建築史シリーズ モダニズムの建築たち③
弊社、大禅ビルが行っております貸しビル業は、本質的には空間に付加価値をつけていくプロデュース業だと考えています。
そのような仕事をさせて頂いている身ですから、建築やインテリア、ファッションといったデザイン全般にアンテナを張っており、
そこで得たヒントやインスピレーションを大禅ビルの空間づくりに活かすこともあります。
とは言え、私は専門的にデザイナーとしての教育を受けたことはありませんから、本職の方々と到底比べられません。
本物のデザイナーというのは、既存の概念を超越するような美を生み出すアーティストに近い存在と言ってよく、その足跡の後には全く新しい地平が拓けていくものだと思っています。
このシリーズではそうしたデザイナーたちが紡ぎ上げてきた建築の歴史を中心にご紹介していきます。
◯モダニズムでリニューアルされる古建築
14世紀に建てられたカステルヴェキオ城は、時代の変遷と共に増改築を繰り返し、1923年には美術館に改築されたものの、戦争で荒廃していました。
1958年、イタリア人建築家カルロ・スカルバに託されたのは美術館を改修・改築し、新しい建物に再生させる仕事でした。
工事は6年かかり、1964年に完成。
建物中央にあった当初の入口は改修工事の際に東端に移動されました。
これは単に鑑賞しやすい経路にするためだけではなく、入ロに入って誰しも息を飲む美しい空間を演出し、軸線上に連続するアーチを幾度とくぐりながら彫刻を鑑賞する構成となっているのです。
鑑賞者は展示物の巧妙な配置によって身体の向きを変えたり、戻ったり、廻ったりと、目には見えない複雑な動線が仕組まれており、また、アーチの出入り口によって奥の展示室をすべて見通せなくなっていることから、逆に見えない空間への誘いを演出しています。
この美術館の見所は建物の改修ぶりだけではありません。
どこにどの展示物を置くのかをあらかじめ決め、それに合わせた空間や設えを用意してあります。
さらに展示台や展示バネル、支持金物に至るまで、すべてスカルパが手がけているのです。
この美術館は道路によって東側と西側の二棟に分断され、それぞれが2階建てになっていますので、鑑賞しながら自然と外部空間に出ることになり、ほっと一息つけるような空間設計になっています。
◯世界一美しい研究所
ソーク生物学研究所は世界でもっとも美しい建築の一つと言われ、世界から巡礼者の訪れる名建築です。
モダニズムを代表する巨匠建築家のルイス・カーンが計画から完成まで6年間という長い年月をクライアントとの強い信頼関係を保ちながら作り上げました。
設計中、ルイス・カーンは広場のデザインにとても悩みました。
研究者たちの憩いの場となるように緑豊かにしようと当初考えていましたが、よっぽどしっくりこなかったのでしょう。
メキシコを代表する建築家ルイス・バラガンに助言を求めました。
バラガンは「こには空へのファサードとすべきだ。樹も草も一切ここには必要ない」と助言し、現在のような象徴的な広場が生まれることになったのです。
ソーク博士は研究者たちが同じ場所で同じ時間を過ごしていることを自然に感じられる修道院のような中庭と回廊をもつ空間、さらには「ピカソを招くことができる実験室を」とカーンに依頼しました。
そこで、太平洋を望む広場を挟む形で建物を南と北に厳密なシンメトリーに配置しました。
この研究所でもっとも重要な実験室は、広く、融通性の高いものである必要があります。
その空間を実現するのは2つのポイントがありました。
一つは、何もないガランとした空間。
これには柱や梁に邪魔されない構造的工夫が必要です。
二つは日々進化する実験装置にともなって配管設備の入れ替えができるようにすること。
設備交換しやすいメンテナンス性を与え、実験室からは雑多な様子が見えないような工夫が求められます。
それらを一気に解決するために、カーンは空間を主従に分ける考え方「サーブドスペース(仕える空間)とサーバントスペース(仕えられる空間)の分離」を採用したのです。
実験室(サーブドスペース)と、配管スペース(サーバントスペース)が階ごとに分けられ、それらが交互に重なっています。
実験室の大空間を支える大きな梁(フィーレンディールトラス)を採用し、中空部分を配管スペースとして利用しています。
こうして上下階の間に設備専用の空間を確保することに成功し、構造と設備計画が一体となった合理的なシステムによって、いかなる研究にも対応できる実験室が成り立っているのです。
この画期的なシステムはこれ以降、アメリカの多くの病院建築で取り入れられました。
◯ハイテク建築の代表格
19世紀の印象派から20世紀のキュビスムあたりまで、世界の美術界はフランスを中心に動いていました。
ところが第一次世界大戦後、経済の中心が移行するのと同時に美術界においてもアメリカの台頭が目立ってきました。
1929に設立されたニューヨーク近代美術館(MOMA)はこの中心的な役割を担っていたのです。
このような状況の中、美術の発信地としての地位をフランスに取り戻すために発案されたのが、ポンピドゥーセンターでした。
発案者は、美術愛好家でもあったポンピドゥー大統領で、国際設計コンペを経て採用されたのが、レンゾ・ピアノとリチャード・ロジャースによる案でした。
センターの中心施設である近代美術館は、最上三層に位置しています。
近現代の絵画や彫刻、インスタレーションなどのさまざまな作品の展示に対応できるよう、内部はできるだけ無柱空間とする必要がありました。
そのために支持構造のみならず、階段やエレベーター、エスカレーター、冷暖房や換気用のダクト、これらすべてを建物の外側に配置したのです。
結果として、それまでの建築とはまるで無縁の、機械(ハイテク)のような構造物が姿を現しました。
役割別に塗り分けられたカラフルな配管設備が一層躍動感を作り出しています。
この独特の外観がさまざまな論争を巻き起こし、しかし結果として、本来の目的を達し、美術の殿堂としての揺るぎない地位を築くことになったのです。
前面の広場と一体的に設計されているのも大きな特徴の一つで、エレベーターやエスカレーター、ガラスの通路はすべて広場側に配置されています。
このポンピドゥー・センターの計画と前後して、ピアノやロジャース、さらにはノーマン・フォスターといったハイテク派と呼ばれる建築家が世界でその活躍の場を増やしていきました。
ハイテク建築は最新の技術を駆使しながら、必要な強靭さや空間の広さを実現するという設計手法を取っています。
ところがこれらの建築は得てして合理的であるばかりでなく、軽快で明るく清潔、そして何より詩的な美しさに溢れているという共通項があり、ハイテク建築の魅力となっています。
また近年、これらハイテク派の建築家たちの多くが、省エネルギーや環境問題にも関心を抱いています。
例えばピアノは自然の通風を利用し、空調設備をほぼ使わなくても済む建物などを設計しており、ハイテク建築の可能性はますます広がる様相を見せています。
以上、大禅ビル(福岡市 舞鶴 賃貸オフィス)からでした。