建築史シリーズ 日本の近代建築⑧

弊社、大禅ビルが行っております貸しビル業は、本質的には空間に付加価値をつけていくプロデュース業だと考えています。

 

そのような仕事をさせて頂いている身ですから、建築やインテリア、ファッションといったデザイン全般にアンテナを張っており、

 

そこで得たヒントやインスピレーションを大禅ビルの空間づくりに活かすこともあります。

 

とは言え、私は専門的に教育を受けたことはありませんから、本職の方々と到底比べられません。

 

本物のデザイナー、建築家というのは、既存の概念を超越するような美を生み出すアーティストに近い存在と言ってよく、その足跡の後には全く新しい地平が拓けていくものだと思っています。

 

このシリーズではそうした美に携わった先人たちが紡ぎ上げてきた建築の歴史を中心にご紹介していきます。

 

◯カプセルホテルの名作

中銀カプセルタワービルは、メタボリズム建築の代表作です。

 

 

設計したのは黒川紀章。

 

メタボリズム(新陳代謝)とは、社会の変化や人口の成長に合わせて建築も有機的に成長していくべきとする建築コンセプトです。

 

中銀カプセルタワービルは140のカプセルからなり、必要に応じて脱着可能な形で構想されています。

 

浴槽、トイレ、洗面のユニットはなめらかな曲線を使った宇宙船を思わせる未来的なデザインとなっており、異なる機能を一体化しているように見せています。

 

実は黒川紀章はカプセルホテルを世界で初めて作った人物でもあるのです。

 

彼はパーソナル用の寝室空間をスリープカプセルと呼び、当時最先端の新素材であったFRP(繊維強化プラスチック)が採用され、カプセルの耐久性や特徴的な曲面形状のデザインを形にしました。

 

今ではカプセルホテルは定番の宿泊施設となり、外国にも広がっています。

 

◯現代のコンクリート長屋

住吉の長屋は、安藤忠雄の初期の代表的な住宅建築です。

 

 

大阪市住吉区の三軒長屋の真ん中の一軒を切り取り、中央の三分の一を中庭とした鉄筋コンクリート造りの小住宅。

 

外に面しては採光目的の窓を設けず、採光は中庭のみに限定しています。

 

限られた予算と敷地という厳しい条件の中で、建ぺい率などの多くの条件をクリアしながら通風や採光を確保し、豊かな空間を創作するため機能性や便利さを犠牲にしてまで、真に必要な生活の質を究極にまで突き詰めた作品です。

 

この住宅が発表されるや、世間に大きな衝撃をもって受け止められました。

 

自宅内なのに、なんと雨の日は傘を差さないと中庭を通って違う部屋に移動できないのです・・・。

 

それでもこの作品は、打放しコンクリートと幾何学的を用いた建築として世界的に評価されています。

 

安藤忠雄はさらに、「中庭という小宇宙の中にかけがえのない自然があり、狭い中にも豊かさを感じられる住宅をつくりたかった」と述べています。

 

暑さ寒さをダイレクトに感じる生活空間は、一見、不自由に思えることが逆に豊かさを生み出しています。

 

◯コンクリートが織りなす生物的造形

海の博物館は、三重県鳥羽市にある漁業にまつわる貴重な史料を展示・収蔵する施設です。

 

 

博物館はその建物の目的上、耐火・遮音・耐震のいずれにおいても性能が高いコンクリートが使われることが多いですが、海の博物館は海沿いに建つため、塩害によりコンクリートの中の鉄筋が錆びてしまうおそれがありました。

 

また、現場場打ちコンクリートだと品質にバラつきが出ますし、さらに展示品、収蔵品の変質・劣化防止のため、コンクリート打設後に駆体から拡散されるアルカリ質の除去を行うシーズニングも必要になります。

 

そこで、海の博物館で採用されたのがプレキャストコンクリート。

 

プレキャストコンクリートはあらかじめ工場でつくるため、天候に影響を受けず、普通のコンクリートの3倍もの強度を誇ります。

 

文化財を収蔵することを踏まえ、屋根は日本の伝統的な瓦にしました。

 

そうすると屋根勾配が必要で、かつ室内の大空間も必要でした。

 

その結果生まれたのがプレキャストフレームの無柱空間。

 

18mのスパンをプレキャストフレームで架け渡しているさまは、まるで舟の骨組みのようです。

 

デザインが高く評価され、海の博物館は1993年に日本建築学会賞を受賞しました。

 

◯紙で作られた斬新な教会

1995年の阪神・淡路大震災で焼失した地元教会のために、多くのボランティアの手によって再建された教会があります。

 

 

その教会は紙の教会と呼ばれ、その名の通り、紙管でできています。

 

紙管とはトイレットペーパーやサランラップなどの芯、建設現場ではコンクリートの丸柱の型枠として使われている身近な材料です。

 

当時、建設費用とボランティアは建築家が自前で全てを集めないといけない状況で、かつ敷地も限られ、ローコストでなければならず、重機を使わずにボランティアの力で組み立てないといけないうえに、移設や解体がしやすいといった条件が課せられていました。

 

そうして導き出されたのが紙管で構造をつくることでした。

 

紙管はとても軽いので倒れても安心。人の手で運搬・組立・解体ができ、手に入りやすく安価であり、簡単に防水や難燃化ができるといった加工性にも利点がありました。

 

こうしてできた紙の教会は、10年間にわたり地元の人々に愛されたのです。

 

直径33cm、長さ5m、厚み15mmの58本の紙管で80席が入る楕円形のホールを配置し、天上は膜が張られ、メインホールに光が入るようにしています。

 

紙の教会は震災から10年後の2005年、建設当初から「他の被災地で使えるように」と
いう意図通り、台湾大地震の被災地へと送られました。

 

◯古都の玄関口・京都駅ビル

京都駅の駅舎のうち、JR西日本の烏丸中央口側は京都駅ビルと呼ばれています。

 

 

地上16階、地下3階、敷地面積38,000m²、延床面積は238,000m²、東西の長さは470mにおよび、鉄道駅の駅舎としては日本有数の規模です。

 

現在の駅舎は4代目に当たります。

 

1915年、大正天皇の御大典に併せて古典様式の2代目駅舎が渡辺節の設計により建築されましたが、1950年に火災により焼失、その後1952年に鉄筋コンクリート造の近代的な3代目駅舎が竣工します。

 

しかし、駅が発展するとともに増築に次ぐ増築を重ねたため、地下街を含む商店街や連絡通路などを含めると構内の構造は複雑化し、不便なものになっていました。

 

また駅舎本体にも老朽化に伴う種々の問題が生じて来たため、抜本的対策として駅ビルの新築が計画されました。

 

これは1994年の平安遷都1200年記念事業の一環でもありました。

 

京都駅ビルは、日本の鉄道駅舎としては異例の国際指名コンペ方式で行われました。

 

建物の巨大さ、高さに起因する圧迫感を回避し、いかに周辺環境との調和を図るかが作品の評価のポイントとなり、建築家、原広司の案が最終的に採用されました。

 

最大高さを60mに抑えた上で、南北方向の道路に合わせて建物を分割して視線を通すなど、圧迫感を回避するような配慮が随所に見られています。

 

また、原はポストモダンでの設計者でもありましたので、古都としての京都のエッセンスを散りばめた建築をつくろうとしました。

 

京都駅ビルでは都大路など、歴史的な建築物や道路が参照され、地域の特性を反映した表現が追及されたのです。

 

そして京都駅ビルでもっとも特徴的なのは、大きな階段と吹抜け、そして交錯する大通路がある渓谷のような巨大コンコースです。

 

この空間構成であれば、訪れた人々はさまざまな出来事や空間に出会うことができます。

 

まるでコンコースは大舞台そのもので、特にコンサート時など、大階段に人々が腰を下ろし集う姿は圧巻です。

 

コンコースは通るという目的以外にも、利用者が寄り道できるような、何があるかわからないワクワクを感じられる面白さもあります。

 

以上、大禅ビル(福岡市 舞鶴 賃貸オフィス)からでした。

 

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