―ドナルド・トランプ①―
アメリカの歴史の中で最年長かつ最もお金持ちの大統領となったドナルド・トランプ。
今やその一挙手一投足の度毎に世界で毀誉褒貶の嵐を巻き起こす芸能人のような存在です。
しかし、アメリカで「不動産王」と言えば彼を指すほど、家業の不動産業では一角を占める経営者であるのは確かなようです。
今回の大禅不動産研究室では不動産経営者としてのトランプに迫ってみたいと思います。
■典型的な派手好きアメリカ人
トランプのド派手な成金趣味と自己顕示欲に眉をひそめる方は多い。
ただ、もともとアメリカでは派手さが好まれるので、ジャイアンのような彼の個性的過ぎる振る舞いでもアメリカでは受け入れてくれる市場があったのでしょうか。
トランプは1968年に父の不動産会社に入社し、以降数十年間、大きな浮き沈みを経つつ自身の不動産王国を築き上げました。
保有資産およそ31億ドル(約3,276億円)、2017年のアメリカの長者番付では248位と下位ですが、そもそも長者番付に載ること自体、庶民感覚からして雲の上なので、凄いことに変わりありません。
ニューヨーク5番街にこさえた58階建ての金ピカタワービル、トランプタワーは派手好きなカウボーイの性格の結晶のようなものでしょう。
不動産のほかにカジノ、ゴルフ場、航空にも幅広く投資、更に芸能界にも進出、世界で最も有名な美の祭典「ミス・ユニバース」の運営機構を買収、代表も務めていました(2015年に売却)。
今まで取っ替え引っ替え3回妻を娶っており、いずれもモデル出身の美女揃いなところを見ると筋金入りの美女好きと言えそうです。
■創業者の父
ドナルド・トランプは1946年にニューヨークでトランプ一家の次男坊として生まれました。
父は住宅建設業者のフレッド・トランプ。
更にその父、トランプの祖父に当たるフレデリック・トランプはドイツからの移民で、シアトルなどでレストランや宿屋を経営していました。
かなりの繁盛をみたが、フレデリックはスペイン風邪で40代で早死、フレッドの母は針子の仕事をしながら一家を養わざるを得ませんでした。
息子フレッドは夜間学校に通いつつ、次第に建築業に興味を持ち始めこの業界に飛び込みます。
高校卒業後、住宅建設会社を経て独立、「エリザベス・トランプ&サン社」を立ち上げました。
社名が母、エリザベスの名を冠しているのは、まだフレッドが未成年だったために、取締役になれなかったからだそうです。
当時フレッドが商売エリアとしていたニューヨークのクイーンズは労働者が多く集まっていました。
折しも第一次世界大戦の好況、アメリカでは大量生産・大量消費のライフスタイルを謳歌し、「狂乱の20年代」と呼ばれる時代が到来します。
人々がお金を持ち、モノをたくさん買えるようになる時代。
フレッドは想像しました。
人々がお金を持つようになれば、よりよい生活のためにきっとお金を使う。
今でこそクイーンズの労働者たちは狭いアパートで生活しているが、もっと広くきれいな家に住みたくなるはずだと。
だとしたら中型のマンションや一軒家が受けるはずだ。
何を当たり前な・・・・・・
と思われるかもしれませんが、フレッドの考えに賛同した同業者はあまりいなかったようです。
結果彼が開発した一軒3,900ドルの一戸建は飛ぶように売れていきました。
更に小売事業でもフレッドは稀有な商売センスを発揮します。
彼が打ち出したのでは「セルフサービス・スーパーマーケット」
という概念で、今のスーパーの形態はしりとなりました。
オープン後一年で店舗を「アメリカ最初のスーパーマーケット」であるスーパーマーケット・チェーンのキングカレンに売却します。
その店舗は今もニューヨークのサフォーク郡に一店舗として営業されています。
フレッドは売却金を元手に東海岸にある合衆国海軍の造船所近くで職員向けの長屋や庭付きアパートに投資します。
更に第二次大戦が終わると退役軍人の家族向け住宅にも手を広げます。
価格も退役軍人や家計に余裕のない軍人の家族が受け入れられる価格帯に設定していました。
1950年以降、大型賃貸ビルの開発・運営に着手、ニューヨークの都市化の流れの中、移住して間もない労働者向けに提供します。
市場の潮流が読め、攻める一手を打てる商売人でした。
■二代目トランプ
そんな父を大学の時から父の業務を手伝い、仕事ぶりを近くで見ていたトランプは、卒業後二代目として父の会社に入社します。
高層ビルがどんどん建っていくニューヨークの変わりゆく面貌を目にし、不動産商売の可能性を若いながら嗅ぎ取ったのです。
とは言え、軍事学校を優秀な成績で卒業したトランプは、進路選択でしばし悩みます。
映画学校に入るという一時の衝動を抑え、やっぱり将来有望な不動産業にしようと思い直し、最終的にはペンシルベニア大学ウォートン校という、ジョン・スカリー元アップルCEOなどを輩出した世界トップのビジネススクール名門校への入学を果たします。
今の姿からなかなか想像しづらいかもしれませんが、彼は勉学が得意なスーパーエリートだったのです。
一方では彼らしいこのような言葉も残しています。
「私に言わせればそんな学位は何の証明にもならない。だが仕事をする相手の多くは、これをいたく尊重する」
トランプは不動産業で驚くべき実績を創ってきた父の創造性と堅実さをリスペクトしていました。
ただ、狭く地味なクイーンズ地区では彼の野心は満足できなかったようです。
低所得の労働者を相手にしても、利ざやは薄く、おまけに建物の使い方も汚い。
そして家賃を取り立てるのも危険な仕事でした。
金に切羽詰まった入居人の家のドアをノックしただけで撃たれることもあったと言います。
もっとあっと世間を驚かせるような、注目を一気に集めるようなビジネスがしたい。
トランプは賑やかなマンハッタンの眩しさに憧れを抱いていました。
彼はマンハッタンに引っ越しし、持ち前の社交性と頭の良さで上流階級に食い込み人脈を広げていきます。
生粋のニューヨーカーとして、トランプはこの場所のポテンシャルを誰よりも感じていたかもしれません。
事業の方向性を個人・家庭向けの手頃なアパートから、富裕層向けの絢爛豪華な高層ビルの開発に振り向けました。
初期のトランプの最も成功したプロジェクトは
「グランドハイアット ニューヨーク」、
あの高級ホテルチェーン・ハイヤットグループのニューヨーク店です。
1,000万ドルほどでニューヨークの中心駅・グランドセントラルターミナル近くにあったぼろホテルを購入。
ニューヨーク政府から40年間の減税措置を、銀行からは融資を勝ち取り、リノベーションの工事は自身が直接監督に当たるという破竹が如き事業手腕を発揮します。
彼が特に意を用いたのは外装と内装のデザインでした。
大枚をはたいて有名デザイナーに図面を描かせます。
そのお陰もあって、30年以上経った今でもここはニューヨークを代表する高級ホテルとして世界中のセレブとビジネスマンたちから親しまれています。
時にトランプは34歳、グランドハイアットの大成功によって彼は若きホープとして、ニューヨーク財界で注目の的となります。
軌道に乗った勢いそのままに、より自身のポジションを高めるべくトランプは次の案件を狙いにいきます。
ニューヨーク5番街に約2億ドルかけた58階建て複合商業ビル。
広いレンタルオフィス、ブランドショップ、そして高所得者向け豪華住宅が備わります。
「トランプタワー」と名付けられてこのビルは、ビル・ゲイツ始め世界のセレブたちを長期顧客に抱え大繁盛。
往々にしてトランプの成金ぶりの代名詞として嘲笑の的とされがちです。
しかし、月家賃650万円と噂される天文学レベルの価格設定でも潰れずにやって来られたのは、富裕層たちのニーズを着実に汲み得たからとも言えそうです。(つづく)