建築史シリーズ 日本の近代建築④
弊社、大禅ビルが行っております貸しビル業は、本質的には空間に付加価値をつけていくプロデュース業だと考えています。
そのような仕事をさせて頂いている身ですから、建築やインテリア、ファッションといったデザイン全般にアンテナを張っており、
そこで得たヒントやインスピレーションを大禅ビルの空間づくりに活かすこともあります。
とは言え、私は専門的に教育を受けたことはありませんから、本職の方々と到底比べられません。
本物のデザイナー、建築家というのは、既存の概念を超越するような美を生み出すアーティストに近い存在と言ってよく、その足跡の後には全く新しい地平が拓けていくものだと思っています。
このシリーズではそうした美に携わった先人たちが紡ぎ上げてきた建築の歴史を中心にご紹介していきます。
◯日本最古のリノベーション物件
東京都文京区にある求道学舎は、明治から昭和に活躍した真宗大谷派の僧侶、近角常観が学生の寄宿舎として建設した建築です。
設計は近代建築の巨匠・武田五一。
アーチ状の窓が美しいフォルムを描き、西洋館の佇まいが特徴的です。
大正時代に建てられた古い建築ですが、実は今でも使われており、日本最古のリノベーション建築としても有名です。
一般的に古い建物は取り壊されるケースがとても多く、耐震性の問題や設備機器に限界が来たりと、安全性や居住性など様々な不都合が築年数とともに増えていくものです。
しかし建物を壊すことなく保護する方法があります。
それがスケルトンインフィルです。
求道学舎も20世紀後半に解体の危機に瀕していました。
経年劣化による漏水や風化が進み、また学生のニーズに対応できなくなってきたことも理由でした。
取り壊して新築マンションに建て替える話も浮上したのですが、モダンな建築性の高さから惜しむ声も多かったそうです。
そこで採用された手法がスケルトンインフィルです。
まず既存建物からドア、窓、配管、床など設備や造作物を全て取り払い、まず壁だけにします。
そこで壁の強度を確認し、必要に応じて補強していく。
求道学舎は外観を残しながら、集合住宅にリノベーションされました。
共用部はなるべくオリジナルのまま残すことで、魅力を引き継ぐことに成功したのです。
内装を自由に設計できる点からも徐々に応募者が集まり始めたそうです。
収益性や手間を考えると壊して建てる方が遥かに楽ですが、求道学舎のように「残す」という選択をすることで、場の記憶を未来へ引き継ぐことができるのです。
◯見た目はケチれない看板建築
東京都小金井市にある江戸東京たてもの園。
ここは建物をテーマにした野外博物館で、東京都内にあった文化的価値の高い歴史的建造物を移築し、復元・展示している観光スポットです。
この中に武居三省堂という、明治初期に創業した文具店の復元建物があります。
この建物は看板建築と呼ばれるスタイルで建てられています。
看板建築といっても看板がつけられた建築のことではありません。
ファザード(外観)そのものが看板になっている建築を指し、主に関東大震災後に多く作られました。
1923年に起きた関東大震災によって、東京の商店も壊滅的な被害を受けました。
そのような状況を鑑み、復興すべく区画整理がなされました。
日本橋・銀座はコンクリートビルに、日本橋・銀座周辺の商店は看板建築に建て替えるということになったそうです。
主に木造2階建ての店舗兼住宅の建物のファサードを垂直に立ちあげ、モルタルや銅板、タイルなどで装飾を施したのです。
看板建築の面白い点は、住居と商いの併用建築だったことです。
家族だけで住んでいた例は少なく、使用人と10人ほどで同居していました。
その広さは小さいもので建て坪がわずか10坪程度でしたが、狭くとも商売人たちはせめて建物の体裁にファザードにはお金をかけていたのです。
◯日本に建つロマネスク建築
西洋の教会はロマネスク様式で建てられているものも多い。
ロマネスク建築は直訳すると「ローマ風」という意味で、10世紀後半~13世紀の西洋建築で、重厚な石造で薄暗い内部空間が特徴です。
技術的には未熟な時代で、小さな窓しか開けられなかったのです。
巡礼や十字軍の影響により異文化の特徴を取り入れ、さまざまな場所で多発的に開花しました。
日本では一橋大学校舎にロマネスク様式を見出すことができます。
代表的なのは一橋大学の兼松講堂。
兼松商店から創業者である兼松房治郎の遺訓に基づき寄贈を受け1927年に創建され、2000年には国の登録有形文化財に選ばれました。
外装については、この建物の特徴ともいうべきロンバルティア帯やアーチ型の連続窓、正面車輪窓を飾るマーキュリーなど、オリジナルな仕上げが施されています。
卒業生らの募金により大改修が行われ、耐震、空調などを備え、今では講演会や演奏会に活用されています。
◯日本初の環境共生住宅
夏の暑さや湿気対策に力を入れた名作住宅、聴竹居。
建築家の藤井厚二の自邸として京都・大山崎に建てられた和洋融合の実験住宅です。
環境工学に一早く着目して建てられたこの住宅は、日本の気候風土に西洋の空間を合わせた環境共生住宅の先駆けとなりました。
特徴的なのは住宅の空間全体がワンルームとなっており、風が流れるフレキシブルな空間構成です。
雁行している平面形は外部との接点を多くしています。
中心の居室は外部との接点を持ちませんが、周りに配置された各部屋は開けていることが前提の引戸を基本にしているため、この周辺の部屋を通して外部と繋がっています。
縁側の横連窓は角の柱をなくし、風景の広がりを室内に取り込むと共に、椅子に腰かけた時によく見えるような高さにクリアガラスも配置されています。
板の間の居室から曲線の出入り口を持つ食事室へは一段床を高くし、領域感と独立性を持たせています。
寝室への前室となる畳室と板床の居室との段差は約30cmで、この30cmという高さで畳に座った時の視線と椅子に腰かけた時の視線の高さを合わせているのです。
またこの住宅は夏と冬を快適に過ごすための工夫が随所に見られます。
部屋の間仕切りの上部には欄間を障子で設け、開閉のしやすさに配慮。
畳の下には夏の風を取り入れる導気筒を組み込み、屋根の妻側の通気窓から外へ抜ける自然な空気の流れを作り、新鮮な空気が建物全体を循環するように設計されています。
縁側は夏の直射日光を避け、冬の日射熱を室内に取り込むサンルームの役割を持っています。
以上、大禅ビル(福岡市 舞鶴 賃貸オフィス)からでした。