―浄念寺―
江戸時代からつづく、福岡の歴史の縦糸。
大禅ビル南側の昭和通りを西に向かって約300m、立ち並ぶマンションの間に、通り過ごしてしまいそうな3mほどの入り口がぽっかりと開いています。
ここは、慶長9年(1604年)に桂空舜道上人が開山した西山浄土宗のお寺です。
糸島の志摩郡波多江村に生まれた桂空舜道上人は、幼少より仏門に入り、福岡藩主黒田家に所縁のある空誉上人に学業を乞い、京都で修行、新宮町の西念寺、波多江村の西方寺や旧智福寺の開山となり、浄念寺を開基しました。
境内には、舜道上人の師である空誉上人の墓を祀る空誉堂があります。空誉上人は、福岡藩主黒田家にとって非常に深い関わりを持つ僧侶でありながら、慶長16年(1611年)に処刑されました。
遺体は埋葬を許されず放置されていたものを、弟子の舜道上人が決死の覚悟で死体を背負い、浄念寺まで運んで埋葬したと言われています。その後、次第に人々の信仰を得て空誉堂が建てられたそうです。
空誉上人処刑の真相は、現代でもはっきりとは判っておらず、後世の講談や演劇の種本となった『箱崎釜破故』や黒田騒動と言われる御家騒動の発端となった等、虚実織り交ざった様々な噂が存在しています。
また、昭和20年6月の福岡大空襲では、ご本尊はじめ全て焼失してしまい、唯一、地中に埋めていた過去帳が助かりました。
当時はお寺の北側に墓地があり、その裏は波打ち際で海に面したお寺でしたが、戦後は墓地を整理して土地(今の香蘭ファッション専門学校周辺)を売り、幼稚園の併設と共に、現在の形に立て替えられました。
江戸時代から現代まで、落慶より400年以上の由緒あるお寺、浄念寺。
主役となり、脇役となり、福岡の歴史を織り成す時代の証人としても、もっとその歴史やエピソードを知りたくなりました。
今回は、少し、敬虔な気持ちになるレポートでした。
合掌