平成バブル⑧
前回に引き続き、戦後日本に浅くない傷を残した
「平成バブル」
について、大禅ビル(福岡市 大名 賃貸オフィス)不動産研究室よりお送り致します。
■崩壊のきっかけは住宅対策
1989年の終わりの頃、日経平均株価はついに4万円の大台にのり、80年代初めと比べて約5倍近くも上昇しました。
また、将来的な株取引の規模の指標となる信用取引残高は約9兆円と、バブルが始まる前の80年と比べて8倍にまで膨れ上がっていました。
そのように日本全体が株で踊っていた時に、以前よりバブルに対し否定的だった三重野康が日銀総裁に就任したのをきっかけに、
今までの「金利を下げて不動産や株を買いやすくする方針」から「地価を抑え込む政策」に一気に切り替えられます。
なぜか。
それはインフレ抑制のためでもなく、バブル退治のためでもありませんでした。
地価の高騰によって、一生働いても住宅が買えないというサラリーマンが増えたからです。
住宅事情への不満を抑えるため日銀は金融引き締めを行い、金利を段階的に引き上げていったのです。
また政府は短期的な土地売買から来る所得に対する課税を強化したり、不動産向け融資の伸び率を総貸出の伸び率以下に抑えたりといった政策を打ち出していきます。
これ以上不動産で儲けたいという企業への融資を制限しました。
ただ、1989年に金利を上げた直後は効果もなく、日経平均はその年の年末、史上最高値38,915円87銭に達します。
そして不動産価格も1990年の前半までは下がらなかったため、三重野日銀総裁は
「不動産価格を20%下げる」
と公言し、5回にわたって金利上げを断行します。
その結果、普通預金の金利は2%、定期預金も一気に6%にまで上がり、長期国債利回りは7%を超えました。
当時の株の平均配当利回りはたったの0.5%でしたので、株よりも預金のほうが儲かるのでは?
という投資者の意思が働き、株式市場はここから一気に崩れ出すのでした。
1992年に日経平均株価が14,309円の底値につきます。
株価の下落に加え、1992年末の東京中心部の不動産価格は、バブルのピーク時から60%下落します。
不動産は言わばバブルを駆動するエンジンでした。
不動産は崩れることはない、必ず上がり続けるという集団的期待がバブルの雰囲気を形成していったのです。
この価格が下がったのは、言うなればバブルという高速道路のど真ん中でエンストを起こすようなものでした。
不動産を担保に銀行からお金を借りていた者、また不動産で一儲けしようとお金を借りていた者は、
不動産や株があまりに値下がりしていたため、売っても借入金が返せず、返済不能に陥り破産が続出します。
銀行も銀行で不動産を担保に巨額の融資をしていたため、焦げ付きによる不良債権、さらに莫大な損失隠蔽や債務超過も発覚し、大問題に発展します。
取り付け騒ぎが起こり破綻の憂き目をみた銀行も多い。東京のコスモ信用組合では、600億円もの預金が短時間で引き上げらました。
そして銀行による担保追加や貸し剥がしも横行し、企業は担保に入れていた工場や不動産などを銀行に取り上げられ、廃業・破産を余儀なくされてしまう。
■ゴルフ会員権というドル箱
バブル崩壊を巡るエピソードは数多くありますが、
「ゴルフ会員権」
はその一つと言えるでしょう。
ゴルフ会員権は実に不動産と同じくらい投機の対象として盛り上がりをみせていたのです。
もともと会員権はゴルフ場を利用する権利に過ぎなかったのですが、地価が上がるにつれて、
「会員権≒ゴルフ場を保有する権利」
と見られるようになり、投資対象となって売買が一気に活発化します。
ゴルフ会員権がお金を吸い寄せ、市場的価値を持ち始めたため、銀行は会員権を担保に新規ゴルフコースをつくる融資を始めるようになります。
ゴルフ会員権を駆け巡るお金の量が倍々で膨らんでいくという寸法です。
さらにゴルフ会員権指数なる指標もつくられ、日経新聞で報じられるようになります。
この指数によれば、82年1月の水準を100とするゴルフ会員権指数が、90年春には1000弱と、たったの8年で相場は10倍になっていました。
1980年末にはなんと1000を超えるゴルフコースが建設されていました。
そしてバブルが崩壊すると、ゴルフ会員権の価格も暴落。
ゴルフ会員権指数はピーク時から半分近くに下落しました。
ゴルフ会員権を買うには、ゴルフ場への入会金に加えて、預託金を払う必要がありました。
これは退会の時に返還されるデポジット金なのですが、ゴルフ会員権は預託金込みで取引されていました。
仮にゴルフの会員権がいらなくなっても、転売すれば高値で売れたわけですから、わざわざ退会して預託金を返してもらう必要性がなかったのです。
退会も発生しないので、預託金の返還が起こることもない。
このような背景からゴルフ場の運営会社は会員から預かった預託金を株や不動産につぎ込んでいたのです。
バブルが崩壊し、少しでもお金を取り戻したい人たちが一斉に
「退会するから預託金を返してくれ」
と要求しても、ゴルフ場とても株と不動産で損をしていたので、預託金など残ってなかったのです。
ちなみにこの預託金還付請求の総額は
「10兆円以上」
ゴルフ会員権がどれほど凄まじい規模の投機市場に膨らんでいたのか想像できるでしょう。
株と不動産で損失を被り、預託金の返済不能でゴルフコースの開発業者は次々と倒産します。
こうしてみると、そのモノ自体の価値がバブルを起こすというより、集団的な思い込みがバブルをつくると言えるのかもしれません。
モノはなんだっていい。その辺の石ころやゴミでも、人の気分次第でバブルの主人公になれるということですね。
■誰もバブル崩壊だと気づかなかった?
1992年、大蔵省と日銀は大手銀行の不良債権額を8兆円と公表しました。
また日経平均株価が13000円を割り込み、持ち株の含み損が日本の主要銀行の合計だけでも5兆円に達すると推定されました。
これほどの大きな影響にまで及んだのに、実はバブルが崩壊していることにほとんどの人はしばらく気づかなかったそうです。
株価は1989年にピークに達していましたが、その後も株価は再び上昇するだろうと考えられていたため、株価は下がっても買う人が多かったそうです。
1990年8月に株価が急落したのもバブル崩壊というより、イラクのクウェート侵攻の影響だと考えられていました。
1990末頃の下落も、さすがに今まで株価は高すぎたのでその反動で下がったのだろう、もう十分下がったからこれからは再びゆるやかに戻っていくだろうと考えられていました。
このような認識を支えた背景の一つは、好景気でした。
必死に金融引き締めを行なっているのに、景気は1991年2月まで拡大を続け、
「日本の経済はこのままずっとよくなる」
「日本の経済は世界一」
と、日本全体の将来に対する信頼感と、
それによって作られる「どんどん買っていい、贅沢していい」という時代的雰囲気が、好景気を支え続けた要因であったように思います。
■内需から輸出依存へ
バブル崩壊後、消費者はすでに耐久消費財を購入して持っていたため、新しい物は買おうとしません。
むしろ、景気低迷で給料が減った分だけ節約、貯蓄傾向が強くなっていきました。
企業の場合、事業展開を見越して、設備投資、雇用拡大、多額借入を行っていたので、バブル崩壊後これらが大きな負担となってのしかかってきました。
個人消費や設備投資などといった民間需要が弱くなり、公共投資による景気対策も効果がなかったため、頼るのは輸出を通じた外需となります。
しかしリーマンショックによってアメリカなどの景気が悪化し輸入が減ると、日本も連座して景気が悪化する。
こうして日本は「失われた20年」のデフレ時代に突入するのでした。