建築史シリーズ バロック建築
弊社、大禅ビルが行っております貸しビル業は、本質的には空間に付加価値をつけていくプロデュース業だと考えています。
そのような仕事をさせて頂いている身ですから、建築やインテリア、ファッションといったデザイン全般にアンテナを張っており、
そこで得たヒントやインスピレーションを大禅ビルの空間づくりに活かすこともあります。
とは言え、私は専門的にデザイナーとしての教育を受けたことはありませんから、本職の方々と到底比べられません。
本物のデザイナーというのは、既存の概念を超越するような美を生み出すアーティストに近い存在と言ってよく、その足跡の後には全く新しい地平が拓けていくものだと思っています。
このシリーズではそうしたデザイナーたちが紡ぎ上げてきた建築の歴史を中心にご紹介していきます。
◯権力者たちによる建築表現
今回ご紹介するのはバロック建築です。
欧州で1590年頃から盛んになった建築様式ですが、複雑さや多様性に満ちた内部空間の構成が際立った特色となっています。
バロックの語源はポルトガル語のBarocco(歪んだ真珠)と言われ、元々は過剰で大仰な装飾に対する蔑称でしたが、
のちに広く17・18世紀の美術・建築に見られる傾向を指す様式概念として用いられるようになりました。
バロック建築のもう一つの特色は、彫刻や絵画、家具などの諸芸術も建築と不可分な要素として捉える総合芸術となっている点です。
ゆえに、バロック建築を建てるには、莫大な知識・技術と多くの芸術家を抱えられるだけの資本が必要でした。
そしてそれだけ富を持っていたのは教会と国王だったのです。
つまりバロック建築とは、権力者の権勢を背景に勃興した様式と言えますね。
◯拡散するバロック
バロック建築はルネサンス建築の特徴である
・規則正しい繰り返し
・一定のテンボによる構成
・円のような静的で完結する図形の適用
とは異なり、
・立体的なファサード
・オーダー(柱)の感覚、立体感の操作
・強弱表現のあるリズム
・規則ではなく躍動
・楕円といった収縮と誇張を暗示させる図形の適用
などの違いが見られます。
建物内部ではエンタブラチュア(柱頭の装飾)で水平に壁面とドーム、ヴォールト(アーチを平行に押し出したかまぼこ型を特徴とする天井様式)を分かち、力強いテンポゆえにバロックでは好まれました。
ゴシックの垂直方向に上昇する空間とも違います。
劇的かつ激しい抑揚を伴うローマ・バロックを代表する建築として、サン・カルロ・アッレ・クワァットロ・フォンターネ教会堂があります。
ドームの内面は十字形、正六角形、正八角形を組み合わせた天井が楕円にまとめられ、躍動を表現しており、
うねる複雑な壁面に力強いエンタブラチュアを回し、コリント式オーダーをバランスよく配置しています。
内外ともに曲面を多用し、幻想的な表情へのまとめ方は、まさに秀逸。
設計したのはパロックを代表する建築家フランチェスコ・ボッロミーニです。
バロック建築では絵画・彫刻・建築が混然一体となり、壮観なエンターテイメントを展開しています。
ローマ市内を歩くと、記念碑のオベリスク、いまにも動きそうな彫刻と噴水を備えた広場、それに建築が壮麗な道路によって結ばれ、都市そのものがバロックによる祝祭の劇場となっています。
カトリック改革の精神を結実させ、さらに壮大な世界へと盛り上げていくには、建築の力が必要不可欠だったのです。
そしてバロックは、ヨーロッパ全域に空前の広がりを見せました。
スペインやイギリス、ポルトガルが南北アメリカ、アジア、アフリカなど世界へと進出していく時代とも重なったため、バロック建築は世界中で建てられるようになります。
◯優雅なフランス・バロック
ローマのほかにバロック様式が花開いた地として知られているのがフランスです。
17世紀のフランスは、強固な中央集権国家を形成したことで、それにふさわしい建築を模索しました。
ローマ・バロックに刺激を受けながら、オーダーの正しい比例や正確な古典言語などをふまえ、理知合理的に古典主義的な建築様式、フランス・バロックを創っていきました。
つまり、フランス・バロックは古典主義的要素が強いということです。
以上、フランス的な特徴は
・邸館の基本といえるH形平面
・弓形ペディメントを戴く窓
・ドーマー窓を備えた急勾配の屋根
・両腕を広げたようなダイナミックさと、静的で直線的な造形を含む
などがあると言えます。
もう一つのポイントは、イタリアの新しい芸術を見極める見識を備えたブルジョワ階級によって、フランス・バロックのシャトー(貴族の城館)は生まれたということです。
◯フランス・バロックの代表作
そんなシャトーの中でも、ルイ14世の大蔵大臣ニコラフーケのヴォー・ル・ヴィコント城館は、
ヴェルサイユ宮殿の設計者としても知られるルイ・ル・ヴォーが手掛けた、建築・内装・庭園と三拍子揃った秀作です。
ジャイアントオーダーを用いた動きのある壁面はバロック的ですし、スタッコ(消石灰に大理石粉など混ぜた材)装飾、あるいはトロンプ・ルイユ(編し絵)を駆使するところもローマ・バロック的です。
城館から中央軸を進んでいくと、滝やグロット(洞窟風装飾)が姿を現し、西洋随一の名園は、無限に延びるかのような中央軸、刺繍花壇、泉水、運河などが幾何学的に組み合わさったフランス式庭園です。
ヴォー・ル・ヴィコント城館はあまりの素晴らしさゆえに、なんとルイ14世の嫉妬を買ってしまいます。
ルイ14世はこの建築を超えるべく、ヴィコント城館に携わった3人の芸術家を自らの城館建設にそのまま登用し、そこで造らせたのがあのヴェルサイユ宮殿だったのです。
◯ヴェルサイユ宮殿の衝撃
太陽王とも称されたルイ14世。
彼のもとで絶対王政は最盛期を迎え、政治・文化的覇権の確立が目指されました。
建築、彫刻、絵画、文学、音楽といった各分野でフランス様式を推進しました。
その一つの到達点と言えるのがヴェルサイユ宮殿です。
ヴェルサイユ宮殿は、ルイ14世がルイ13世から受け継いだ小城館を増築してできていきました。
ルイ・ル・ヴォーはルイ13世の小城館を囲い込む形で新城館、つまりヴェルサイユ宮殿を造ったのです。
実はヴェルサイユ宮殿には廊下がありません。
これは近世宮殿建築の特徴だと言われています。
一連の広間群をアバルトマンといいます。
また、天井画にはヴィコント城館にも見られなかった、太陽神・アポロンを中心とする古代神話世界の展開が描かれています。
王の栄光を絵画・彫刻・建築からなる恒久的な芸術で伝えていこうとする意志の現れです。
また幾度も開かれた野外祝典や宴会は広大な庭園や宮殿そのものが舞台の演出装置となりました。
さらに多額を投じ、リエージュ司教国(ベルギー)から機械を輸入。職人は招聘してまで噴水を造りました。
そして、ヴェルサイユ宮殿ではなんといっても鏡の間でしょう。
ここで着目すべきは、これまで太陽神だった図像計画が、ルイ14世自身に移り変わっていく点です。
庭園にもそれまでの太陽神神話彫刻から、芸術作品として価値ある古代彫刻へと置き換わっていきます。
すなわち、ルイ14世の神格化、古典古代への勝利宣言でもあると言えるでしょう。
ヴェルサイユ宮殿は全欧州の憧れとなり、17世紀から約半世紀にかけて、各国で宮殿の建設ラッシュが起こるようになります。
またバロック建築の荘重で絢爛すぎる装飾と構造へのアンチテーゼとして、ロココやピクチュアレスクなどの潮流が生まれていくのでした。
以上、大禅ビル(福岡市 舞鶴 賃貸オフィス)からでした。