不動産市場を左右する「人口と移動」
■ 人口と不動産との関係
不動産市場を左右する一番大きな要因は何でしょうか?
これを考えた場合にまず「人口」が挙げられるでしょう。
なぜなら不動産は人が使うもので、マクロの不動産市場にダイレクトに関係してくるからです。
終戦直後の人口は約7200万人、今の人口の約6割程度でした。
少子高齢化、産めよ育てよが叫ばれる今日ですが、実は終戦から70年代までの復興期で、人口の大爆発を一度日本は経験しています。
大阪万博が開催される1970年には既に1億人を超えており、人口増加率にして44%です。
25年の間に2800万人増、年間100万人以上増えている計算となります。
世界の中でもこれだけの勢いで人口増加を果たした国はありません。
今から約30年後の2050年代には毎年90万人の減少が予想されているだけに、
この人口増のインパクトと、人口ボーナスによって牽引される経済の成長イメージが容易に想像できます。
人口が増えれば、それだけ消費者も増え、内需拡大の道が拓けます。
同時に日本は原料を輸入して製品化し、更に輸出する輸出型製造に成功、
貿易摩擦で大国アメリカからイチャモンをつけられるほどに経済大国としての地位を確立し、高度経済成長期を迎えることができました。
さて、この経済成長期では人口増加と同じくして
「都市部への人口流入」
という変化も生まれます。
これによって膨大な住宅需要が生み出されました。
1956年、国は住宅困窮者のために住宅や宅地を供給する日本住宅公団(現UR・都市整備公団)を設立します。
住宅の質は今ほど高いものではなかったようですが、とりあえず住むためのハコの量を確保したといった状況です。
地方から都会へ人口流入が刺激したもう一つの流れが
「郊外宅地の開発」
でした。
本コラムでも取り上げた阪急グループ創業者・小林一三で紹介しました田園調布の沿線開発も、この流れを背景とした新規市場創出の動きでした。
サラリーマンたちは都心から郊外に延びる鉄道沿線にマイホームを求め、住宅はどんどん値上がりしていきます。
価格は都心よりもリーズナブルで環境も抜群、今後も地価は値上がりしていくと期待されました。
定年退職までローンを払い続け、1~2時間の通勤地獄にも耐えてでもマイホームという財産は手に入れるだけの価値があるのだと思われた時代でした。
「早く家を買わなければ値段が高くなって一生持てなくなる」
と、本当に信じられていたのです。
全国各地にニュータウン建設が盛んに進んだのもこの時期でした。
70年代は全国に2009ヵ所、面積にして8.9万ヘクタールの住宅用地が新たに誕生しました。
これは福岡市の約2.6倍の面積に当たります。
いわゆる「不動産神話」はこの時代に形成された価値観です。
■ライフスタイルの決定的な変化
バブル経済が崩壊した1995年、祭りの終焉。
行き過ぎとも言える不動産の活況が急速に冷え込んでいきます。
人口で言うと、生産年齢人口と呼ばれる15歳から64歳までの働き手が96、7年をピークに減少していきます。
しかも減少幅は毎年100万人程度にも及び、超高齢化社会の先触れとも言うべき変化でした。
バブル時の不良債権問題が顕在化したのもこの頃で、個人向け住宅ローンを専門に取り扱う住宅金融専門会社(住専)は、
前回紹介したサブプライムローンではありませんが、不動産業者向け貸付債権をジャブジャブ貸し付けていたのです。
しかし、不動産の担保価値急落とともに次々と不良債権化し、住専全体で6.4兆円もの不良債権を抱えていたことが判明します。
さらに大手証券会社の一角であった山一証券、都市銀行の北海道拓殖銀行などの大手金融機関が破綻、金融危機が到来し、失われた20年が始まります。
不景気の影響をまともに被った不動産市場ですが、不景気でも人は不動産を買うなり借りるなり生活していかなければなりません。
ここで不動産を巡る新しい動きが生まれます。
その一つが
「夫婦共働きスタイル」
です。
それまでの伝統的な価値観であった
「男は外で働き、女は家庭を守る」
について、ただでさえ景気の宜しくない世の中ではそうも言っていられなくなり、夫婦が共に働き子育てをするスタイルが徐々に主流となっていきます。
85年に制定された男女雇用機会均等法もこの流れの背景となっています。
女性も男性と同じように社会の一線で働くことが求められる時代でした。
ここで課題となるのが
「子育て」
です。
日本では子どもは小学校に入学するまで、幼稚園か保育園に預けることになりますが、夫婦共働きの家庭となると夜まで預けてくれる施設を利用する必要があります。
ただでさえ遅い時間まで働いているため、仕事が終わって早く子どもを引き取らなければいけません。
その際の会社からの移動時間が1時間も2時間もかかってしまうようでは大変です。
よって必然的に会社近くに住居を構える職住近接を選ぶようになります。
都心は地価が高い。これは今までの常識でした。
しかしある規制緩和で状況が変わります。
「大都市法の改正」
です。
これは、三大都市圏で深刻化する住宅間題の解決を図るため、都心部での住宅供給目標量を定め、
その実施のために、都心部の容積率(敷地面積に対して建設可能な建物床面積の割合)を大幅に緩和したものです。
パブル時代に一般庶民の手が届かなくなるほど上がりすぎた地価を是正し、都心部でも円滑に住宅を供給できるようにするというのが目的でした。
■都心への人口回帰
そこでデベロッパーが目をつけたのが、湾岸エリアの工場跡地でした。
不景気と円高で多くの工場が人件費の安いアジアに移転したため、土地が残っていたのです。
それまで工場地帯では容積率が200%程度に抑えられていましたが、法改正で軒並み400%から600%程度にまで引き上げられます。
容積率が上がれば狭い土地でも高層ビルを建てられるようになります。
そして地価が変わらなければ、床面積あたりに占める地価が低くなり、住宅の販売価格を低く抑えられるようになります。
デベロッパーは工場跡地に高層マンションを次々と建設したため、サラリーマン層でも都心で住宅を所有できるようになったのです。
これによって特に首都圏(東京、神奈川、千葉、埼玉)の都心部で急速な都心回帰現象が発生しました。
例えば東京のど真ん中の中央区は1955年頃16万人だった人口が、地価の高騰とともに郊外部へ人々が転出し、
半分以下の約7万人にまで落ち込んでいましたが、法改正以降、人口は戻り始め、現在では14万人にまで回復しています。
2016年における総人口に占める生産年齢人口の割合は7.5%と、全国一働き手の割合が高い自治体となりました。
人が戻れば消費活動が生まれ、経済が活性化します。
今まで「働く街」だった都心の風貌が、「仕事と暮らしの街」へと大きく変わったのです。
一方、今まで都心に通っていたサラリーマンたちがこぞって購入していたニュータウンなどの郊外住宅からは人口が流出したため価格が下落し、高齢化も進んでいきます。
かつて高度経済成長期に、高額だと戸あたり1億円もの分譲価格が付くこともあったニュータウンでしたが、
共働きスタイルと職住近接の時代ニーズに合わなくなり、価格はいまや数百万円にまで落ち込んでいます。
人口減少と高齢化によって商業施設や学校、病院など生活インフラが貧弱化し、空き家も増えていくことが予想されます。
これも時代の流れなのかもしれません。
大禅ビル(福岡市 舞鶴 貸し事務所)のある舞鶴エリアでは、今でこそ好調ですがいつ勢いが引いていくかは分かりません
現状に溺れることなく、常に時代の変化の匂いに敏感でありたいと思った次第です。