医療の歴史・水銀
苦しみと痛み、時には死を人間に与えてしまう病気はいつの時代も変わりませんが、
病気に対する人間の対処は医療技術の発展や価値観とともに変化していきます。
今日のように、病原菌を遺伝子レベルで把握し、ワクチンや抗生物質、薬や手術の開発ができるようになるまでに、
それこそ神頼みの時代から長い年月にわたる試行錯誤があったわけです。
中には今の常識では考えられないようなドンデモ医療法が行われたケースもあります。
古代ローマでは剣闘士の血が癲癇に効くと信じられ、オスマン帝国ではペスト予防のために土を食べていました。
産業革命時のイギリスでは梅毒治療のために水銀風呂に入っていたなど、もうざらにあります。
そうした先人たちの悪戦苦闘の積み重ねが、今日の最新医療を成す土台になっているに違いありません。
ただ、それにしてもびっくりを通り越して笑ってしまうような医療がたくさんあるので、
今回からそうした驚きの医療の歴史についてご紹介していきたいと思います。
■魅惑な万能薬・水銀
まずご紹介するのは
「水銀」
です。
水俣病を挙げるまでもなく、人体にとって猛毒な重金属であるこの物質は、実は何百年もの間万能薬として用いられてきたのです。
歯の痛み、便秘、梅毒、インフルエンザ、寄生虫など、とりあえず水銀飲めと言われていた時代がありました。
なぜ水銀が愛用されたのか?
これを理解するにはまず昔の人の健康観念から説明しなければなりません。
以前に本コラムでもご紹介しましたが、西洋では17世紀頃まで、古代ギリシャの医師・ヒポクラテスが唱えた人体の概念である「四体液説」が通用していました。
人体は血液、粘液、黒胆汁、黄胆汁で構成され、これらの調和によって身体と精神の健康が保たれ、調和が崩れると病気になるとする説です。
では調和させるにはどうすればいいか?
ズバリ、デトックスです。
つまり、排出です。
「4つの体液のバランスが悪いから病気になる。だから余分な体液をどんどん体外に出そう!」
この考え方が健康、そして医療のベースとなっていたんですね。
古代ローマの嘔吐文化がまさにそれで、古代ローマというと、映画やドラマの影響もあって、でなんとなく荘厳で気品高いイメージがありますが、
一方では食べては吐き、吐いては食べることが健康に良いとされていた驚愕の一面もあります。
カエサルはじめ、王族・貴族たちは暴飲暴食し、吐き、また食うことをひらすら繰り返していたのです。
今の感覚からすればそれ自体が病気なんじゃ・・・?って思ってしまいますね。
ちなみにこの時に催吐剤として使われたのは、蓄電池や半導体の素材に使われるレアメタルの一種・アンチモンです。
もちろん人体にとって致死の猛毒です。
■水銀錠剤・カルメロ
かつては「カロメル」という水銀入りの錠剤が人気でした。
強力な下剤として働き、胃腸の中が空っぽになるとか。
それだけではなく口からも大量の唾液が排出されます。水銀中毒症状のほか何でもありませんが、これも治療の一貫でした。
唾液に混じって体内の毒素が大量に出てくると信じられていたからです。
16世紀のスイス人医学者・錬金術師のパラケルススは、唾液が1.5リットル以上分泌されれば、水銀の服用量を「適度」とみなしていたといいます。
いや、1.5リットルって、唾液の量じゃないですよね・・・汗
脱水症状で死ぬレベルです。
壊れた機械のように、上からも下からも唾液と大便をリットル単位で吐き出せば病気が治るとされていたので、
医師はカロメルを処方することが多く、患者も死ぬほど苦痛だったと思いますが・・・というか普通に中毒で死亡した者はいたと思いますが、
健康のために仕方がないという気持ちだったのかもしれません。
■水銀を服用していたリンカーン
第16代アメリカ合衆国大統領であるエイブラハム・リンカーンも水銀を服用していました。
彼が大統領に就任する前は気分障害や頭痛、便秘に悩まされ、そうした症状が起きる度に彼は液体水銀を含む丸薬を飲んでいたそうです。
が、もちろん症状はよくなるどころかさらに悪化し、しまいには不眠症、震え、うつ症状、歩行障害まで起きるようになります。
水銀中毒に見られる症状です。
「症状の悪化ってもしかして薬のせい?」
と気づいたのか、彼は大統領に就任してから服用量を減らしました。
あのままずっと服用していたら、もしかして水銀中毒でリンカーンは死んでしまい、歴史も変わっていたのかもしれません。
■史上最悪のスパ
水銀と最も関係が深かった病気はやはり
「梅毒」
でしょう。
以前のコラムでも紹介しましたが、梅毒の治療に水銀が用いられていたんですね。
アメリカ大陸から欧州に持ち込まれ新しいこの病気に対処すべく、人々は必死になって治療法を探し求めましたが、
先述のパラケルススは
「水銀、塩、硫黄は、生理学的かつ占星術的な性質を持つ大地に根ざした物質であり、これらの物質こそが体に治癒をもたらす」
と唱え、これまで西洋医学の基本概念である四体液説に反対し、化学を医療に取り入れるべきと主張しました。
アンチモンやヒ素、銅、鉛といった金属化合物を初めて医薬品に採用したのです。
確かに結果的に人体に有害な物質も少なくなかったのですが、
今日の創薬では化学の知見が当たり前のように用いられており、パラケルススは医化学の分野を切り拓いた祖として記憶されています。
さて、梅毒の治療薬として彼が用いたのがまさに水銀で、塩化第二水銀という種類の塩化水銀を使っていました。
これは塩化第一水銀が用いられたカロメルと違い、水溶性で体に吸収されやすい性質を持っていました。
だから中毒症状も顕著に表れるんですね。
人々はそれを見て「効果が高い!」と思ったのでしょう。
唾液やら吐瀉物が口からドバドバ溢れてくる様子が「毒素が排出されている」と見なされていました。
そこで登場したのは水銀風呂です。
裸の患者を水銀入りの釜に入れて、上蓋の穴から頭を出させ、釜の下から火をつけて水銀を蒸発させ、体に吸収させる治療法です。
このやり方の方がより薬効が高まると考えられていました。
また、塩化第二水銀に油を加えて軟膏を作り、それを梅毒で爛れた皮膚に塗り込む治療法もありました。
皮膚は水銀に触れると、普通に火傷します。
塗られた患者は地獄のような苦痛だったのでしょう。
しかしその痛みすらも「効いている!」と思われていました。
確かに良薬は口に苦しと言いますが・・・いやはや。
こうした荒療治を梅毒が治るまで続けなければなりませんでした。
もちろん梅毒は水銀では治らず、むしろ水銀で死ぬ人の方が多かったのではないでしょうか。
有名なバイオリニスト、ニコロ・パガニーニも梅毒と診断され、後に水銀中毒で苦しみました。
彼については
「足は木の幹のように腫れ上がり、咳をするたびに粘液や膿が受け皿3から4杯分ぐらい出て、
膝の後ろまで腫れあがり、のろのろとしか歩けず、歯は抜け落ち、膀胱は炎症を起こし、睾丸はミニかぼちゃほどの大きさに腫れ上がった」
と、見るに堪えない悲惨な記録が残されています。
彼はこのために引退を余儀なくされ、数年後苦しみのうちに死んでしまうのでした。
20世紀の半ばになるとようやく水銀は有害という認識が広まり、薬として使われなくなっていきます。
今の時代に生まれてよかったと、思わずにはいられません。
以上、大禅ビル(福岡市 舞鶴 賃貸オフィス)からでした。