建築史シリーズ 古代ローマと初期キリスト教
弊社、大禅ビルが行っております貸しビル業は、本質的には空間に付加価値をつけていくプロデュース業だと考えています。
そのような仕事をさせて頂いている身ですから、建築やインテリア、ファッションといったデザイン全般にアンテナを張っており、
そこで得たヒントやインスピレーションを大禅ビルの空間づくりに活かすこともあります。
とは言え、私は専門的にデザイナーとしての教育を受けたことはありませんから、本職の方々と到底比べられません。
本物のデザイナーというのは、既存の概念を超越するような美を生み出すアーティストに近い存在と言ってよく、その足跡の後には全く新しい地平が拓けていくものだと思っています。
このシリーズではそうしたデザイナーたちが紡ぎ上げてきた建築の歴史を中心にご紹介していきます。
◯建築史の偉業
強大な帝国を築き、維持するためには多くの人手が必要です。
国家統治では、徴税、軍事、インフラなど重要な要素は幾つもある中、古代ローマは、食糧と娯楽を与える政策「パンとサーカス」を重視しました。
娯楽施設の代表はなんといっても劇場でした。
劇場自体は古代ギリシアにもあり、エピダウロスの劇場など古代ギリシアの劇場は元の地形を生かした形式でした。
しかし、古代ローマの劇場ではアーチやヴォールト(アーチを筒状に連続させたもの)を利用し、観客席と舞台、背景が一体となっています。
構造としてはアーチやヴォールトで十分でしたが、それだけでは風格がないと古代ローマ人たちは考えたのでしょう。
そこで、ギリシア神殿のオーダーをアーチと融合させたのです。
オーダーが建築の構造的な制約から離れ、建築美を担う。
そんな大規模実用建築の最高峰がコロッセオでした。
建築美を担うこととなったオーダー(柱)は、一層目からドリス式半円柱、イオニア式半円柱、コリント式半円柱、コリント式、ピラスター(壁付き柱)となっていいます。
上部は木、1、2階は大理石と高価な材料を使い分け、身分差別に席を設けました。
板張りのアレーナの下には器具保管庫、猛獣を入れる部屋。
さらに剣闘士を所定の位置に導くなど、バックヤードの機能性も優れています。
観客を混乱なく所定の席に導く通路などの配置・導線も設計されています。
およそ2000年前の建築にもかかわらず破綻なくまとめあげられ、組織化された技術と集約された労働力の統制を感じることができます。
設計上の最大のポイントは、オーダーは構造の制約から離れても、構造体の寸法はオーダーの制約を受けるところです。
オーダーは比例の定式から寸法が決まります。
オーダーはアーチに張りついているわけですから、通路や天井の高さを大きくしたりすると、すべてのバランスが変わってしまうわけです。
アーケードの高さは観客席の勾配とも関係しています。
しかし、アーケードを下げたりすると即、エンタブラチュア(柱が支える水平帯)の高さも下がる。
またしても各部の調整を余儀なくされるのです。
しかも、コロッセオのプラン(平面)は楕円形なので、きっちり整合させるのは本来至難の業なのです。
コロッセオは古代ローマの莫大な財政力を示し、その偉容のゆえに皇帝の権力の象徴としての記念碑性を獲得しています。
また、装飾としてのオーダーのひとつの完成形であるコロッセオは、後世の建築家たちの生きた教科書としての役割を果たしていきます。
◯ローマ人たちの合理的な住居
古代ローマ人の住居はドムス(比較的裕福な層の都市住居)と呼ばれ、必ずといってよいほどアトリウムがありました。
このアトリウムの特徴は、中央に水槽がつくられ、天井部分には、天窓があり、空に開け放たれています。
古代ローマ時代というと、公共建築や浴場などがあり、都市に水が張り巡らされていました。
整備が行き届いていないところでは、雨水を生活用水として使う家もありました。
またドムスは壁を共有して立ち並んでいたため窓はなく、採光はコンブルービアムから降り注ぐ光のみでした。
玄関、アトリウム、客人をもてなす主人の部屋、中庭のあるペリスティリウムが一直線上に配置されています。
たとえ侵入者がいてもわかりやすく管理がしやすい、富を見せつけられるなどの利点がありました。
アトリウムには、椅子や調度品が置かれ、壁には人間の生活、植物や建築など、のちにポンペイ四様式と呼ばれるほどの芸術的に優れた絵が描かれていました。
アトリウムは常に解放されており、市民が集っていました。
また主人は、客人を呼び会合を開いていました。
◯コンクリートの登場
古代ローマ帝国はその威信を示すため、神々を祭るローマ神殿には新しい技術と芸術性の高さがとくに求められていました。
しかし、古代ギリシアで盛んに用いられていた切石積のデメリットがありました。
そこで、古代ローマ人たちが進化させた重要な技術のひとつがアーチ構造です。
アーチ構造が大きく発展した頃、新しい材料が出現しました。
それがコンクリートです。
火山性の土に石灰や割石、レンガくず、水を混ぜてつくられます。
この型枠さえつくれば、形態が自由になるというコンクリートの特性を活かし、アーチ構造と融合して完成したのがローマ世界の中心というべきパンテオンです。
頂部に直径約9メートルの円孔が穿たれ、差し込む太陽がつくる円は壁面を時間とともに移動します。
まるで天体運行の法則を視覚的に表現したと思わせるほど、劇的な演出。
アーチ、コンクリートと並んで重要なのがオーダーの処理です。
古代ローマでは、アーチとコンクリート=主構造となったので、オーダーが主構造である必要性がなくなったのです。
しかし古代ローマの人たちは、建築美という観点では「オーダーがふさわしい」と考え、壁に装飾として張りつけて、装飾オーダーとして活用しました。
この巨大ドームは、1436年にサンタ・マリア·デルフィオーレ大聖堂ができるまで、1000年以上の間、世界一の大きさを誇っていました。
◯初期キリスト教のバシリカ
313年、長い間禁止されていたキリスト教が、ミラノ勅令によって信仰の自由を認められます。
それまで迫害されていたため、礼拝の集会は私邸やカタコンベ(地下墓所)を借りて密やかに行われていました。
ここで、「教会堂」という新しい建築とともに、キリスト教は表舞台に登場してくることになりました。
初期キリスト教建築はバシリカという古代ローマの多目的公共建築をベースにつくられました。
さらにオーダーがスポリア(ある建築から部材を剥ぎ取って再利用すること)されています。
オーダーが用いられていたギリシアやローマの神殿は多神教です。
キリスト教から見れば異教にもかかわらず採用したのは、壮麗に彫刻された貴重な大理石が使われていたためでしょう。
そこに、ユダヤ教のシナゴーグからの影響とも考えられる、クリアストーリー(高窓)を設け、聖なる空間へ光を導いています。
教会堂では、キリスト教の本質にかかわる中心的なテーマを表現する必要がありました。
そして、そのテーマはバリシカという軸線のある建築空間によって実現可能となったのです。
奥に行くほど厳かな場所性となっていることが重要で、神が降臨する建築としてもっとも望ましいと考えられたのです。
思想の表現、典礼するための動き、祈りの場にふさわしい空間、これらを実現するのに適していたのがバシリカ式教会堂だったのでした。
以上、大禅ビル(福岡市 舞鶴 賃貸オフィス)からでした。