銀行神戸支店、日本郵船神戸支店が現存しています。

 

◯日本のフランス式の先駆け・山口半六

山口半六は、イギリス系やドイツ系の建築デザインが大勢を占める明治時代において、片山東熊とともにフランス様式を好んだ数少ない建築家の一人です。

 

 

帝国大学理科大学本館ではルネサンス様式を用いています。

 

帰国後、三菱を経て文部省に入り、各地方の多くの学校建築を手掛けます。

 

また、彼が工部大学校出身者よりも長けていたのが都市計画でした。

 

これはパリ工業中央専門学校で水道、道路、水路といった土木も学んでいたためです。

 

兵庫県公館

 

 

明治35年に建てられた庁舎建築です。竣工時は日本最大級の庁舎建築でした。

 

当初の用途は兵庫県庁本庁舎でしたが、昭和60年からは県の迎賓館および県政資料館として活用されています。

 

館内には東山魁夷、横尾忠則ら芸術家の作品が多数展示されており、館全体が美術館・博物館としての性格も持っています。

 

これは1890年代から東洋最大の海運市場を有するようになっていた神戸港の往時の繁栄を映したものともいえる。

 

中庭を中心とする回廊式の壮麗なフランス風ルネサンス様式となっており、現在は国登録有形文化財となっています。

 

もとはレンガ造3階建でしたが、現在は改修され、構造は一一部鉄筋コンクリート造に置き換えられています。

 

屋根は、第2次世界大戦で被災し、長らく台形状であったが、現在は当初の状態に復元されています。

 

中央にカマボコ状のマンサード屋根を冠し、ルネサンス様式で優雅さの漂うおおらかな表現がされています。

 

熊本大学五高記念館本館と化学実験場

 

 

山口の手による学校建築で、現在は表門とともに国の重要文化財に指定されています。

 

本館は2階建て、化学実験場は平屋建てで、 いずれもレンガ造。

 

赤レンガの壁に岩の白い帯を巡らせ、清楚なデザインとなっています。

 

以上、大禅ビル(福岡市 舞鶴 賃貸オフィス)からでした。

 

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