バレンタインデーの○○な歴史!
今年もやって参りました。バレンタインデー。
世の男子女子たちの胸をざわつかせる年に一度のビッグイベントです。
既に日本の文化として定着した感のあるバレンタインデーですが、今回はそれにまつわる起源と歴史についてお話したいと思います。
■実は残酷な宗教行事!?
今回バレンタインデーの起源は諸説あって、実は謎です。
最も古い起源と言われているのが「ルペルカリア祭」という古代ローマのお祭りです。
何世紀にもわたって続いてきた結構メジャーなお祭りみたいで、2月半ばに豊穣を祈願する儀式として行われていたようです。
ですからテーマは男女の恋愛ではなく、共同体の農業生産だったわけです。
日本の神道にも五穀豊穣を祈る「祈年祭」や「新嘗祭」がありますね。
が、古代ローマのそれは、のどかさとはほど遠く・・・
まず男たちが裸になります。
そしてヤギと犬を神に生贄として捧げます。
次に、少年たちが生贄にされた動物の皮を剥いで、その皮で未婚の少女たちを鞭打つ!
これで豊穣を祈っていたそうです。
いやあ・・・どこに豊穣に繋がる要素があるの!?ってなりますよね。
現代の価値観だと普通に暴行罪で即逮捕の案件ですが(笑)
が、このルペルカリア祭はなぜか人気が高く、ローマ帝国のコンスタンティヌス1世が西暦313年にキリスト教を正式に公認してからも、
およそ150年の間お祭りとして祝われていたそうです。
それがいつしかキリスト教のお祭りとして定着していったのかもしれません。
祭りが行われた日が毎年の2月15日。
今のバレンタインとほぼ同じ頃だったのです。
しかし、5世紀の終わり頃に、ローマ教皇ゲラシウス1世によってルペルカリア祭は廃止されました。
その代わりとして、3世紀の2月14日に殉教したと伝えられる聖バレンタインを祝福するため、この日を祭日にすると宣言されました。
■処刑された聖人・バレンタイン
聖バレンタインは3世紀頃に生きたカトリック教会の聖職者です。
その頃のローマでは、キリスト教徒はまだ新興宗教で、イエスがゴルゴダの丘で磔にされたことからも分かるように迫害の対象だったんですね。
一方、その新しさから確実に信者を増やし、ローマ帝国から益々危険視されていました。
聖バレンタインは、そうした状況の中で殉教した信徒の一人でした。
当時ローマでは、皇帝・クラウディウス2世のもと、恋人を故郷に残した兵士がいると士気が下がるという理由で、
兵士たちの婚姻を禁止したと言われています。
兵士は兵士らしく、プライベートを捨てて職務に集中せよ、ということですね。
そこでキリスト教の司祭だったバレンタインはこれに疑問を抱いたんですね。
愛する者同士はなぜ引き裂かれないといけないのかと。
これはキリスト教の博愛の教義に反するのではないかと。
彼は婚姻を禁止された兵士たちの悲しみを受け止め、彼らのために内緒で結婚式を行います。
もちろん、これは違法です。
やがてそれは皇帝の耳に入るところとなり、怒った皇帝はバレンタインに対し禁止命令を出し、信仰を捨てることを迫ります。
しかしバレンタインはキリスト教に殉ずる者。
決して皇帝の命令に屈しなかったため、自宅軟禁の刑に処されます。
軟禁されていた家の所有者は、神の本当の力を見せるようバレンタインを挑発。
バレンタインは盲目の少女の視力を回復させる奇蹟を起こした結果、家族全員がキリスト教に転向したという。
危険視した皇帝は結局、バレンタインを処刑します。
その処刑された日が269年の2月14日で、ルペルカリア祭の前日でした。
ルペルカリア祭に捧げる生贄にされたとも言われています。
以来キリスト教では、このバレンタイン司祭を聖人として讃え、恋人の守護神として祭るようになりました。
この聖バレンタインの殉教は民衆の心を掴み、更に信徒が拡大するきっかけとなりました。
やがて後にコンスタンティヌス大帝によるキリスト教の国教宣言があり、皇帝自身もキリスト教徒になったのです。
■バレンタインデーと恋愛が結びついたもう一つの説
もう一説によれば、バレンタインデーの起源は、聖バレンタインの1000年後にあると言います
バレンタインデーが初めて恋愛と結び付けられたのは、14世紀のイギリスの詩人・ジェフリー・チョーサーの詩「Parlement of Foules(鳥たちの集い)」という説もあります。
バレンタインデーの前後は、ちょうどヨーロッパの鳥たちの繁殖期にあたり、
それをモチーフにしてチョーサーが詩作し、バレンタインデーと恋愛が結びつけられたという。
そして後にウィリアム・シェイクスピアといった作家たちがチョーサーに倣ったために、
いつしかバレンタインデーがロマンスを含む意味合いを持つようになったそうです。
■もう一人のバレンタイン
実はバレンタインはもう一人いたのでは?という説もあります。
こっちはイタリア、テルニの主教で、同じく奇蹟を起こし、体の障害を治す力があるとされています。
ある学者が話すことも、真っ直ぐ立つこともできない息子の治療をバレンタインに依頼します。
バレンタインが一晩祈ると少年はなんと完全に治癒。
この一家に加え、見学に来ていた学者たちもキリスト教に転向したと言います。
まもなくバレンタインは逮捕されるも、改宗を拒否したため、斬首の刑に処せられました。
話の筋書きとしては似ていますよね。
色んな伝説が縦横にくっついているのかもしれません。
■ホワイトデーの起源は福岡の老舗和菓子屋
今では日本ではすっかりバレンタインデー=チョコレートを贈る日として定着していますが、
これは色んなお菓子メーカーによる長年の商業プロモーションを経て文化となったと言われています。
では、チョコレートを贈られた男性が女子にお返しする「ホワイトデー」はどのように生まれたのでしょうか?
結論から言うとこれもお菓子メーカーによる商業プロモーションの成果ですが、そのお菓子メーカーこそ、我ら福岡が誇る老舗和菓子屋
「石村萬盛堂」
です。
時は1977年、当時の社長の石村善悟が新しいお菓子開発のヒントはないかと女性雑誌をめくっていたところ、投稿欄に
「男性からバレンタインデーのお返しがないのは不公平。ハンカチやキャンディー、せめてマシュマロでも」
を見つけて、はたと思いついたといいます。
今でも石村萬盛堂の看板商品である「鶴乃子」。
ふんわり上品な甘さと出で立ちのマシュマロ和菓子です。
これで男性から女性にお返しする日のきっかけを作れないか?と。
コンセプトは
「バレンタインデーに君からもらったチョコレートを、僕の優しさ(マシュマロ)で包んでお返しするよ」
というもの。
うーん・・・絶妙!マシュマロの鶴乃子に新しい「意味」が与えられたんですね。
ではお返しの日はいつにするか?
2月14日の1週間後など、いくつか案があったのですが、取引相手だった高級デパート・岩田屋に提案したところ
「店が一番暇になる3月14日がいい」
とアドバイスされ、この日に決まったそうです。
最初のイベントは1978年。
まだホワイトデーではなく、「マシュマロデー」という名称からスタートし、数年後に「ホワイトデー」に変更されました。
今ではホワイトデーのマシュマロに限りません。
世の男性たちにとってホワイトデーは、どのようなお返しをすれば彼女が喜んでくれるのか?
機嫌を損ねずに済むのか?
と脳を絞らなければいけなくなる日になってしまいました。
まあ、幸せな悩みに違いありません!
人と人との良縁を取り結ぶ老舗。まさに現代のバレンタインです。
私たち大禅ビル(福岡市 舞鶴 賃貸オフィス)もそのようなご縁を創造する老舗でありたいと思います。