博多うどん物語
■うどんの聖地・博多はいかにして生まれたのか?
ラーメンは博多のソウルフードとよく言われます。
道を歩けばラーメン屋に当たるくらい、ラーメン店を見ない時はなく、夜となれば中洲・天神に屋台が並び、観光客で賑わう。
さらに一蘭や一風堂、一幸舎といった海外進出を果たした歴史ある名店も少なくありません。
日本各地には様々なラーメンはあれど、「博多ラーメン」自体が一つの確固たるジャンルとして完成されているのです。
しかし、ラーメンを博多のソウルフードと言っている時点で、まだまだ博多を分かってない!
と、筋金入りの博多っ子たちは口を揃えて言うでしょう。
博多の本当のソウルフード、DNAの奥底に染み込んだ郷土の味。
それはラーメンではなく
「うどん」
なのです。
博多うどんを知って初めて博多を知り、博多っ子になれると言っても過言ではありません。
それぐらい博多、いや福岡において、うどんはソウルフードを通り越して、スーパーソウルフードという存在です。
ラーメン以上にうどんが旨い街、それが福岡です。
県外の方には不思議に思われるでしょう。
うどんと言えば、日本三大うどんの讃岐うどん、稲庭うどん、五島うどん。
それから富山の氷見うどん、三重の伊勢うどんなど、有名どこはたくさんあるのに、博多うどんはあまり聞かないよと。
それだけ博多うどんは、まさに地元の人の、地元の人による、地元の人のための郷土料理だから。
福岡の中で自分たちだけでとことん楽しむ大いなる食の楽しみです。
もう一つ、あまり知られていない事実ですが、そもそもうどんは博多で生まれました。
今や日本津々浦々で食されている、日本を代表する伝統食・うどんの始まりの聖地が、ここ博多なんですね。
■うどんの伝道師・聖一国師
祇園にある承天寺。
ここは博多の夏の名物・博多祇園山笠の発祥の地として有名ですが、うどんの発祥地でもあります。
ちなみにうどんだけでなく、蕎麦、饅頭、博多織の発祥地でもあり、まさに発祥尽くしのお寺、粉モノの聖地。
境内には「饂飩・蕎麦発祥之地の碑」「御饅頭所の碑」、博多織の祖・「満田彌三右衛門の碑」が並びます。
この承天寺は臨済宗の禅宗寺院で、開山したのは聖一国師というお坊さん。時代は鎌倉です。
博多の町中で流行していた疫病を退散するため、聖一国師は町人に担がせた施餓鬼棚に乗って祈祷水を撒き、博多の街を救ったのが博多祇園山笠の起源とされています。
だから承天寺には博多祇園山笠の発祥地でもあるんですね。
1241年に宋の留学から帰国した聖一国師は、麺と製麺技術を日本にもたらし、後に日本の粉食文化の発展に大いに寄与するところとなりました。
そして資金や土地の寄進を通じて承天寺の建立に尽力し、聖一国師の渡宋留学を支援し、彼を承天寺の開山に迎えたのが博多在住の宋の貿易商・謝国明です。
商船のオーナーでもあり、博多における日宋貿易のリーダー的存在だった人物です。
謝国明は、伝承では「年越し蕎麦の祖」ともされています。
年の瀬を越せない博多の町人に謝国明が自分の蔵を開放して、「世直しそば」としてそば餅を振る舞ったところ、
翌年から皆に運が向いてきて、そこから大晦日に蕎麦を食べる習慣が生まれたとか。
蕎麦発祥の地は承天寺で、謝国明はその承天寺の最大のスポンサーとなっています。
謝国明は宋生まれなので、蕎麦の存在はそもそも知っていたでしょうし、食べていたでしょう。
もしかして既に日本に輸入していたのかもしれません。彼が町人に振る舞った蕎麦も本当は販売用の品物だったのかもしれません。
そして蕎麦を広めるインフルエンサーの役割を担ったのが聖一国師と考えた方が自然に思えますね。名僧、有名人ですから。
年越し蕎麦の由来はいくつもの説が提示されていますが、博多っ子としてはもちろんこの説を推したいですね!
承天寺のすぐ隣にもうどんの名店があります。
中世博多うどん・春月庵。
明治23年創業、100年の歴史を誇る老舗製麺所直営の超人気うどん屋です。
3玉まで同じ料金で頂けて、さらに14時以降は何玉でも同じ料金の食べ放題という食いしん坊にはたまらないシステムが人気に一層の拍車をかけています。
おすすめです!
■博多のうどんはなぜ柔らかいのか?
ところでうどんですが、伝来当初の「饂飩」は現在の麺タイプのうどんとは異なり、ワンタンに近いものだったと言われています。
鎌倉時代末期にうどんが今の形になり、さらに製粉技術の向上や醤油の大量生産が可能になったことで、室町時代になると全国に広がっていったそうです。
そんな中、博多では時間にシビアな博多商人たちが手早く食べられるように、あるいは消化によいために、柔らかい麺のうどんが主流になったと言われています。
コシの強い讃岐うどんと違って、博多うどんはその柔らかさを特徴としており、魅力でもあるのです。
それを生んだのは
「ビジネスパーソンのファストフード需要」
だったのです。
今と変わらぬ、商人の町の博多らしさですね。
それまでは屋台スタイルのうどん屋が殆どでしたが、明治時代に入ると多くのうどん屋が登場します。
その中で、うどん通では知らぬ者のいない、博多うどん界No1の超有名老舗が創業140年目になろうとする
「かろのうろん」
です。
承天寺から徒歩10分、川端通商店街の入り口近くに建つ古き風格の漂う木造のお店です。
老舗人気店なだけあって、小さな店内は常に満員!そしてうどんの熱気と香り!
メニューは至ってシンプルでオーソドックス。
奇を狙った変わり種や、「肉増し」といった今では当たり前のトッピングメニューもありません。
でも、啜ってみれば、分かります。
このうどんは・・・本当に美味です。
一度食べると、二度食べたくなる。まさに百年の歴史の味。
値段はちょっとお高く、店内は撮影禁止ですが、
気になる方はぜひ直接足を運んでみてください。
■福岡のうどん屋・トップスリー
今まで紹介した以外にも、福岡にはうどん屋が数限りなくひしめいているのですが、
店舗数で上位トップスリーのうどんチェーンブランドをご紹介します。
「ウエストうどん」
「資さんうどん」
「牧のうどん」
まずは店舗数60超!庶民の味方「ウエストうどん」。
390円で最高の一杯を堪能できます。
そしてサイドメニューがかなり充実!しかも安い!
コスパ最強のうどん居酒屋です。
そして「資さんうどん」。
北九州発祥のうどんの名店です。
カルト的ファンもいるほどの人気を誇り、昨年2019年に博多エリアに初出店した際にニュースになったほどです。
うどんの美味はもちろんのこと、とろろ昆布、天かす、きざみつぼ漬け取り放題、
さらに丼物といったうどん以外のメニューも十二分以上に主役を張れるレベルの内容を出してくるのが資さんクオリティー。
中でも「カツ丼」の料理としての完成度の高さはあまりに有名。
福岡のうどん通の間では
「資さんうどんでカツ丼を頼んでこそ一人前」
と言われているとか。
最後に「牧のうどん」。
うどんが運ばれてくると、「スープ」と貼られた小さなやかんもテーブルに登場します。
中身はうどんのつゆです。
そう、牧のうどんには追加用のうどんのつゆならぬ、うどんのスープがあるんですね。
ここでは軟麺を頼むのが通。
麺が到着次第、やかんからスープを丼にかけてから食べます。
が、いくら食べてもうどんが一向に減らないんですね。
そう、麺もスープを吸ってどんどん増えていくんです。
「食べても食べても減らない魔法のうどん」
これが唯一無二の牧のうどんスタイルです。
福岡はうどん文化が根付く街。ラーメンもいいですが、もっとうどんに誇りを持って親しんでいきたいですね!
私も早速、大禅ビル(福岡市 舞鶴 賃貸オフィス)のすぐ近くのウエストでうどんを啜って参ります!