建築史シリーズ 日本の近代建築②

弊社、大禅ビルが行っております貸しビル業は、本質的には空間に付加価値をつけていくプロデュース業だと考えています。

 

そのような仕事をさせて頂いている身ですから、建築やインテリア、ファッションといったデザイン全般にアンテナを張っており、

 

そこで得たヒントやインスピレーションを大禅ビルの空間づくりに活かすこともあります。

 

とは言え、私は専門的に教育を受けたことはありませんから、本職の方々と到底比べられません。

 

本物のデザイナー、建築家というのは、既存の概念を超越するような美を生み出すアーティストに近い存在と言ってよく、その足跡の後には全く新しい地平が拓けていくものだと思っています。

 

このシリーズではそうした美に携わった先人たちが紡ぎ上げてきた建築の歴史を中心にご紹介していきます。

 

◯豪華絢爛!赤坂離宮

東京港区にある迎賓館・赤坂離宮は、もともと皇太子の御所として建設されました。

 

 

正面玄関の屋根飾りや内装の模様などに鎧武者の意匠があるなど、西洋の宮殿建築に和風の意匠が混じった装飾になっています。

 

イギリスのバッキンガム宮殿やフランスのヴェルサイユ宮殿を参考にしたとか。

 

設計したのは、工部大学校(現在の東大)の第一期生であり、宮廷建築に多く関わった片山東熊です。

 

彼は1年かけてアメリカ、フランス、ベルギー、オランダ、オーストリア、イタリア、ギリシャを巡って、宮殿建築を調査しました。

 

明治以降、日本建築家たちが積み重ねてきた西洋建築の技術の集大成として、赤坂離宮が出来上がっていくのです。

 

あまりの豪華さと居住性の悪さから皇族たちには不人気だったそうですが、この時期に日本人の手で欧米に比肩できる建築が完成したことは特筆に値する出来事ですし、今では国宝にも指定され、世界各国のVIPを歓待する迎賓館として活用されています。

 

◯美しい産業遺産

現在、文化・商業施設として人気な横浜赤レンガ倉庫は、明治時代に保税倉庫として建てられたのが始まりです。

 

 

当時の横浜港は江戸時代の開港から半世紀を経て、近代的な港湾の整備が急務となっていました。

 

そこで防波堤などの整備や税関拡張など築港工事が進められ、赤レンガ倉庫も建設されるに至りました。

 

赤レンガ倉庫の設計は、明治建築界の巨頭の一人である妻木頼黄の率いる大蔵省臨時建築部によって行われました。

 

全長約150メートル、使用煉瓦はなんと318万個!背面に鉄骨造ベランダを持ち、日本初の業務用エレベーターや避雷針、消火栓を備える赤レンガ倉庫は、国営保税倉庫建築の模範となるとともに、組積造技術の高さをアピールするものでした。

 

当時の最先端の技術でつくられた横浜赤レンガ倉庫は関東大震災でも損壊が少なく、倒壊しなかった数少ない建物の一つです。

 

横浜港の物流拠点として大活躍だった赤レンガ倉庫ですが、1970年代になると海上輸送のコンテナ化などによって使われなくなっていきます。

 

これだけのエネルギーが注がれた建築が解体されるのはもったいないということで、現代のニーズに合わせて転用し、かつ既存の魅力的な外観を変えずに、安全に使用できるよう補修改修工事がなされたのです。

 

こうして赤レンガ倉庫は歴史的建造物の記憶を留めつつ、文化・商業施設として2010年に生まれ変わりました。

 

◯地下に広がる巨大採石場

栃木県宇都宮の大谷町は古くから「大谷石」の採掘地として有名です。

 

軽石凝灰岩である大谷石は柔らかく加工がしやすいことから、外壁や土蔵などの建材として使用されてきました。

 

今に残る大谷石採石場跡は、神秘さに包まれた巨大地下劇場を思わせます。

 

 

石材を縦に切り取ながら横穴を掘り進めていく垣根堀りの方法を採り、その横穴から下方へ掘削し、竹や板の滑り台を使い石材を下ろしていました。

 

岩山の中腹に横穴を掘り、さらに岩山の中心部から下方へ掘り下げると岩山の頂部が屋根になって、竪穴への雨水や強い日差しの侵入を防ぐといった工夫もなされました。

 

この地下空間は作ろうとして意図された空間ではなく、いわば採掘した結果できてしまったもの。

 

これもまた建築の面白さですね。

 

ちなみに採掘場の近くには大久保石材店という建物があります。

 

 

ここは石切り職人を多数抱え、石材を生産してきた問屋なのですが、外見からも分かる通り、この建物は大谷石の小山を刳り貫いて造られたのです。

 

大谷石採掘場は現在本来の役目を終え、一般公開されています。

 

巨大な地下空間ミュージアムやコンサートホール、シアター、映画撮影などにも活用されているそうです。

 

◯和洋融合の傑作建築

自由学園明日館は東京都豊島区西池袋にある学校です。

 

 

建築家フランク・ロイド・ライトや、その弟子であった遠藤新の設計による建物群から成っています。

 

1997年に国の重要文化財に指定され、その後は文化財として見学に開放されているほか、結婚式場やコンサート会場などにも利用されています。

 

自由学園明日館はフランク・ロイド・ライトが編み出した建築様式であるプレーリースタイルを目にできる、数少ない建築の一つです。

 

それまでの西洋建築は壁が多く、個々の部屋が独立していてとても閉鎖的でした。

 

しかしライトは空間をずらし、平面および断面方向に繋げ、さらに窓を増やしていきます。

 

屋根を低く抑えた建物が地面に水平に伸び広がる構成は日本の寝殿造によく似ていますが、実はライトは日本建築の影響を強く受けていたと言われています。

 

ライトはプレーリースタイルを成立させる概念として有機的建築を提唱しています。

 

有機的建築とは普遍的な形を持つ自然の形に学び、建物が環境と溶け合いながら住む人にフィットするという考え方です。

 

ライトは自分が建物の内部空間こそ真実ということを発見したと思っていました。

 

ところが自分よりも前に、日本の茶の本に「一つの部屋の真実は、屋根や壁が包む空間の中にある」という一文を見つけてしまいます。

 

ライトはショックを受けるものの、すぐその思想を設計に取り入れていったのです。

 

◯旧帝国ホテル

旧帝国ホテルはフランク・ロイド・ライトの傑作の一つです。

 
帝国ホテル
 

この建物は1912年に設計に着手し、1923年に完成したものですが、関東大震災に遭い他の多くの建物が倒壊したにも関わらず、このホテルは無傷でした。

 

敷地だった日比谷はかつて湾の一部であったため、支持地盤が40-50mという大変軟弱な地盤でした。

 

杭を支持地盤まで打ち込む支持抗工法では莫大な費用と時間がかかり、その上軟弱な地盤のため地震時の横揺れに対し杭が折れてしまう危険性がありました。

 

そこでライトは剣山を逆さにしたような摩擦抗によって軟弱な地盤の上に建物を浮かす工法を採用し、2.4mの短い抗を60cm間隔で打ち込んだのです。

 

その結果、当時のお金で10万ドルが節約できたといいます。

 

内外装はアールデコ風の大谷石で仕上げられましたが、地震に耐えられたのは大谷石の力ではなく、構造体の鉄筋コンクリートと一体となる打込み工法によるものでした。

 

これはタイルや石を型枠代わりにし、コンクリートと一体化させる工法です。

 

大谷石は多孔質であるため、コンクリートが細かい穴に入り込んでコンクリートと一体化して剥離しにくく、この工法に大谷石は好都合だったのです。

 

さらにライトは気温差による変形量を計算し、それを吸収するために接合部にエキスパンションジョイント(継目)を約18mごとに設置しました。

 

それによって膨張収縮による変形に対応し、軟弱地盤を襲う波の力を多関節が変形することによって受け流し、破壊を免れることができたのです。

 

また、屋根を鉄骨で組んで銅板葺きとしたことで建物上部は軽くなり、揺れ軽減に効果がありました。

 

以上、大禅ビル(福岡市 舞鶴 賃貸オフィス)からでした。

 

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