バブルの歴史①

■不動産とバブル

大禅ビル(福岡市 舞鶴 賃貸オフィス)の本業は貸しビル業ですので、すぐに数千万とか億単位とかの金額が動く不動産業ほど、血眼になって日々の地価とにらめっこしたりしません。

 

ただ、不動産業の厳密な定義を知っている人はむしろ少数で、うちが不動産ビジネスをバリバリやっていると思われることもしばしばです。

 

「不動産業やっているから詳しそう」

 

「どの不動産儲かるか教えて」

 

なんて相談を頂くことも。

 

あまりお役に立てる情報は差し上げられていませんが・・・。

 

特に最近、福岡の不動産の値上がりを受けて

 

「バブルになるのか?どうか?」

 

「高値はいつまで続くのか?」

 

など、そうしたお話もちらほら耳に入っています。

 

不動産は、その動く金額のデカさゆえ、株と共に投機対象の筆頭に数えられます。

 

ましてや日本人はバブルに関して身をもって苦い経験をしてきただけに

 

「不動産=バブルの象徴・狂騒の時代」

 

という文脈で語られることが多い。

 
ミラーボール
 

しかし、世界のバブルの歴史を振り返ると、バブルは不動産だけに起こる現象ではありません。

 

起こり方もそれぞれに個性が出ていて見どころ満載。

 

というわけで、個人的に面白いと思った世界のバブルを紹介していきたいと思います。

 

人間の欲の出方って、時代によって違うように見えて、実はどうしようもなく同じなのだなと気付きます。

 

■バブルの由来-南海泡沫事件(イギリス)

経済現象を表す「バブル」は、18世紀にイギリスで起こった「南海泡沫事件」に由来します。

 

1711年に「南海会社」という貿易会社が設立され、イギリス政府から南米などでの通商の独占権が与えられていました。

 

貿易事業の方は、あまりパッとしなかったようですが、株価はなぜか上昇していきます。

 

当時南米を支配していたスペインがイギリス船の貿易制限を緩めたといった嘘の情報が流されたからです。

 

同社の株価は、奴隷貿易の独占権などをきっかけに更に上昇していきます。

 

イギリスの国家財政を支援するために、同社は国債が引き受けるその見返りだったのですね。

 

一部の投資家に対しては株式購入の代金として、価格が下落していた国債を額面通りに充当させるようにしました。

 

二束三文の国債で、価値がバンバン上がっている会社の株式を入手できたわけです。

 

投資家はみんな喜び、株式はどんどん買われ、高騰街道を突っ走っていきます。

 

株価高騰の原因は他にもいくつかあります。

 

イギリス政府にとっては価格が下落した国債を引き受けてくれるのはありがたいわけです。

 

南海会社の株価が上がってくれれば、同社はより多くの国債を購入してくれるため政府にメリットがありました。

 

そのため株価高騰に対してイギリス政府は特に規制はしませんでした。

 

さらに同社は株式購入代金を分割で払い込むことを可能にしたため、投資家は少ない資金で多くの株式を購入することができ、株式購入は一層進みました。

 

手元の株式が雪だるま式にどんどん膨らんでいくので、多くの人々が一夜にして突然金持ちになり、それを見て

 

「自分も!今のうち!」

 

「みんなが買っている!まだまだ上がるはず!」

 

として、さらに多くの人々が投機の熱狂に巻き込まれていきます。

 

株式を買った者の中にあの高名な物理学者アイザック・ニュートンもいました。

 

自分で株式を買っておきながら

 

「天体の運動なら計算できるが、群衆の狂気は計算できない」

 

というスカした言葉を残しているのが、じわじわきますね。

 

さて、南海会社が震源の狂騒を見た人たちの中には機を見るに敏、この機に乗じてして一儲けを企もうと会社を設立する人が次々と出てきます。

 

みんなお金が余ってしょうがいない、そして欲が欲を呼び、もっともっと儲けたいわけです。

 

その射幸心につけこんで

 

「うちの株も上がりますよ」

 

「発行したばかりの今のうちに買うとより得ですよ」

 

との甘言に乗せられ、事業実体もスカスカな会社の株式がまた買われ、株価を押し上げていきます。

 

こうした会社は泡のように多数設立されたので

 

「泡沫会社」

 

と呼ばれ、これが「バブル」の起源になりました。

 
バブルの歴史
 

元々は他の会社の株価高騰に乗じて泡のように会社が生まれては消えゆく様を意味していました。

 

今では実体経済とかけ離れた空中で株価が膨らんでいくことをバブルと呼ばれるようになっていますね。

 

さて、泡沫会社も南海会社も多くの株式を発行し、株価も高騰しました。

 

ロンドン株式市場の時価総額は1695年から1720年の25年の間に約100倍も上昇、もはや常軌を逸した状態に来ていました。

 

ここに来てやっとイギリス政府が泡沫会社を禁止する命令を出し、泡沫会社の株価が暴落していきます。

 

また南海会社の株式も、価格が一線を越えるとさすがに高過ぎると考える人が増え、売り抜ける人が現れるようになります。

 

南海会社の株を担保に借金をして泡沫会社の株を買っていた投資家は、泡沫会社の株価暴落の時に借金が返済できず、、、

 

担保となっていた南海会社の株を売却したのも南海会社の株価暴落の一因だったとも言われています。

 

いずれにしろ南海会社の株式が売られ始め、それが呼び水となり株価は急落、バブルが弾けていくのでした。

 

■明治日本のうさぎバブル

所変わってわが日本。

 

かつて日本でも個性的なバブルが起こっていました。

 

昭和のバブルよりも100年も昔の明治初期、

 

「うさぎバブル」

 

という、まさにあの動物の「うさぎ」をネタにしたバブルが起きていたのです。

 
うさぎ
 

発端は空前の「うさぎブーム」でした。

 

ペットとして可愛く、食用にもでき、繁殖も簡単。

 

そのうちレアな毛色のうさぎが段々と高値で取引されるようになり、そこに高値での転売が目的の投機家も現れ、バブル化します。

 

うさぎの値段は短期間で暴騰し、高いものだと1匹 500円にもなりました。

 

これは当時では米5トンに相当するとんでもない値段です。

 

今のお米が5キロ3000円だとしても5トンで300万円!

 

1匹300万円のうさぎはどんなうさぎなのでしょうか。

 

車が買えてしまいます。

 

そしてバブルは一段とエスカレートし、うさぎに着色して珍しい品種に見せかけて高値で売ろうとする詐欺が出てきたり、破産したり・・・

 

中には自分の娘を売ってうさぎを買う者まで現れ出てくる狂騒っぷり。

 

そんな中ついに殺人事件まで起こりました。

 

うさぎを飼っていた東京の親子が売価でもめている間にうさぎが突然死したためケンカとなり、息子が親を突き飛ばして死亡させたのだという。

 

笑えぬ喜劇です。

 

ついに東京府は1873年に1月に禁止条例を制定、大人数でのうさぎの競売会を禁止しました。

 

さらに同年12月に新たな条例を設け、うさぎの所持の届出義務、1羽飼育すると1 カ月1円(約米30キロ相当)の課税義務、無届けの飼育には1羽2円の罰金規定などを定めました。

 

これによって社会問題と化したうさぎバブルは崩壊。

 

一方、投機熱が落ち着いたのはよかったのですが、純粋なペット目的で飼われていた大量のうさぎも一緒くたに処分されるという、なんとも可哀想な結果に。

 

人間の勝手千万な強欲に巻き込まれたうさぎにとってははた迷惑な話ですね。

 

人の欲望が社会を発展させ、資本主義のエンジンとなったのは一面の真実ですが・・・

 

私たち個人においては、自分の器はどのくらいの欲望を容れられ、コントロールできるサイズにあるのかを把握した方がいいのかもしれません。

 

必要以上にお金儲けに無欲になれと言いたいわけではなく、人にはそれぞれの身の丈があって、それぞれの身の丈に合ったお金との付き合い方があるのだと思っています。

 

そうした健全な付き合い方ができる人にはお金は幸せを与えてくれるでしょう。

 

ただ、身の丈を弁えない欲望の発散ばかりやってしまえば、逆にお金に苦労させられる一生になるのではと感じています。

 
大禅不動産研究室
 

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