スターバックス物語④

■スターバックスのDNAの創り方

打ち合わせでも、待ち合わせでも、カフェをよく使う。

 

店の雰囲気にも、コーヒーの味にもさしてこだわりはないものの、スタバだけはなぜか、他のカフェにはない「特別感」を感じさせてくれるのはなぜでしょうか。

 

それはたぶんスタバには、スタバから生まれ、自身の軸としたDNAみたいなものが、店、商品、サービス、理念の隅々にまで浸透されているからではないかと思います。

 

お店をそっくりそのままコピーして増やしていったような、お洒落さのバーゲンセールのようなチェーン店とは一線を画す、

 

強烈な「スタバらしさ」がルーツから強調されているように感じます。

 

スタバも確かにチェーン店であることに変わりはありませんが、チェーン店といえど、それぞれの店が店ごとの個性を強く発していて、

 

それでいながら「ザ・スタバ」という「らしさ」が余すところなく共有されています。

 

今回は引き続き、スターバックスがどのようにして自らDNAを練り上げていったのかについてご紹介していきます。

 
スターバックス
 

■スターバックス変革の種

後にスターバックス中興の祖となるハワード・シュルツが、スターバックスで最初に撒いた変革の種は

 

「店でお客にコーヒーを売り、飲ませる」

 

ことでした。

 

当時のスターバックス、いま私たちに馴染みのあるカフェスタイルではなく、あくまでコーヒー豆の卸売店。

 

店内で試飲はできるものの、あくまでメインは豆売りでした。

 

しかしハワードは、イタリアのエスプレッソバーの空間でコーヒーが日常の文化として共有されている光景を目にして、衝撃を受けています。
 

彼が考えるスターバックスの使命は、顧客にコーヒーの知識を教え、豆を売るだけに留まりません。

 

至高の一杯を実際に体験して貰い、お客様とスターバックスとがより深い絆を取り結んでゆく中で共にコーヒー文化を創っていくという理想を持つようになります。

 
コーヒー飲む
 

それは飲食業への進出を意味しました。そして創業者ジェラルドのビジョンとは相反するものでもありました。

 

ハワードのしつこいまでの熱量に押され、シアトルで新しくオープンする6号店でエスプレッソバーを試験的に始めることをジェラルドは渋々了承します。

 

時は1984年の4月。コーヒー提供とコーヒー豆販売を同時に行うスターバックスが初めて世に登場した瞬間です。

 

これが今に繋がるスターバックスの原型となりました。

 
コーヒー
 

ハワードには勝算もあり、自信もありました。

 

事実、エスプレッソバーの宣伝もせず、初日だけで400人が来店。

 

皆このささやかな交流の空間を楽しんだようです。

 

ちなみにこの店で「カフェラテ」―泡立てたミルクを乗せたエスプレッソ―も出されました。

 

これがカフェラテのアメリカ初上陸となります。

 
カフェラテ
 

エスプレッソ・コーヒー部門の売上は日を追うごとに伸びていき、オープンから2ヶ月後には1日の来客数は800人に達するようになります。

 

■ハワード、また冒険に立つ

誰の目から見ても手応えのある事業でしたが、ジェラルドはやはり、いい顔をしません。

 

彼にとってスターバックスはあくまで良質なアラビカ種のコーヒー豆の販売店であるべきで、単にコーヒーを啜るために立ち寄る場所だと思われなくなかったのです。

 

成功を兆していたエスプレッソバーを、スタートダッシュの勢いそのままに拡大していくべきだとジェラルドに訴えたハワードでしたが、相手にされません。

 

ハワードは葛藤します。

 

彼はスターバックスの価値観も、それを創り上げたジェラルドも尊敬しており、仁義を貫きたい思いでした。

 

一方、イタリア式のエスプレッソバーの可能性を追求していきたいという自ら熱意は、もはや抑え難いレベルに達していました。

 

数ヶ月にわたる苦悩の後、彼は決断します。

 
スターバックス
 

自分の夢に正直になろうと。

 

現状に甘えてリスクを避ければ、チャンスは二度と戻ってこない。

 

「スターバックスを辞めて独立する。レギュラーコーヒーとエスプレッソの両方を飲ませる店を開く」

 

実に冒険者らしい決断でした。

 

ジェラルドらもハワードの挑戦を歓迎し、おまけに15万ドルも出資し、彼の最初の株主となります。

 

彼とハワードとは別にトラブルでこじれたわけではありません。あくまで事業経営上の方向性が共有できなかっただけで、

 

飲食業はジェラルドたちが参入したい事業ではないものの、コーヒーの志を同じくする者同士、ハワードの事業を応援したい気持ちを抱いていました。

 

さらにゴードンは半年の間、ハワードが新しく立ち上げる会社のコンサルティングを引き受け、彼のスタートアップを支えます。

 

店の名前は「イル・ジョルナーレ(Il Giornale)」。

 

イタリア風のこの店名を提案したのは芸術家気質のゴードンでした。

 

イル・ジョルナーレはミラノで刊行されている日刊新聞と同じ名前で、

 

またジョルナーレはイタリア語で「毎日」を意味し、良質なコーヒーの嗜みを日常生活には欠かせない文化にまで昇華させたいという願いが込められていました。

 
スターバックス
 

ロゴは鮮やかなグリーンの地色。その中心は商人や旅人の守護神であるローマ神話のマーキュリーをあしらいます。

 

ハワードはさらに出資集めに奔走し、1986年4月、イル・ジョルナーレを開店にこぎつけます。

 

予想通り開店初日から繁盛し、約300人の客が訪れました。満足すべきスタートです。

 

そしてオープンから6ヶ月も経たないうちに、イル・ジョルナーレには1日1000人以上の客がコーヒーを飲みに来るようになります。

 

市場環境が違うため単純比較はできませんが、今のスターバックスの1店舗で、テイクアウトを含めたとしても1000人はいかないのではないでしょうか。

 
成功
 

お客様との絆、そして日常生活に潤いを与える上質な空間。

 

ハワードは己の理想とするコーヒーのあり方をイル・ジョルナーレを使って見事に形にしていきました。

 

第一号店のオープンからわずか半年に第二号店を出店、さらに翌年には早速海外進出を果たし、カナダのバンクーバーに第三号店を出店します。

 

ハワードはスピード感にこだわっていました。

 
お金
 

というのも、彼は50店舗まで拡大する野心的な計画を立てており、そのためにはイル・ジョルナーレの店舗展開の実力を投資家たちにアピールする必要があったのです。

 

何にせよその様はイケイケドンドンなベンチャー企業そのもの、コーヒー文化へのリスペクトだけでなく、攻めの鋭い経営姿勢は後にスターバックスのDNAの一部となっていきます。

 

■スターバックス買収!

1987年の半ば、イル・ジョルナーレの3店舗のそれぞれの年間売上高は50万ドル近くに達します。

 

同じ頃、ハワードにとっても、スターバックスにとっても最大の転機が訪れます。

 

スターバックスが売りに出されたのです。

 
スターバックス
 

ジェラルドはピーツコーヒー社の経営に集中するため、スターバックスの店舗、焙煎工場、商標の売却を決めました。

 

この話を聞くや否や、ハワードはスターバックスの買収を決意します。

 

これは、運命だと。

 

事業拡大に邁進していたイル・ジョルナーレにとって、焙煎工場や店舗といったハード設備がなんとしても必要でした。

 

しかもスターバックスのコーヒー豆販売事業とイル・ジョルナーレの喫茶店事業は完全に補い合う存在でした。

 

もっとも重要だったのは、ハワードはスターバックスの価値観、その理念に敬意を抱き、かつてスターバックスの一員として身を持ってそれらを理解していた点でした。

 

スターバックスがピーツコーヒーを買収した時のように、イル・ジョルナーレもまた、親に等しいスターバックスを買収します。

 

1987年に8月に買収は成立、買収金額は380万ドルでした。

 

齢34歳にしてこの大博打、凄いの一言です。

 
スターバックス
 

今や世界最大のコーヒーチェーン店となったスターバックスの時価総額は、ハワードがスターバックス買収に支払った金額の約26000倍となる1000億ドル超!

 

彼が現代の名経営者に称される所以です。

 

スターバックスを吸収したイル・ジョルナーレは、社名をスターバックス・コーポレーションに変更。

 

そしてスターバックスのセイレーンのロゴに、イル・ジョルナーレのロゴの緑が流し込まれます。

 

そう、いま私たちが世界中の街角で目するスターバックス・グリーンは、イル・ジョルナーレの緑から来ているんですね。

 
スターバックス
 

スターバックスのDNAは、そうして多くの人々の情熱と思いが交差する物語を含みながら練り上げられていったもの。

 

それが一杯のコーヒーに凝縮され、私たちの日常にカフェインの香りと、ささやかな豊かさを添えてくれているのです。

 

以上、大禅ビル(福岡市 天神 賃貸オフィス)からお送り致しました。

 

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