バブルの歴史④ ―ITバブル―
「バブルの歴史」シリーズでは3回にわたって、過去人類が経験したバブルを紹介してきました。
経済用語「バブル」の語源にもなったイギリスの「南海泡沫事件」、うさぎたちが投機の対象と化してしまった明治日本の「うさぎバブル」。
そしてオランダの「チューリップバブル」から、世界恐慌に繋がるアメリカの「ウォール街大暴落」。
国も違えば国民性も違うはず。だけれども儲けたい!一山当てたい!
お金への欲望、あわよくば億万長者に・・・
という射幸心は、時代や場所を問わず人類共通なのかもしれません。
引き続き、大禅ビル(福岡市 舞鶴 賃貸オフィス)の片隅からバブルの歴史をご紹介していきます。
今回は不動産といった「モノ」ではなく、「技術」が導火線となった「ITバブル」についてです。
■IT発展の背景
ITバブルとは1990年代後半、アメリカを中心として起こったIT関連企業への過剰投資が引き起こした株価の暴騰に始まります。
その後2000年3月をピークに下落していった出来事です。
「インターネットバブル」、あるいは「ドットコムバブル」とも呼ばれています。
ITという文明最先端の利器がなぜバブルの元になったのか?
それは、背景にパソコンの普及と、そのパソコンを通信回線で相互接続するインターネット技術の発展があったからです。
従来のコンピュータはメインフレームと呼ばれる大型のコンピュータシステムで、大企業の基幹業務システムに用いられていました。
メインフレームは今も現役で使われていますが、昔は今のようなパソコンはなかったため、プログラムコードは紙に手書きした後、それを見ながらまた人力で紙のパンチカードに穴をあけてデータに起こしていたのです。
それから1974年に世界初のパーソナル・コンピュータ「Altair8800」が発売されます。
続いてIBMがOSのMS-DOS(Microsoft-Direct Operating System)の開発に成功し、コンピュータ演算に必要な操作過程の圧倒的な簡素化を果たします。
さらにMS-DOSをマイクロソフト社がIBM以外のメーカーにOEM提供を開始し、パソコン普及の端緒を開くのでした。
これによりMS-DOS以降、マイクロソフト社のOSが世界標準OSの座を獲得します。
加えてマイクロソフトほどシェアはないものの、センスの利いたデザインと直感的なインターフェイスで熱狂的なファンを掴んだアップル・コンピュータが登場し、にわかにパソコンの時代的熱量が帯びていくようになります。
一方、インターネットも1969年のアメリカ国防総省のネットワーク研究
「AR-PANET(アーパネット)」
を始めとし、1993年のアメリカ・イリノイ大学の学生グループが
WWW(ワールド・ワイド・ウェブ)
を開発して以降、1999年頃からウェブサイトがその数を爆発的に増加させていきます。
以前にも書いたように、インフラの価値はユーザー数によって決まります。
パソコンとOS、そしてインターネットはあっという間に社会の隅々まで行き渡り、やがて不可欠なインフラとして定着します。
そして新しいインフラの形成は、新しいビジネスの誕生を意味するものでもあります。
■「夢の技術」と呼ばれた背景
ITの導入により、より低いコストで、より高い生産性を実現できるため、利益アップが期待できます。
この流れは個別企業以上に、マクロ経済に対して大きなインパクトをもたらしました。
アメリカ全土の企業が効率化すると、経済成長によって生産される財やサービスが増えたとしても、必要とされる労働力、つまりコストはそれほど増えません。
賃金水準もそれほど上げずに済みますし、従業員一人あたりの生産性は上がりますので、製品1個あたりの人件費は上がらない。
したがって製品を値上げする必要もないわけです。
結果どういうことが起きたかと言いますと、経済成長は一般的に物価上昇とリンクするものですが、アメリカではインフレがなくとも全体として利益を上げられるようになったのです。
インフレがなければ金融の引き締めもありません。企業収益の増加は株価を押し上げていきました。
「経済成長にあわせて企業の生産性が効率化していけば、永遠にインフレなき成長が続く」
「これを可能にするのは夢の技術・IT」
アメリカはこうした変化をかつての産業革命になぞらえて「IT革命」と呼び、景気循環が消滅してインフレなき成長が永遠に続く経済が実現したと考えられていたのです。
そうした背景の中、マイクロソフト社のWindowsやAmazonのように、一度デファクトスタンダードを先行して勝ち取れば利益をほぼ独占できるインターネットビジネスの特徴から、
投資家たちは例え聞いたこともない、理解もできないワードが踊る事業計画書に対しても喜んで大枚をはたいたのです。
これら現象は当時「ニューエコノミー」と称され、持て囃されるようになりました。
■ITバブルの実際
IT関連企業の株式取引が増えた背景には、いわゆるベンチャー企業向けの投資市場の形成も関連しています。
1971年に全米証券業業界(NASD)によって開設されたベンチャー企業向け株式市場であるNASDAQを筆頭に、世界初の電子株式市場として注目を集めました。
NASDAQは従来の取引所とは異なり、インターネットを使って売買価格を提示できる点に特徴がありました。
したがって銘柄もIT関連企業が多く猛烈な勢いで買われていき、NASDAQ市場は圧倒的な値上がり率を示しました。
1996年には1000前後で推移していたNASDAQ市場の株価総合平均指数でしたが、1999年は2倍の2000を超え、2000年3月にはピークの5000を叩き出します。
株価の高騰に対しては、バブルだと指摘する声も少なくなかったようです。
FRB(連邦準備理事会;アメリカの中央銀行制度の最高意思決定機関)のグリーンスパン議長も、初めは
「根拠なき熱狂(irrational exuberance)」
と警告していましたが、株価はいつまでも暴落しないため前言を撤回したほどです。
株価が高騰すると、ベンチャー企業が次々と上場して巨額の資金を調達し、研究開発や設備投資が加熱、シリコンバレーを中心にベンチャー創業ブームが巻き起こります。
発展モデルが既に決まっている製造業よりも、新興産業のITの方が変化に富み、それゆえ大化けして一獲千金も夢ではありません。
この期待がハイリスク・ハイリターンを好む投資家を惹きつけたのでしょう。
実際大化けせずに消えていく企業のほうが圧倒的に多かったわけですが・・・。
■ITバブルの崩壊、そのワケとは
ITバブルの崩壊は、特別なイベントがあったわけではありません。
FRBは金利を6%に上げてITバブルを抑制しようとしましたが、利上げの速度も幅もそれほど大きくはなかったためバブル崩壊には繋がらなかったようです。
バブル崩壊の一因として、2000年に入ってからIT関連産業の売上げや収益が投資家の期待ほど伸びずなかったと言われています。
期待がそもそも大き過ぎたのでしょう。
大学を卒業したばかり学生らがプレゼンの資料を配るだけで資金が集められたご時世だったわけですから。
続く2002年、グローバル・クロッシング(光ファイバー)とワールドコム(電気通信)など大手ITを事業者が相次いで経営破綻し、ITバブルが収束を迎えます。
IT関連の株価も急落。インターネット企業、通信企業、I T機器企業から株価の下落が広がっていきます。
特にIT関連財(部品など)の需要が激減しました。
ただ、アメリカのIT企業は、設計は国内、製造は海外外注している場合が多く、IT関連財の需要減少による影響はアメリカ企業よりも海外のIT 関連製造業に強く出たようです。
ちなみにアメリカでITバブルが盛り上がっていた時期は、日本経済が金融危機からようやく立ち直ろうとしていた時期でした。
そのため、光通信やソフトバンクはじめ、一部インターネット関連の銘柄で株価が急騰していましたが、影響は部分的だったようです。
目に見える物も、目に見えない物も、人の欲を集められればバブルは膨らんでいくものかもしれません。