バブルの歴史③
以前「バブルの歴史」というテーマで2回に亘り、過去人類が経験したバブルを紹介しました。
経済用語「バブル」の語源にもなったイギリスの「南海泡沫事件」、うさぎたちが投機の対象と化してしまった明治日本の「うさぎバブル」。
そしてオランダの「チューリップバブル」。
国も違えば国民性も違うはず。だけれども儲けたい!一山当てたい!
お金への欲望、あわよくば億万長者に・・・
という射幸心は、時代や場所を問わず人類共通なのかもしれません。
今回も大禅ビル(福岡市 舞鶴 賃貸オフィス)の片隅からバブルの歴史をご紹介していきます。
近代人類が経験した中で最も規模が大きく、影響範囲が広い重傷レベルのバブルです。
■90年前の「ウォール街大暴落」とは
今回は今から90年前のアメリカで起きた「ウォール街大暴落」についてご紹介していきます。
そもそもウォール街ってよく耳にするけれどもどんな場所なの?
という話ですが、ニューヨーク市マンハッタン島にある金融街を指しています。
もともとは通りの名前でした。
ただ、18世紀にできたニューヨーク証券取引所をはじめ、連邦準備銀行(FRB)、
アメリカや他国の大手証券会社や大手銀行などが集まっているため、世界の証券・金融業界を表す代名詞になっています。
2世紀以上に亘り世界の金融市場を牽引してきた場所、それがウォール街です。
ウォール街大暴落までの当時のアメリカの状況はまさに黄金時代ともいうべき繁栄ぶりを見せていました。
フォード自動車の大量生産が始まったおかげでモータリゼーションが一気に進み、世界最大の自動車保有国になります。
これがまたガソリンスタンドなど石油産業、高速道路といったインフラへの投資も牽引していく。
発電所の増設によって全国の発電量もほぼ4倍に増えます。
電話線がアメリカ中に張り巡らされ、近代的な下水道システムも多くの地域で導入されます。
マスメディアとしてラジオが登場し、それに合わせジャズ文化も花開きます。
第一次世界大戦の恐怖への反動が、アメリカ国民のエネルギーを一気に娯楽へと駆り立てるのでした。
ちなみにラジオ関連の株で財をなしたウォール街の名物相場師であるジョゼフ・ケネディは、かのジョン・F・ケネディ大統領の父親です。
彼はラジオ放送局の株を買い占めて株価を吊り上げ、上がり切ったところを見計らって売り抜くという、
今日では禁止されているやり方を使ってわずか二日間で500 万ドルも荒稼ぎします。
親も子と同じく、ただ者ではなかったというわけですね。
さて、技術の進歩と、復員してきた元兵士たちの労働力によってアメリカの生産力が一気に上がり、イギリスを押しのけて世界最大の工業国に上り詰めます。
一方で物価も安定していたため、人々の暮らしは飛躍的に豊かになっていきました。
「大量生産・大量消費」社会の到来です。
人々は音楽や踊りの娯楽やファッションに酔い痴れ、あらゆる新しい大衆消費財が人々の欲望を刺激し、空前の経済的繁栄をもたらすのでした。
「狂騒の20年代」と呼ばれた時代です。
アメリカの人々の多くはこの繁栄は永遠に続くと考えていましたが、残念ながら永遠に続くものは存在せず、まさに諸行無常の響きありといったところです。
それも仕方のないことで、狂騒の熱気に当てられ続けると、誰しもこの狂騒はいつまでも続くものだと思ってしまうでしょう。
未来の豊かさへの希望がアメリカ国民に広く共有されていたのです。
■バブル発生
狂騒が断たれる前触れのように、いよいよ経済がバブル化していきます。
その発端は意外なところにありました。 1920年代半ばに、フロリダで不動産投資ブームが起こったのです。
人々が豊かになり、自動車が普及しつつあったため、自動車で行けるリゾート地として注目が集まったのです。
ここからはバブルのテンプレのような道筋をたどっていきます。
最初の時こそ実需の範囲内で健全に値上がりしていったものの、そのうち値上がりを期待した投機が増え、価格は跳ね上がっていきます。
それに合わせて、イギリスの南海泡沫事件などと同じように、人の金欲につけこんだ詐欺師やブローカーがわんさか登場。
もはやバブルの風物詩と言ってもよいでしょう
フロリダでも二束三文の土地までもが高値で売買されました。実地を見ず、物件も精査せず、
不動産業者を騙った詐欺師の言うなりになって投資家たちは莫大な金を注ぎ込んでいきます。
結局フロリダの土地バブルは1926年に崩壊します。
きっかけはハリケーンの来襲でしたが、ハリケーンの被害から回復した後も不動産の価格は戻らなかったのです。
というのも、フロリダでのバブルが崩壊前後にアメリカでは公定歩合が引き下げられ金融緩和が実施されたのです。
これをきっかけに今度はニューヨーク株式市場でバブルが発生するんですね。
フロリダのバブル崩壊も、成長への希望が生み出した投資熱の強さに敵わなかったようです。
そして多くの人々が投資、投機に参加するようになり、人々は株の値上がりに熱狂していきます。株価は8年の間で5倍になっていました。
このバブルの背景にはもう一つ、欧州マネーがありました。
ニューヨーク証券取引所にはアメリカのみならず、当時不況に陥っていた欧州からも資金が集まり、株価を押し上げていました。
1920年代後半の株価上昇は「歴史的勃興」と経済学者からも名付けられます。
誰から見ても異常に高い株価でしたが、これもバブルではよくある話で、高すぎる株価を正当化する「理論」がしばしば登場します。
アメリカでは「アメリカ経済は新時代に突入したんだ!」
という謎理論がまことしやかに唱えられていました。
いわく、過去のデータを使って長期的に見ると株式投資は利益率が高い。
例え株価がピークの時に購入しても、長期間持ち続ければ高い確率で高利益が得られる、と。
強気の相場と楽観論が株価暴落の影響に対する想像力を奪い、株価は上がり続けるという幻想が更なる投資を促していくのでした。
株価が高くても、絶対儲かるから買ってもいいという投機を正当化してくれる理論に人々は飛びついたのです。
■突然やってきた大暴落
人々を投機に駆り立てたもう一つの原因は「ブローカーズ・ローン」と呼ばれる信用取引でした。
これは手元の株を担保に借金し、それで更に投資するという仕組みで、最大で手持資金の10 倍まで株を買えたのです。
万が一株が下落したら損失は10倍になるものの、買った株が値上がりすれば利益も10倍になる。
今日のFXのようなハイリスク・ハイリターンの投資手法ですが、
限られた資金でも株を買い漁って勝負かけられるとあっては多くの人はブローカーズ・ローンを組み、実体から離れたバブルをどんどん膨らましていくのでした。
ウォール街大暴落は何のきっかけもなく起こりました。
1929年10月24日、ニューヨーク株式取引所で空前の株価大暴落が発生し、いったん小康状態になったものの、
29日に再び大暴落して、ここでようやく投資家たちはこれは通常の恐慌とは異なる「大恐慌」であることに気づきます。
この日だけで1600万株以上が投げ売りされた、1週間のうちに約300億ドルが消し飛ぶという冗談のような事態が起きてしまう。
どれくらい凄まじいのかと言いますと、これは実にアメリカの年間予算の10倍、第一次世界大戦で使った戦費を優に超える額なのです。
投資家はパニックに陥り、株の損失を埋めるため市場からなりふり構わず資金を引き上げ始めます。
取り付け騒ぎで銀行が軒並み休業か倒産し、1300万人もの失業者が街に溢れかえるようになります。
影響はアメリカ一国に留まらず、アメリカへの依存を深めていた共産主義国以外の各国経済にも波及し、連鎖的な破綻を引き起こします。
ウォール街大暴落と、それに続く世界恐慌は
「20世紀最大の財政危機」
として世界経済に再起困難なほどの深い傷を与え、やがて第二次世界大戦の遠因となっていくのでした。