デザイナーたちの物語 ヘリット・トーマス・リートフェルト
弊社、大禅ビルが行っております貸しビル業は、本質的には空間に付加価値をつけていくプロデュース業だと考えています。
そのような仕事をさせて頂いている身ですから、建築やインテリア、ファッションといったデザイン全般にアンテナを張っており、
そこで得たヒントやインスピレーションを大禅ビルの空間づくりに活かすこともあります。
とは言え、私は専門的にデザイナーとしての教育を受けたことはありませんから、本職の方々と到底比べられません。
本物のデザイナーというのは、既存の概念を超越するような美を生み出すアーティストに近い存在と言ってよく、その足跡の後には全く新しい地平が拓けていくものだと思っています。
◯家具職人としてスタートした建築家
今回ご紹介するのはヘリット・トーマス・リートフェルト。
近代を代表するオランダの建築家、家具デザイナーです。
デ・ステイルと呼ばれるオランダの芸術運動の主要メンバーの一人であるリートフェルトは、
「赤と青の椅子」や、ユネスコの世界遺産にも登録されている「リートヴェルト・シュレーダーハウス」で有名です。
ちなみにデ・スティルとはオランダで活動していた前衛的な画家、建築家のグループで、作風としては水平・垂直・3原色による新造形主義を唱えていました。
ここにリートフェルトも参加していたのです。
リートフェルトは1888年にユトレヒトで家具職人の息子として生まれました。
彼は11歳で学校を出て父親に弟子入りし、美術学校の夜間コースに通いながら、1906年から1911年までユトレヒトの宝石商のもとで製図技師として働きました。
1917年に自分の家具工房を開くまでに、リートフェルトは独学でデッサン、絵画、模型製作を学びます、
独立後、リートフェルトは工房を経営しながら、そこで「デ・ステイル」の創立者たちと知り合い、インスピレーションを受けます。
まもなく彼はある話題作を世に送り出します。
「レッド&ブルーチェア」です。
このカラフルな作品は、デ・スティルの画家であったピエト・モンドリアンの抽象画をモチーフに制作されたリートフェルトの代表作です。
モンドリアンは新造形主義の提唱者であり、本格的な抽象画を描いた最初期の画家と言われています。
水平と垂直で構成された画面に、赤青黄の三原色だけを用いるストイックな画風が特徴的です。
モンドリアンが始めた水平・垂直の直線と三原色から成る「コンポジション」の作風には、
純粋なリアリティと調和を絵画において実現するためには、絵画は平面でなくてはならない、つまり従来の絵画のような空間や奥行きの効果は除かれねばならないという彼の表現理念が根底にあります。
そのような作品を創るために、彼は作品ごとに構図を決めるにあたって苦心と試行錯誤を重ね、色むらやはみ出した部分の一切ない厳密な線や色面を追究しました。
◯絵画的なシュレーダー邸
早速ですが、リートフェルト最大の代表作をご紹介します。
「シュレーダー邸」
です。
リートフェルトは1924年に、この家のオーナーとなるトゥルーシュ・シュレッダー・シュレッダーと縁を得て、シュレッダーのための私邸をデザインしました。
面を際立たせる造形、三原色と無彩色とで塗り分けられた線と面による構成。
モンドリアンの絵を立体化したようなこの住宅はデ・スティルの理念を具現化した建築として、一躍世界的に有名になりました。
西洋建築といえば、どっしりとしたレンガ壁に覆われ、小さな開口しかない閉鎖的な建物のイメージがありますが、その常識を覆したのがシュレーダー邸だと言えます。
コンクリートの建物にガラスの大開口を設けて、光や風の眺望を楽しむことができ、また、住む人のプライバシーを重視し、通常1階にある居間を2階に配置したことで開放感をも生み出しています。
さらに、居間と食堂の隅には柱を立てず、コーナーウィンドウを設けています。
2枚の窓を開けると部屋の角がなくなり、外の美しい田園風景と内部空間が一体化する設計になっています。
外観だけでなく、床、壁、天井、照明、家具、戸棚など、内部の至るところにデ・スティルの理念を見ることができます。
2階の生活の中心部には可動間仕切戸が設けられています。
天井まであるこの引戸は家具や壁のなかに収納でき、開閉することでまったく異なる空間をつくり出せます。
昼は戸を収納し大きなワンルームとして広々と使い、夜は独立した寝室、居間、食堂を分けるように戸を閉めプライバシーを確保する。
このダイナックで機能的な仕組みをもつ住宅は、家具のように細部まで精巧につくることで実現しました。
床、壁、家具は、これもまた三原色とグレーの濃淡で塗り分けられています。
抽象画のただ中にいるような感覚を覚えそうですね。
◯機能主義とデ・スティルとの融合
シュレーダー邸やレッド&ブルー・チェアといった代表作が「デ・スティル」の理念を具現化したものとして世界に衝撃を与えたからか、リートフェルトはデ・スティルと共に語られることがほとんどです。
実はリートフェルトは、レッド&ブルーチェアの初期型を製作していたころ、デ・スティルにはまだ参加していませんでした。
リートフェルトの目指すデザインが、偶然にもデ・スティルの理念と合致したといっ
た方が正しいのかもしれません。
リートフェルトはシュレーダー邸を建てた後、色彩を過剰に使うのを避け、個人住宅では居住性を重視するようになり、
さらにはべネチア·ヴィエンナーレのオランダ館をはじめ大規模公共建築も手がけたるようになります。
多様な建築で新しい構造や材料にも挑戦し、また、労働者のための集合住宅や住宅のプレハブといった標準化、ローコスト化の技術的問題にも熱心に取り組んだと言います。
しかし、これらの取り組みはあまり知られていません。
住宅に関して言えば、リートフェルトは100近くの設計に携わっています。
その多くはシュレーダー邸と違って、ガラスの多用が特徴の箱の造形となっており、その背景には、1925年に始まり、彼自身も参加した新即物主義の運動の存在が指摘されています。
彼は、より生活の機能に根ざした合理的な造形を追求し、次第に機能主義へ転向していったのです。
しかしそれらの作品から、面や線の自立した造形が完全に消えたわけではなく、その空間にはやはり抽象画のようなセンスが感じられます。
シュレーダー邸以降の彼の功績は、機能主義をベースにデ・スティルとの融合を果たした点にあると言われています。
例えば彼が設計したオランダのベルハイクに建つテキスタイルエ場デ・プルッフは、8×24mを単位としたRCフレームにアーチシェルを架け、一つひとつのユニットに角度をつけて採光を確保しています。
この自然との交差によってドライになりがちな工場建築に動きを与えています。
壁面はその角度を生かして分割され、出入口にのみ赤、青、グレーのデザインが使われています。
家具職人の父の元で幼いころから家具のデザインをし、ほぼ独学で建築を学んだリートフェルトは、
論理的な思考よりも、家具職人としての直感と経験を積み重ねるなかで才能が研ぎ澄まされていったのでしょう。
その才能は家具だけでなく建築の分野でも開花し、初期の作品から晩年の作品まで実に豊かで変化に富んだものを生み出しています。
以上、大禅ビル(福岡市 舞鶴 賃貸オフィス)からでした。