デザイナーたちの物語 レオン・バッティスタ・アルベルティ

弊社、大禅ビルが行っております貸しビル業は、本質的には空間に付加価値をつけていくプロデュース業だと考えています。

 

そのような仕事をさせて頂いている身ですから、建築やインテリア、ファッションといったデザイン全般にアンテナを張っており、

 

そこで得たヒントやインスピレーションを大禅ビルの空間づくりに活かすこともあります。

 

とは言え、私は専門的にデザイナーとしての教育を受けたことはありませんから、本職の方々と到底比べられません。

 

本物のデザイナーというのは、既存の概念を超越するような美を生み出すアーティストに近い存在と言ってよく、その足跡の後には全く新しい地平が拓けていくものだと思っています。

 

◯ルネサンス期の「万能の人」

今回ご紹介するのは初期ルネサンスの建築家、レオン・バッティスタ・アルベルティ。

 
アルベルティ
 

建築だけでなく、法学、古典学、数学、演劇作品、詩作、絵画、彫刻といった多方面で才能を発揮し、ルネサンス期に理想とされた「万能の人」の最初の典型と言われた天才です。

 

それと同時に、人文主義者として活躍しながら建築に携わる最初のディレッタント建築家(文学、美術をはじめとしたあらゆる学問・芸術一般の愛好者)としても位置づけられています。

 

建設とデザインを明瞭に区別し、施工ではなく、デザインそのものに建物の原作者の個性を見出す新しい建築家像を体現した人物でもありました。

 

アルベルティはさまざまな分野で論考を残しましたが、とりわけ『絵画論』と『建築論』は、ルネサンスの規範に基づく芸術理論を構築した著作として、極めて重要だと言われています。

 
On the Art of Building_アルベルティ
 

『絵画論』では、絵画の構成要素を点·線·面に還元する幾何学的な分析方法を述べながら、史上初めて遠近法の理論を提示し、ルネサンス以降の芸術理論の礎を築きました。

 

その後著した『建築論』では、古代ローマの建築家·ウィトルウィウスの理論書『建築十書』や遺跡の研究を通して、古典古代の建築の美的規範が厳密な比例関係にあることを発見しました。

 

実際にサンタ・マリア・ノヴェッラ教会のファサードなどでは、正方形のパターンを基準とした比例関係に基づいてデザインしています。

 
アルベルティ
 

自身の建築理論を実際の建築設計に適用し、ルネサンスの精神を建築様式として形象化することに成功したのでした。

 

◯古代建築から受けるインスピレーション

アルベルティは、1404年にジェノバで生まれました。父親はフィレンツェ富豪ということで、名家の生まれですね。

 

ボローニャで法律を学び、その後ローマに渡り、聖職に就いてローマ教皇庁に仕えることになります。

 

この間、古代遺跡の研究を通じて建築に対する関心を高め、特に建物の形態から強い影響を受けたと言います。

 

アルベルティは多才多芸な人でした。

 

1435年、15世紀初頭にフィレンツェで盛んになった絵画芸術に触発されて、最初の大作『絵画論』の執筆を始めます。

 

この作品では、絵画の本質を分析し、遠近法、構図、色の要素を研究していました。

 

1438年、アルベルティは建築に力を入れるようになり、レオネッロ・デステ侯爵のために、レオネッロの父の騎馬像を支える小さな凱旋門を作りました。

 

1447年、教皇ニコライ5世の建築顧問となり、ヴァチカンでのいくつかのプロジェクトに関わっています。

 

◯理論にも強い建築家

1446年、フィレンツェのルチェッライ宮殿のファサードを手がけたのが、アルベルティにとって最初の大きな仕事でした。

 

続いて1450年には、ゴシック様式のサン・フランチェスコ教会を記念礼拝堂(テンピオ・マラテスティアーノ)に改築。

 
アルベルティ
 

フィレンツェでは、ドミニコ会のサンタ・マリア・ノヴェッラ教会のファサード上部を設計し、身廊と下の通路を2つの華麗な象眼細工の巻物形態で繋ぐデザインを創り出し、これが以降400年もの間、教会の建築家が従うべき先例となりました。

 

また、サン・セバスティアーノとサンタンドレア教会の設計にも携わりました。

 

後者の教会の設計は、アルベルティが亡くなる1年前の1471年に完成にこぎつけており、アルベルティの最も重要な作品となっています。

 

アルベルティは自身の理論を幾つかの著作に残したことでも知られています。

 

その一つである『絵画論』で、

 

「異なる技術をもってしても、同じ目標に向かって努力すること、すなわち、自分の手がけた作品が、できるだけ自然の実物に似ているように観察者に見えるようにすること」

 

と述べ、芸術家の究極の目的は自然を模倣することであると強調しました。

 

しかし、アルベルティは、芸術家が自然をありのままに客観的に模倣すればいいと言っているわけではなく、特に美に注意を払うべきであるとしています。

 

アルベルティにとって美とは

 

「すべての部分が互いに関連して調和していること」

 

を指し、

 

「この調和は、調和によって要求される特定の数、割合、配置において実現される」

 

ものでした。

 

アルベルティの調和についての考え方は、ピタゴラスにまで遡ることができ、決して目新しいものではありませんでしたが、彼は美学の文脈の中でにうまくそれを適合させることに成功しています。

 

アルベルティはローマで、古代の遺跡や遺物を研究する時間を十分にとっています。

 

彼の研究、ローマの建築家・技術者であるヴィトルヴィウスの『建築家論』を参考にして、1452年に『建築術について』でまとめられています。

 

この作品は、ルネッサンス期の最初の建築論文集となりました。

 

その内容は、歴史から都市計画、工学から美の哲学まで多岐にわたっています。

 

アルベルティの言葉を借りれば、「職人のためだけでなく、高貴な芸術に関心のある人のためにも」書かれたものだそうです。

 

アルベルティの建築に関する著作が近現代建築にも影響を与え続けています。

 

ファン・デル・ミースの整然とした古典主義、ル・コルビュジエの統制の利いたアウトラインと調和的なモジュールなどの中にも、アルベルティが現代建築に与えた影響を見て取ることができます。

 

◯アルベルティの代表作

アルベルティの代表作を3点ご紹介します。

 

パラッツォ・ルチェッライ

 
アルベルティ
 

ファサードデザインの発明とも言える作品です。

 

古代ローマのコロッセウムを参考に、3層に積層されたオーダー(円柱)によって構成されています。

 

窓とベイの幅・高さの比を一致させているのも特徴。

 

ピラスター(付け柱)によってファサードを分節した初めての建築とされており、全体の調和が重視されたデザインとなっています。

 

サン・アンドレア教会

 
アルベルティ
 

側廊部分に礼拝堂が並べられ、身廊の両側に閉じた礼拝堂と開いたベイが交互に付帯する構成となっています。

 

大ペディメント(破風)を載せた凱旋門風のファサードは、トンネル状のアーチとピアで構成されています。

 

建物全体のデザインは同じ比例とモチーフに基づいており、内外に調和を与えるリズミカルな空間となっています。

 

アルベルティが最後に設計した作品です。

 

サンタ・マリア・ノヴェッラ教会のファサード

 
アルベルティ
 

身廊と側廊の屋根のずれを渦巻状のパターンで繋ぎ、古代の神殿のような一体的なファサードを創出しました。

 

正方形のパターンを基準とした全体の比例関係、身廊部分と側廊部分を繋いだ一体的なデザインにはルネサンスの合理的な価値観が表れています。

 

以上、大禅ビル(福岡市 舞鶴 賃貸オフィス)からでした。

 

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