建築史シリーズ ピクチュアレスクとゴシック・リバイバル

弊社、大禅ビルが行っております貸しビル業は、本質的には空間に付加価値をつけていくプロデュース業だと考えています。

 

そのような仕事をさせて頂いている身ですから、建築やインテリア、ファッションといったデザイン全般にアンテナを張っており、

 

そこで得たヒントやインスピレーションを大禅ビルの空間づくりに活かすこともあります。

 

とは言え、私は専門的にデザイナーとしての教育を受けたことはありませんから、本職の方々と到底比べられません。

 

本物のデザイナーというのは、既存の概念を超越するような美を生み出すアーティストに近い存在と言ってよく、その足跡の後には全く新しい地平が拓けていくものだと思っています。

 

このシリーズではそうしたデザイナーたちが紡ぎ上げてきた建築の歴史を中心にご紹介していきます。

 

◯自然に還る建築様式

今回ご紹介するのはピクチュアレスクとゴシック・リバイバル。

 

どちらとも西洋建築史において特筆すべき大きな潮流です。

 

産業革命の時代。

 

工業化によって、都市は急速に人工物に囲まれていくようになります。

 

そこにいかめしく荘重な新古典主義への反動も加わり、自由や自然、遠い過去の時代や異国の文化に憧れるロマン主義的心情が建築潮流として現れたのがピクチュアレスクでした。

 

フランスでは、哲学者ジャン・ジャック・ルソーの「自然こそ人にとって望ましい」という思想によって、田園田舎趣味も起こります。

 
ルソー
 

「人工化が進みすぎた社会では権力、富、名声といった他者からの承認に囚われてしまう。人が自由になるためには、もっと自然に近い状態であるべき」と、ルソーは説きます。

 

ここで、バロック様式とピクチュアレスク様式を比較してみましょう。

 

宮殿や教会に代表されるようなバロック様式は、厳格な建築の規則に則り、贅を尽くした絢爛豪華な構造と装飾、そして幾何学な庭を特徴としています。

 

一方、ピクチュアレスク様式は自然に溶け込み、人工的な均質・均等よりも、自然のままの素朴さが表現された農家風を特徴とし、庭園も建物を囲むように設えられ、周辺の風景に馴染むような造りになっています。

 

モニュメントは色んな所に点在あい、平坦でない地形、川もわずかに蛇行させて変化を持たせています。

 

◯王妃はピクチュアレスクがお気に入り

絢爛豪華の頂点とも言えるのがヴェルサイユ宮殿。

 

なんとその敷地内にピクチュアレスクの建築が建てられたのです。

 

それがプチ・トリアノンのアモー。

 
プチ・トリアノンのアモー
 

田舎の風趣に憧れたマリー・アントワネットのために建てられました。

 

不整形の池をノルマンディ風の農家が囲み、バロック庭園と全く対象的な設計になっています。

 
プチ・トリアノンのアモー
 

当時の人々が切望していたのは、温かみやホッとする雰囲気のある建築でした。

 

厳格な新古典主義や社会情勢に対抗して、個人的な趣味を自由に発揮できる場が必要でした。

 

そして豊かな連想ができる過去の歴史への回帰や、自然で自由な形態の建築、さらに自然そのものを結びつけ、絵画的な建築景観が創り出されたのです。

 

これこそがピクチュアレスクの思想でした。

 
プチ・トリアノンのアモー
 

◯ゴシック・リバイバル

ピクチュアレスクは後にもう一つの建築潮流の源流となります。

 

それがゴシック・リバイバルです。

 

ゴシック建築とは、もともと12世紀後半から花開いたフランスを発祥とする建築様式で、

 

尖ったアーチ、飛び梁などの工学的要素がよく知られており、さらにこれらのモチーフを含めた全体の美的表現を特徴としています。

 

ルネサンス以降、ゴシック建築は顧みられなくなりましたが、その伝統は18世紀になると再評価が始まり、ゴシック・リバイバルと言われるゴシック建築復興運動を形成していきます。

 

そしてこの運動の根底にあるゴシック熱は、ピクチュアレスクによって呼び起こされたわけです。

 

ゴシックの再評価へ向かったのは、著述等による主張と思想の伝播も大きいとされ、

 

ロンドンに建つウェストミンスター宮殿の設計者の一人であるオーガタス・ピュージンは、「キリスト教国の建築はすべてゴシック様式にすべき」とまで説きました。

 
ウエストミンスター
 

この主張は、国民から熱狂的な支持を得ることになります。

 

さらに、美術批評家ジョン・ラスキンは、「中世ゴシック様式の建築と装飾の美しさは、中世の職人が喜びをもってつくっていたから」として、中世社会を理想化したのです。

 

これは後のアーツ・アンド・クラフツに繋がっていきます。

 

そうした言説に導かれ、ヴィクトリア朝の後期はゴシック・リバイバルの全盛期となっていくでした。

 

◯ゴシック・リバイバルの代表作

キブル・カレッジ礼拝堂

 
キブルカレッジ
 

キブル・カレッジ礼拝堂に見られるヴィクトリア朝時代のゴシックの特徴は

 

①石材、レンガ、木材を使い、多彩な色を用いて室内を装飾

 

②赤レンガと白い石材を組み合わせた壁面

 

③数十種類もある色のレンガを組み合わせてつくる幾何学模様やパターン

 

です。

 
キブルカレッジ
 

イギリスを発端とする産業革命によって、農業生産量の向上、技術力の向上、大量生産が可能になり、その後の生活は飛躍的に使利になりました。

 

一方で、農村から出稼ぎに来た人々がつぎつぎ都市に流入、過密となり、スラムが生まれてしまいました。

 

工業による大気汚染や、インフラが追いつかないことによる不衛生さで伝染病も発生するなど多々問題が発生したのです。

 

そして、ゴシック・リバイバルは、その産業資本主義がもたらした「不健全な社会を否定する」側面がありました。

 

同時に、理想化された中世という活路を見出し、息づまる都市において道標となるべき精神としても生まれたのです。

 

ストロベリー・ヒル・ハウス

 
ストロベリー・ヒル・ハウス
 

イギリスの政治家ホレス・ウォルポールが18世紀中頃に建てた中世ゴシック風の邸宅。

 

ゴシック・リバイバル建築の先駆けとされています。

 

ウォルポールは最初にゴシック風の自邸を造り上げ、様々な中世建築から自分好みの装飾を引用し、ディテールを決定していきました。

 

その後さらにゴシック風の円塔、円錐屋根邸宅などの増築を重ね、はじめ対称的だった建物は不規則な形態になっていきました。

 

内部は、ロマン主義的な中世建築の遺構モチーフをロココ風にアレンジしています。

 

ゴシック建築を自由に翻案した独特の雰囲気があり、どことなく異国情緒感が漂っていますね。

 

学びの聖堂

 
学びの聖堂
 

アメリカ合衆国ペンシルベニア州ピッツバーグ市東部、オークランド地区にキャンパスを置くピッツバーグ大学のメインの校舎です。

 

学びの聖堂は42階建て、高さは163mで、大学の建物としては全米で最も高く、世界でも二番目の高さを誇っています。

 

このゴシック・リバイバル様式の校舎はオークランド地区におけるランドマークとして、大学の写真や絵葉書、その他広告に広く使われており、ピッツバーグの観光名所の一つにもなっています。

 

鉄骨構造のこの校舎の建材にはインディアナ州南部特産のインディアナ・ライムストーンと呼ばれる高級な石灰岩が使用されています。

 

校舎の設計には、当時ゴシック建築においては最先端を行っていたフィラデルフィアの建築家、チャールズ・クローダーが起用されました。

 

2年の月日を費やして出されたこの校舎の最終設計案は、近代的な超高層建築物にゴシック建築の伝統を織り交ぜるという斬新なものでした。

 

この作品は、後期ゴシック・リバイバル建築の完成形と評価されています。

 

以上、大禅ビル(福岡市 舞鶴 賃貸オフィス)からでした。

 

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