デザイナーたちの物語 ルイス・バラガン

弊社、大禅ビルが行っております貸しビル業は、本質的には空間に付加価値をつけていくプロデュース業だと考えています。

 

そのような仕事をさせて頂いている身ですから、建築やインテリア、ファッションといったデザイン全般にアンテナを張っており、

 

そこで得たヒントやインスピレーションを大禅ビルの空間づくりに活かすこともあります。

 

とは言え、私は専門的にデザイナーとしての教育を受けたことはありませんから、本職の方々と到底比べられません。

 

本物のデザイナーというのは、既存の概念を超越するような美を生み出すアーティストに近い存在と言ってよく、その足跡の後には全く新しい地平が拓けていくものだと思っています。

 

◯モダニズムとメキシコ風土の融合

今回ご紹介するのはルイス・バラガン。メキシコの近現代建築を代表する建築家です。

 

 

近代主義的なモダニズム建築を志向しつつも、ガラスの大量使用を批判し、静寂や精神の安寧を求めた閉鎖性の強い、光が印象的な建築を手がけました。

 

メキシコ独自の、たとえば民家によく見られるピンク・黄色・紫・赤のカラフルな色彩、花や空の造形、

 

漆喰壁や無垢の木などの土着的な要素を取り入れ、国際主義的なモダニズムと地方主義との調和をとったことが彼の作風の特徴と言えます。

 
バラガン
 

バラガンが手掛けたのは個人住宅が多いですが、ランドスケープの設計や住宅地開発などディベロッパーとしても成功しています。

 

◯モダニズムへの目覚め

バラガンはメキシコ第二の都市、ハリスコ州グアダラハラで地主の子として生まれました。

 

大学での専門は水力工学で、建築はなんと独学。

 

卒業後、父親の援助でスペイン、フランスなどヨーロッパを遊学し、

 

そこでバラガンは生涯にわたってインスピレーションを受けることになる造園家のフェルディナンド・バック、そして近代建築の巨匠、ル・コルビュジエと出会います。

 
コルビュジエ11
 

ル・コルビュジエのサヴォア邸等を訪れたり、彼の講義を受講したりと、近代建築の研究に没頭します。

 

そして1927年から1936年までグアダラハラで、その後メキシコシティで建築の仕事をしました。

 

メキシコシティでは実験的住宅をいくつも建築しています。

 

◯モダニズムと和して同ぜず

バラガンは当時華やかなりしモダニズム建築の薫陶を受ける一方、そうした合理性・機能性の美をそのまま取り入れることは彼はしませんでした。

 

バラガンは最終的に、家は「生活するための機械」であってはならないと確信するようになります。

 

機能主義とは反対に、バラガンは「静けさを表現しない建築は間違いである」と主張し、「感情的な建築」を目指しました。

 

バラガンは石や木などの材料と、自然光、人工光の両方を用いた独創的でドラマチックな光の使い方とを組み合わせました。

 
バラガン
 

少年時代、メキシコの雄大な自然、農園や牧場で触れた鮮烈な色彩の数々が彼のアイデンティティを成していたかもしれません。

 

バラガンは故郷メキシコの風土から抽出された彩色を作品に反映させ、いわば彼はメキシコの風土に根ざした独自のモダニズムを立ち上げたと言えます。

 

◯代表作・バラガン邸

バラガンが自身のために建てた家は、まさに色彩と光の実験場であり、彼の思想が最も濃く現れた代表作の一つです。

 

この自邸は1940年代初めにバラガン自身によってメキシコシティで建設されます。

 

敷地半分は高い塀で囲まれた緑いっぱいの中庭で、もう半分に3階建ての自宅が建っており、北側の端はアトリエで占められています。

 

カーテンは窓の外にも設置。鳥がガラスにぶつからないための配慮だという。

 

居間には十字架を模したような窓サッシが設えられ、そこから望む庭にメキシコの野生植物が生い茂っています。

 
バラガン
 

十字形のフレームの窓はバラガン作品で頻繁に使われ、彼の抽象的な造形手法を顕著に示す要素の一つです。

 

敬虔なクリスチャンだったバラガンは、この十字の窓から望む自然に祈りを捧げたのかもしれません。

 

一方、書斎からは外の風景は見えません。窓は採光のためだけにあり、静けさが空間を満たしています。

 

身長約190cmと、背の高い大男だったバラガンの設計する住宅も、そこに置かれる家具もスケールが大きい。

 

しかし、家具や空間を大きくしたのは、もしかして彼の体の大きさだけが理由ではないかもしれません。

 

彼は用の美に重きを置くモダニズムにのみにとらわれることなく、メキシコのおおらかな風土と融合した空間のつくり方を多くの作品で実践しています。

 

ビビッドな色使いの壁、大胆な吹抜けのリビング、使い込まれてあめ色に変化した大ぶりな木製の家具の数々。

 
バラガン
 

朝食の部屋を除き、この家は日中に人工光を必要としないように設計されており、窓やその他の開口部は可能な限り豊かな採光ができるよう配置されています。

 

住む人と住まいの関係も、住まいの中と外の関係も、おおらかで気持ちのよい距離感を保っています。

◯家は心の避難所

バラガンにとって書斎とは自己と対峙する空間でした。

 

バラガンが最も好んだのは、開放的な居間よりも、狭く小さな食堂だったと言います。

 

静かで閉ざされた内省的な空間こそ、精神的な安寧をもたらしてくれると感じていたのでしょう。

 

「繋がること」「共に生きること」が重視されがち今の世の中ですが、誰かと常に繋がっていなければいけない強迫観念に囚われてしまうこともあります。

 

でもバラガンの家は、家でも「一人でいてもよい場所」「独りで自己と向き合う空間」であってもよいと教えてくれます。

 
バラガン
 

「静けさこそが、苦悩や恐怖を癒す薬です。豪華であろうと質素であろうと、静寂な家をつくることが、建築家の義務なのです」。

 

とバラガンは言います。

 

メキシコの気候に合う土着の建築は、壁で囲まれたパティオや庭などで表現されるような内省的な姿を見せ、同時に青空に映えるビビッドな赤やピンクを壁などに配しています。

 

そうしたメキシコの伝統をバラガンの自邸は受け継いでいると言えますね。

 

◯評価されたのは死の直前

バラガン自邸は現在、彼の作品を展示する博物館となっており、建築家の見学にも利用されています。

 

ピカソ、ディエゴ・リベラ、ホセ・クレメンテ・オロスコ、ヘススス・レイエス・フェレイラ、ミゲル・コバルビアスの作品など、16世紀から20世紀までのメキシコの美術品も展示されています。

 

バラガンは、1975年にニューヨーク近代美術館で回顧展が開催されるまでほとんど認められず、賞賛されることはありませんでした。

 

1980年にはプリツカー建築賞の2人目の受賞者となり、彼の死後2004年に、自邸はユネスコ世界遺産に登録されるに至ります。20世紀を代表する建築の一つとして。

 

モダニズムとメキシコのローカル風土を融合させたところに、バラガンのオリジナリティの源泉があるのかもしれませんね。

 

以上、大禅ビル(福岡市 舞鶴 賃貸オフィス)からでした。

 
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