デザイナーたちの物語 ピーター・アイゼンマン
弊社、大禅ビルが行っております貸しビル業は、本質的には空間に付加価値をつけていくプロデュース業だと考えています。
そのような仕事をさせて頂いている身ですから、建築やインテリア、ファッションといったデザイン全般にアンテナを張っており、
そこで得たヒントやインスピレーションを大禅ビルの空間づくりに活かすこともあります。
とは言え、私は専門的にデザイナーとしての教育を受けたことはありませんから、本職の方々と到底比べられません。
本物のデザイナーというのは、既存の概念を超越するような美を生み出すアーティストに近い存在と言ってよく、その足跡の後には全く新しい地平が拓けていくものだと思っています。
◯理論派脱構築主義者
今回ご紹介するのはピーター・アイゼンマン。
アメリカ出身の脱構築主義建築の建築家です。
アイゼンマンは、アメリカの現代建築界を代表する理論派建築家です。
1970年代中頃のアメリカでは、土着的な建築を志向する「グレイ派」と、ル・コルビュジエの「白の時代」の住宅作品のような抽象的な表現を志向する「ホワイト派」の論争が起こりましたが、アイゼンマンは後者の代表格と言える人物です。
初期の「住宅」シリーズに見られるように、アイゼンマンは幾何学的なフレームの操作を通じて、建築の形態と機能・意味の関係性を再考しました。
また1980年代以降、アメリカを発信地とした「脱構築主義」の建築が世界的に注目を集めると、アイゼンマンはこの潮流の中の1人にも数えられました。
「脱構築」とは、哲学者ジャック·デリダが提唱した、プラトン以来の西洋哲学における伝統的価値観の解体を意味する概念です。
建築もこの影響を受け、斜めの床や歪んだ形をあえてつくることで、伝統的建築の解体と再構成が目指されたのです。
アイゼンマンは、フランスの思想家デリダとの協働プロジェクトを進め、より根源的・理論的な水準で建築の「脱構築」を試みました。
アイゼンマンの影響力は作品以上に、言論活動で強く発揮されたといえます。
彼が主宰したニューヨーク建築都市研究所(IAUS)は、レム・コールハースら前衛的な建築家·歴史家の議論の場となりました。
さらに1990年代に開催された国際建築会議「ANY会議」でも、磯崎新らとともに中心的役割を担っています。
◯複数の学位を持つ学者肌
アイゼンマンは1932年、ニュージャージー州ニューアークで、ユダヤ人の両親のもとに生まれました。
子どもの頃は、ニュージャージー州メープルウッドにあるコロンビア高校に通い、そしてコーネル大学の建築学部に入学します。
大学では学業に専念するために所属していた水泳チームをやめたとか。
コーネル大学で建築学の学士号を、コロンビア大学の建築・計画・保存の大学院で建築学の修士号を、ケンブリッジ大学で修士号と博士号を取得。
2007年、シラキュース大学建築学部から名誉学位を授与されています。
◯アイゼンマンの脱構築スタイル
チャールズ・ムーアなどのイェール大学のグレー派に対抗して、ホワイト派とも呼ばれるニューヨーク・ファイブ(アイゼンマン、チャールズ・グワトミー、ジョン・ヘジュドゥック、リチャード・マイヤー、マイケル・グレイブスの5人の建築家)のメンバーの一人としてアイゼンマンは注目を集めました。
アイゼンマンがこの時期に手がけた作品は当時、ル・コルビュジエのアイデアを再構築したものと考えられていました。
その後、5人の建築家はそれぞれ独自のスタイルとイデオロギーを確立し、アイゼンマンは脱構築主義に傾倒していきます。
現在アイゼンマンはイェール大学建築学部で理論セミナーと上級デザインを教えています。
それ以前はケンブリッジ大学、ハーバード大学、ペンシルバニア大学、プリンストン大学建築学部、オハイオ州立大学などで後進の指導に携わっていました。
彼の作品は、形式主義、脱構築的、後期前衛、後期または高次のモダニズムなどと呼ばれることが多く、彼のプロジェクトに見られる形態の断片化は、脱構築主義者と呼ばれました。
アイゼンマンの著作は、比較形式分析、学問の解放と自律化、そしてジュゼッペ・テラーニ、アンドレア・パラディオ、ル・コルビュジエ、ジェームズ・スターリングなどの建築家の歴史の追求にフォーカスしています。
建築の形態を「解放」することに焦点を当てた彼の取り組みは、学術的・理論的な観点からは注目に値するものでしたが、アイゼンマンが手掛ける建築は、必ずしも利用者にとって最適な空間になるとは限りませんでした。
最初の主要な公共脱構築主義建築物として期待されたウェクスナー・センターは、不適切な材料仕様、直射日光にさらされる美術品展示スペースといった初歩的な設計上の欠陥のために、大規模な改修を必要としました。
彼はまた、ベルリンの「ヨーロッパのユダヤ人殺害者記念碑」やアリゾナ州グレンデールの「フェニックス大学新スタジアム」など、より大規模な一連の建築プロジェクトにも携わっています。
◯アイゼンマンの代表作
オハイオ州立大学ウェクスナー芸術センター
既存の劇場施設の隙間を「足場」と名付けられた白い立体フレームが一直線に伸びる建築です。
立体フレームの貫入角度は、立地するオハイオ州コロンバスの都市構成から引用しました。
都市や公園と施設を結ぶ軸線になるとともに、ガラス張りのギャラリーや図書館の機能を含んでいます。
住宅第1号
建築を特定の機能や計画から解き放ち、形態の自律的操作によるデザインを試みた実験住宅。
「住宅」と名付けられてはいますが、実際は個人ギャラリーです。
装飾のない真っ白な壁や梁で幾何学的に構成された抽象性の高い空間です。
ホロコースト記念碑
ベルリンに建つナチス・ドイツにより迫害されたユダヤ人犠牲者のための記念碑です。
具象的な表現はなく、2万㎡近い敷地に2,711個のコンクリート製の石碑が、まるで墓石や棺のように、グリッドに従って整然と並んでいます。
地下空間には情報センターも設計されています。
ガリシア文化都市
スペインのガリシア州ア・コルーニャ県サンティアゴ・デ・コンポステーラにある複合文化施設で、アイゼンマンがこれまで手掛けた最大のプロジェクトです。
丘の上に建つように設計されているため、建設費は多額に上り、完成までに10年以上の歳月がかかると言われていたところ、
結局プロジェクトの建設中止が発表され、予定されていた国際アートセンターや音楽・景観芸術センターの2つの施設は建設されていません。
遺跡を思わせる石の地殻を、地元の伝統的なシンボルであるホタテ貝を模した自然の切れ目で分割したデザインとなっています。
布谷東京ビル
東京都江戸川区にかつて存在したアイゼンマンの数少ない日本での実作。
脱構築の建築物らしく、建物の外見は傾いており、半ば地下に没落しているかのような奇天烈な設計になっています。
安定した座標軸を持つ空間ではなく、立つ場所がその都度固有な場となるというコンセプトだそうです。
以上、大禅ビル(福岡市 舞鶴 賃貸オフィス)からでした。