スターバックス物語⑥
大禅ビル(福岡市 舞鶴 賃貸オフィス)のある舞鶴と、舞鶴の隣の赤坂にそれぞれスターバックスがあります。
よく賑わっており、私もよく使います。
スタバの空間は魅力的です。
店の雰囲気にも、コーヒーの味にも私はさしてこだわりはないものの、スタバだけはなぜか、他のカフェにはない
「特別感」
を感じさせてくれるんですね。
それはたぶんスタバには、スタバから生まれたDNAみたいなものが
店、商品、サービス、理念の隅々にまで浸透しているからではないかと思います。
お店をそっくりそのままコピーして増やしていったような、お洒落さのバーゲンセールのようなチェーン店とは一線を画す、
強烈な「スタバらしさ」のルーツが強調されているように感じます。
スタバも確かにチェーン店であることに変わりはありませんが、チェーン店といえど、それぞれの店が店ごとに個性を強く発していて、
それでいながら「ザ・スタバ」という「らしさ」を余すところなく代表している。
今回も引き続き、ハワード・シュルツが社長になって以降、スターバックスが経験してきた「伝統と革新の対決」についてご紹介していきたいと思います。
■スターバックスの「草創と守成」
企業は老舗になればなるほど、伝統と革新のバランスがクリティカルな経営課題として立ち上がってきます。
環境は容赦なく変化していきます。
その環境の変化に合わせて変化できる者が生き残るのは万物の理と言ってもよいでしょう。
しかし最初に立てた軸がブレて、足元が危うくなってしまう危険性もあるわけです。
昔の人はこの論点を「創業垂統」「継体守文」という言葉で表現しました。
国家、組織、企業には独自の伝統や始まりの理念、事を興した初志があるわけで、言わば精神的な背骨です。
だから「業を創り伝統を垂れる」ことが必要です。
そして「継体守文」の「体」は国柄や社風を指し、これらを継ぐことを「継体」と言います。
「文」とは「文化」です。
伝統が堆積していけば文化となり、それを守っていくことが大事であると。
スターバックスの伝統は
「ヨーロッパ風の高品質な深煎りコーヒーの文化をアメリカに広める」
であり、その文化は
「コーヒーへの敬虔な姿勢」
でした。
「創業垂統」「継体守文」は、ともに国や組織の永続的な発展に寄与する行為である点は同じですが、
それぞれが実施されるフェーズも、必要となる条件も異なってきます。
帝王学の古典『貞観政要』での有名な説話に
「草創と守文いずれが難きや」
があります。漢文の教科書にも登場しますね。
唐の皇帝・太宗が家臣である房玄齢と魏徴に
「国を作ることと国を守ることでは、どちらが難しいだろうか」
と聞く場面です。
問いに対し二人家臣はそれぞれ違う答えを出します。
房玄齢は
「秩序がなく、まだ乱れる天下では群雄が並び立ち競い合います。
我々は敵を攻めて降し、戦いに勝ち、その苦労があって国を創ることができました。ゆえに草創が難しいでしょう」
と答えます。
一方、最近部下になった魏徴は
「草創と言っても、天地に最初の国をつくるわけではありません。
それ以前から必ず国が存在していました。
我々も、昔からあった隋が衰退して乱れた後を受けて、悪政を敷いた者たちを駆逐したわけです。
創業はさほど難しいものではなく、もっと難しいのは、いったん国が立つと、君主に驕りが生じることです。
国の衰亡は常にこれによって起こるので、守文が難しいでしょう」
と。
太宗はどちらの意見にも一理を認めつつ、いまや国は草創期を過ぎ、取り組むべきは守文だとしました。
草創フェーズにおいては不安定な外部環境から来るプレッシャーが顕在するので、課題が目に見える形で意識されやすい。
大変ではあるものの、創業側にとって努力の方向性が見えやすいですし、エネルギーを絞り出すきっかけも得やすいと言えます。
ですから草創フェーズで必要になるのは
「逆境に打ち勝つために頑張る」
という分かりやすいアクションです。
要は前に進めばいいですから。
一方、草創を抜け出し、事業基盤ができたところで守文フェーズに入るわけですが、ここで求められるのは
「順境に負けないための努力」
です。
逆説的ですが、『貞観政要』が説くところ、挫折や失敗は往々にして逆境ではなく順境で起こるんですね。
組織が安定し、規模が大きくなっていくにつれ油断も起こりやすくなり、現状維持に重きを置きすぎるて益々リスクテイクしなくなっていく。
人間は易きに流れます。
危機感に刺激され、発揮し続ける創業者精神は、「上手く行っているつもり」のうちにどんどん減衰していってしまう危険があります。
既に一角の企業となっていたスターバックスにも、守文を問われる出来事が起こりました。
ノンファットミルクとフラペチーノの論争です。
■産みの苦しみ―ノンファットミルクとフラペチーノ
ノンファットミルク(脱脂ミルク)の使用とフラペチーノの開発は、どちらも顧客からもたらされた要望でした。
1989年に入ると、スターバックス以外のコーヒー店で顧客の健康志向に応えて、ノンファットミルクや低脂肪ミルクを使ったカフェラテを出すところが登場します。
成分無調整ミルクを控えるアメリカ人が増えつつありました。
しかしノンファットミルクは水っぽく、コーヒーの風味を損ねるものとして、高品質なコーヒーの追求を理念とするスターバックスにとって商品に使用するのは言語道断でした。
またフラペチーノについても、夏場に他店のコーヒースタンドでは砂糖やミルクが入った冷たいコーヒーブレンド飲料がバカ売れしていたため、
スターバックス社内でもニーズに応えた新製品の開発提案が上がります。
しかし
「スターバックスの完全性を損なうファーストフード」
として一蹴される始末。
試作品が粉っぽく、糊のような舌触りだったという。
ノンファットミルクとフラペチーノの提案を最も反対していたのは、社長のハワード・シュルツでした。
創業者の魂を受け継いだ彼だからこそ、伝統に垂れることを重んじたのでしょう。
またスターバックス内にも、コーヒーの品質に対し敬虔とも言える姿勢を貫く信奉者も数多くいました。
彼らの妥協なき品質追求が、スターバックスを他の大衆コーヒーショップと一線を画す存在にまで押し上げたのは疑いありません。
しかし、現実として新製品を求める顧客の声が上がっている。マーケットもすぐそこにある。
スターバックスの理念と伝統に忠実であればあるほど、スターバックスの顧客が無視されていく二律背反。
これをスターバックスはどのように乗り越えたのでしょうか。
■枠を飛び出せる現場人材を
キーマンはハワード・ビーハーという男と、現場に立つ店舗スタッフでした。
社長のハワード・シュルツと同じ名を持つハワード・ビーハーは新旧店舗を統括する経営担当として1989年に入社します。
もともとは家具・リゾート開発業界で25年間営業をやってきた現場を知るベテランでした。
彼は今までのスターバックスに欠けていた
「破壊的な革新」
のマインドを持っていた人です。
改善すべき点があれば空気を読まずストレートに指摘し、会議では意見の対立を恐れず、ずけずけと意見を吐いていく。
そして何よりも彼は徹底的に顧客志向でした。
コーヒーの品質に焦点を絞るあまり、顧客が本当に求めていることを見落としがちだったスターバックスの啓蒙者的な姿勢に、
ハワード・ビーハーは劇薬の一撃として働いたわけです。
顧客のノンファットミルクとフラペチーノに対する期待度の熱量を誰よりも肌で感じていたのは、店舗に立って顧客と直に接している現場スタッフでした。
試作品開発やサンプリングの要望も現場から上がっていました。
それらをハワード・ビーハーは後押しし、本社の決裁もそこそこに現場が思うように自由にやらせたのです。
結局これがブレークスルーとなり、最終的にはスターバックスの高品質のハードルを突破し、
かつ顧客の要望も満足させる新製品を打ち出すことに成功します。
ノンファットミルクはやがて全店舗で扱われるようになり、フラペチーノも1995年に販売始めるやいなや大ヒット。
1996年の売上高はフラペチーノだけで5200万ドル、年間総収入の7%に達します。
さらにフラペチーノでは低脂肪乳の使用が女性客から評価されました。
一つの革新が、後に続く革新に価値を上載せできるようになったのです。
顧客と共に立つ現場から、伝統の高みを目指して突き抜ける。
スターバックスは自身が相対した「草創と守文」の問いを、このように解いてみせたわけです。