デザイナーたちの物語 サンティアゴ・カラトラバ
弊社、大禅ビルが行っております貸しビル業は、本質的には空間に付加価値をつけていくプロデュース業だと考えています。
そのような仕事をさせて頂いている身ですから、建築やインテリア、ファッションといったデザイン全般にアンテナを張っており、
そこで得たヒントやインスピレーションを大禅ビルの空間づくりに活かすこともあります。
とは言え、私は専門的にデザイナーとしての教育を受けたことはありませんから、本職の方々と到底比べられません。
本物のデザイナーというのは、既存の概念を超越するような美を生み出すアーティストに近い存在と言ってよく、その足跡の後には全く新しい地平が拓けていくものだと思っています。
◯分野横断の創造者
今回ご紹介するのはサンティアゴ・カラトラバ。
スペイン・バレンシア生まれの建築家です。
構造計算に基づきながら力学的な流れを感じさせる、大胆で軽やかな形態をつくり出すデザインが特徴的であり、彼の作品はいわゆる「構造表現主義」や「ハイテク建築」として位置づけられています。
また美術館、駅舎、スタジアムといった建築から、橋梁などの土木まで幅広い領域の中で活動を行う点は現代建築界において独特の存在感を放っています。
カラトラバは、バレンシアの美術学校と建築学校で学んだ後、1975年にスイス連邦工科大学チューリヒ校へ入学し、エンジニアリング (土木工学) を勉強しました。
彼はここで、構造物の可動性に着目した博士論文『スペースフレームの折りたたみの可能性について』を提出します。
この論文では、三次元の構造物をいかにして平面的なもの、棒状のものへと折りたたむことができるのかについて検討されました。
こうしたものの可動性に関するアイデアは、彼が1983年に設計したエルンスティンク社倉庫における上下に開閉し三次曲面を形成する扉や、
ミルウォーキー美術館新館の開閉するウイングとして展開され、美と構造が融合した動きのある空間の創出へと繋がっています。
カラトラバのこうした試みは、土木構築物とも建築物ともいえるような独特な存在を生み出し、都市空間のさまざまな活動を支えるインフラとしての建築の姿を指し示していると言えます。
◯芸術家でもあり、建築家でもある
カラトラバは1951年、現在はスペインのバレンシアに属している古い自治体、ベニマメットで生まれました。
バレンシアで初等・中等教育を受け、1957年からは応用美術学校でデッサンと絵画を学びます。
1964年、交換留学生としてフランスに渡り、1968年、中学を卒業した後、パリのエコール・デ・ボザールに留学しますが、パリでは学生の反乱や混乱の最中に到着したため、帰国。
バレンシアでは、ル・コルビュジエの建築に関する本を読み、芸術家と建築家の両方になれることを確信したそうです。
そして、バレンシア工科大学の建築高等学校に入学。建築家としての学位を取得した後、都市論を専攻します。
1975年、スイスのチューリッヒにあるスイス連邦工科大学に入学し、土木工学の学位を取得。
1981年に博士号を取得したカラトラバは、すぐにチューリッヒに自分の事務所を開設し、博覧会ホール、工場、図書館、2つの橋などを設計しましたが、いずれも建設されませんでした。
1983年になると、ますます大規模な産業建築やインフラ建築の依頼を受けるようになり、アントレポート・ジャケム、スイス・トゥールガウ州ミュンシュヴィレンの倉庫、ドイツ・コーズフェルト・レットの倉庫、スイス・ルツェルンの中央郵便局の増築などを設計・建設しました。
◯カラトラバの代表作
構造計算に基づいたカラトラバの建築作品は、 生き物のような躍動感のある造形から、鳥の翼やクジラなどにも例えられ、カラトラパ自身も自然からインスピレーションを得たとされています。
アラミージョ橋
1992年のセビリア万博開催時に建設された斜張橋。
ハープのような形をしており、傾斜した塔から一方向のみに張られたケーブルによって、橋全体が吊られる構造となっています。
一般的な左右対称形の形態ではなく、一方向に傾いた形態をとることで、一見すると不安定な印象を与えつつ、構造的な合理性に基づき、力強さと躍動感を発揮しています。
この作品によってカラトラバは名声を確固たるものにしたと言われています。
リエージュ・ギュマン駅
リエージュ市内の最も大きな交通結節点である、リエージュ駅の駅舎。
複数の路線が入り込むプラットホームをガラスとスチールによる大きなアーチ状の屋根で覆い、極めて明るく開放感のある駅空間を創り出しています。
緩やかな曲面を描きながら広がる大屋根は、周囲の景観や光を駅の中に取り込むと同時に、駅空間を街に向けて開いています。
ビルバオ空港
ビルバオ空港は高さ42メートル、コンクリートにアルミを被せ、高くなるにつれて幅が広がり、両手を挙げている像を思わせる管制塔と白いコンクリート構造体からなるターミナルビルが特徴的です。
ターミナルビルはまるで飛び立とうとしているかのように見えることから、「The Dove(鳩)」という愛称で親しまれています。
ミルウォーキー美術館
カラトラバがアメリカで設計した最初の建築物です。
鉄道駅や空港で初めて採用された技術革新と形態を、より自由な形態と建築的な演出で表現した作品です。
「強いイメージで美術館のアイデンティティを再定義する」というテーマのもとコンペが開かれ、77人の参加者の中から、カラトラバのデザインは選ばれたのです。
カラトラバのデザインは、高さ2メートルのガラスとスチールでできたエントランスホールに可動式のサンスクリーンを設置したもので、
長さ8メートルから32メートルまでの26個の小さなウィングからなる2つの大きなウィングで構成されています。
重さ115トンのサンスクリーンは、巨大な鳥の翼のように1本の鉄塔で吊り上げたり、湖からの風が時速65キロ以上になると降ろしたりすることができます。
構造物の内部には、会議場、博覧会スペース、ショップ、湖を見渡せるレストランなどがあり、また、街の中心部と湖の端を結ぶ吊り下げ式の歩道橋も設計しています。
芸術科学都市とオペラハウス
カラトラバによる最大の建築群は、彼の生まれ故郷であるスペインのバレンシアにあり、10年以上かけて建設されたものです。
市街地の東側、高速道路と川に挟まれた35ヘクタールの敷地に、芸術科学都市とオペラハウス、プラネタリウム、庭園、博物館、水族館などが建設されています。
プラネタリウムであるレミスフェリックは、半分沈んだ地球のような形をしており、中央には大きな人工湖があり、その中に沈んでいるかのように見えます。
ドームは開閉する金属製のスクリーンで覆われており、ドームの入り口は人間の目のように開いています。
また、カラトラバが記念碑的な彫刻と表現したオペラハウスである「ソフィア王妃芸術宮殿」の洗練された巨大なシェルは、ファンタジックであり、絶えず動いているかのような印象を人に与えています。
以上、大禅ビル(福岡市 舞鶴 賃貸オフィス)からでした。